「マリア十五玄義図」について

 「マリア十五玄義図」(正式には「紙本著色聖母子十五玄義・聖体秘跡図」)は、茨木市の山間部下音羽の民家に伝えられた絵画です。昭和5年( 1930)、屋根の葺き替えの際に発見されました。屋根裏の木材にくくり付けられた竹筒を不審に思った家人が開けてみると、この絵がくるくると巻かれた状態で出てきたのです。
 下音羽は近隣の千提寺とともに、隠れキリシタンの里として知られる地域です。近代に入って家の持ち主は二回変わっており、残念ながら、この絵画についての 言い伝えは全く残っていませんが、近畿地方に残る貴重なキリシタン遺物の一つといえます。発見後、閲覧の希望に応じるうちに、絵が目にみえて劣化するのを 心配された原蔵者が、本学文学部に寄贈され、現在は総合博物館に所蔵されています。
 推定製作年代は17 世 紀初頭。画面を見ると(写真)、中央上段に、幼児のキリストを抱いたマリア像、下段中央に聖杯とイエズス会のシンボル、その両側に、フランシスコ・ザビエ ル他四人の人間を配しています。そしてこれらの外側には、聖母子の生涯を描いた十五コマの絵が、左下から時計回りに配置されています。この種の絵画は、日 本では他に2点確認されていますが、本館蔵になるこの絵は、描かれた時の状態をほぼそのまま残す、もっとも良質のものとされています。
 2001年に重要文化財の指定を受けましたが、いたみがはげしく公開できる状態にはありませんでした。修復が緊急の課題であったところ、2004 年度にようやく修復をすることができました。日本に初めてキリスト教を布教したザビエルの生誕五百年にあたる2006年、美しくよみがえったこの絵を久方ぶりに公開すべく、現在準備を進めているところです。以下に、「マリア十五玄義図」の見どころをご紹介しましょう。

1 図像について
「マリア十五玄義図」は、正式名称が表すように、大きく二つの部分からなっています。
 そのひとつは、聖母子を中心として周囲に配置された十五の絵、「聖母子十五玄義」にあたる部分です。マリアへの受胎告知に始まる「喜び」の5場面、キリス トの受難を描く「苦しみ」の5場面、及び、キリストの復活とマリアの昇天までの「栄光」の5場面が順に配置されています。キリシタンの間で広く行われた祈 りの中に、ロザリオと呼ばれる数珠を繰りながら、聖母マリアに祈りをささげるロザリオの祈りがあります。15の各場面に対応して 15のオラショ (祈祷文)があり、それぞれを 10回ずつ、全部で 150回唱えるものでした。つまり、聖母子像と15 の絵とが一体となって、マリアの神秘的な力への崇拝を表現しているのです。聖母マリアをめぐる15の神の教えという意味の「マリア十五玄義図」という通称は、ここから付けられました。
 本図の残りの部分を構成するのは、聖母子の下方、聖杯と四人の人物を描写する、「聖体秘跡」にあたる部分です。聖杯は、カトリックで行われる聖体の秘跡と いう儀礼を象徴しています。最後の晩餐でキリストがパンと葡萄酒をとり、「これ我が身体なりわが血なり」と言ったことにちなんだ儀式で、キリストの肉と血 を象徴するパンと葡萄酒ー聖体ーを信者にわかち、キリストとの生命の一体化を強める意味を持っています。その両側には、日本に初めてキリスト教を伝導した イエズス会宣教師のザビエル(右)と、同会の創始者であるイグナチウス・ロヨラ(左)ーいずれもキリシタンが崇拝してやまない聖人でしたー、そして、その 背後に殉教者として知られる男女ー聖ルチア(右)と聖マチアス(左)ーが配置されています。
  これら4人の視線は何を見つめているのでしょうか。上段の聖母子像とする説に対して、下段の聖杯にむけられたものという説もあります。後者の説は、画面を 上下に分けるポルトガル語の文章を重視したもので、日本におけるキリシタン遺物の研究に先鞭をつけた新村出博士は、かつてこの文章を「いとも貴き秘蹟讃仰 せられよ」と訳しました。同じ文章を付した聖杯鑚仰の図が、日本のみならず世界的に確認されていることも踏まえて、中央の聖杯をザビエルら4人が仰ぎ見る 構図とみなす解釈には、耳を傾けるべきところがあるといえるでしょう。つまり、「マリア十五玄義図」には、ロザリオのマリアへの祈りと、聖体秘跡への崇敬 とが同居しているのです。
  また、近年の研究では、マリアに抱かれたキリストの持ち物が、原図ではロザリオであったものが、この絵では十字架をのせた球体に変更されていることに注意 が向けられ、このキリストが、天球もしくは地球を手にした「救世主としてのキリスト」の図像とよく似ていることが明らかにされました。この図像は、キリス トのもう一方の手が天球・地球に祝福を与えるポーズをとっており、キリストが現世・来世いずれに対しても全能の力を持つことを象徴する図像であるとされて います。ロザリオの祈りの対象である聖母子像の中に、救世主としてのキリスト像がはめ込まれているわけですが、これは、現世利益に馴れた日本人の好みに合 わせたものではなかったか、と考えられています。また、マリアの手にする花が、本来のバラではなく、日本人に馴染みのある白い椿にかえられているとする説 もあります。
 このように、「マリア十五玄義図」は、マリアへの祈りのみならず、キリストの超越的な力や聖餐のサクラメントへの崇拝、聖人に対する崇敬の念などさまざまなものをとりあわせ、日本人に受け入れられやすいように工夫された、日本的な聖画であったといえます。

