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東福寺東司の柱

建立年代:南北朝時代、購入:大正15年(1926)3月2日、納入:東福寺

 東福寺は鎌倉時代(13世紀中期)に九条兼実が円爾弁円を開山として京都東山に開いた臨済宗寺院である。東大寺・興福寺両寺の一文字を取って寺号として、当初は禅・天台・真言兼学であった。建武元年(1334)に火災にあって後、直ちに復興にとりかかったが、工事は長期にわたり、約百年後の応永32年(1425)に山門(国宝)が再興されたのに引き続き、東司も禅堂(共に重要文化財)と共に再建された。東司(とうす)とは禅宗寺院の便所のことである。
 大正9年(1920)に解体修理が行われ、その際、本学科の教材として、柱と組物の寄贈を受けた。
 この柱は東司の西南隅の柱であり、全体の4分の三は外部にでていたため風触が著しい。壁を付け替えた痕跡や、中古の貫などの痕跡があり、改造の経緯が窺われる。なお柱頂部の頭貫と木鼻は教材とするために新材で補われたもので、実際には二つの木鼻の内の一つは妻側の連三斗を受けるため、この展示とはやや異なった形状になっている。