2 技法について
 絵の具の重ね塗りや陰影のつけ方、遠近法など随所に見られる特徴から、「マリア十五玄義図」に対する西洋技法の影響は古くから指摘されていました。 1990年代に、国立歴史民俗博物館が最新の撮影技聖母子十五玄義術を用いて詳細な調査を行った結果、描画方法と顔料それぞれについて、これまでの見方が正しかったことが証明されています。
 描画については、背景に色を塗った後に人物に彩色される場合が多く、遠景から近景へと描き進む手順が明らかにされました。また、陰影表現では、下地の色を画面の効果に利用する方法や透明色を塗り重ねる方法が観察されています。これらはいずれも、 16~17世紀の西洋絵画に見られる一般的な技術ということです。
 顔料については、日本の顔料が多用される中、文字や光を表現する金色を意識した黄色にのみ、日本での使用例がまだ知られていない鉛錫黄顔料が使われた可能性が指摘されています。この顔料は、 14世紀から18 世 紀にかけての西欧諸国では、黄色の代表的顔料として絵画に用いられていたものです。さらに、この黄色顔料の部分については、艶や亀裂などの生じ方に、油絵 具との類似性が報告されています。この研究により、日本にやってきた宣教師たちが顔料を持ち込み、一部それを用いていた可能性が新たに見いだされたので す。
 さらに、このときの調査では下図の線も観察され、 0.5ミリ前後の幅の、墨で描かれたのびやかな線が確認されています。毛筆の運びに習熟した人物による描画であろうと推定されています。
 以上の結果から、「マリア十五玄義図」を描いた候補者として、西洋画の技法を学んだ日本人画家が浮上することになり、それを傍証する資料も紹介されています。たとえば、 16世紀末のイエズス会の年報は、島原のセミナリオ(修道院)の工房で、計21 人 の日本人が、油彩画や銅版画などの西洋絵画を学んでいると報告していますし、他にも、日本各地に建設されたセミナリオで、美術教育を行っていたことを示す 記録が残っているのです。また、今回の修復に際して紙質の分析を行ったところ、日本で絵画用に広く普及した竹紙が使用されていることが明らかになり、この 絵が日本で描かれたことは確実となりました。
 このように、最近の科学的調査・分析の結果、日本人の描いた聖画であることはほぼ確定されたといえます。

3 表具について
 最後の見どころは、この絵が掛け軸として表具されているところです。写真の通り変色や痛みが激しく、修復するに際して、この部分をどうするかが問題となり ました。検討の結果、江戸時代の長期にわたる弾圧をかいくぐってこの絵画が近代に伝えられた歴史は、細く巻いて目立たないように収納できるこの掛け軸装に 凝縮されているという点を重視して、残された状態をできる限りそのまま保存することにしました。
 掛け軸とはいっても、「マリア十五玄義図」のやり方は、通常の方法とは随分違うものとなっています。布を用いる筈の部分に唐紙が用いられていたり、上下の 軸に細く削った竹軸が用いられていたり、掛け軸に表装する際の決まりごとが守られておらず、素人の手によるものであろうと推測されています。
 この掛け軸装について、これまでの研究者たちが本紙絵図の製作当初からのものと疑わなかったのに対して、先の歴史民俗博物館の研究班は、二次的な段階のも のではないかという見解をだしました。最初は、祭壇画であったものが、禁教となり弾圧が強化される過程で、掛け軸の体裁に変更されたのではないか、という のです。祭壇画とは、南蛮屏風にしばしば描かれているもので、仏像を収める厨子のような扉付の箱の中に安置されている例や、カーテンの下がった祭壇の奥に 木枠の額に納められたりしている例があります。「マリア十五玄義図」に祭壇画の時代があったのかどうか、残念ながら手がかりはありませんが、今回の修復で は、絵図裏側の表装部分に、修理された跡が発見されました。この事実は、掛け軸装のこの絵が、単にしまい込まれていたのではなく、使用されていたことを示 しています。弾圧下にあっても信仰を捨てなかったキリシタンが、誰にも見つからないように絵を飾り、祈りを捧げることがあったに違いありません。
 キリシタンへの弾圧が強まる中、表装の知識を持たない信者が、見よう見まねでひっそりと掛け軸に仕立て、祈りを捧げ続けた。「マリア十五玄義図」の表具からは、このような歴史を読み取ることができるのです。
 今回の修復では、「マリア十五玄義図」の持つ色や風合いが損なわれないよう、細心の注意が払われました。発見当時の姿に再生した「マリア十五玄義図」が、多くの方に観覧されることを願ってやみません。

(京都大学総合博物館資料基礎調査系・助教授・岩崎奈緒子)

(参考文献)

  • 神庭信幸他「京都大学所蔵『マリア十五玄義図』の調査」『国立歴史民俗博物館研究報告』第76集、1998 年
  • 神庭信幸他「東家所蔵『マリア十五玄義図』の調査ー付、京都大学所蔵『マリア十五玄義図』旧蔵家屋の調査ー」『国立歴史民俗博物館研究報告』第 93集、2002 年
  • 坂本満「マリア十五玄義図の図像について」『国立歴史民俗博物館研究報告』第 76集、1998 年
  • 新村出「摂津高槻在東氏所蔵の切支丹遺物」『京都帝国大学文学部考古学研究報告』第七冊、1923年
  • 武田恵理「『紙本著色 聖母子十五玄義図・聖体秘跡図』の再現模写と描画技法の研究」(東京芸術大学大学院美術研究科後期博士課程 平成 13年度博士論文)
  • 濱田青陵「原田本マリヤ十五玄義図」『宝雲』第 13冊1935 年
  • 比留木忠治「椿のマリア像」『椿』 44、2005 年