平成17年度秋季企画展によせて

はじめに
 海で囲まれた日本の動物たちはいつ?どこから?やってきたのでしょうか。日本だけに分布する動物が多いのはなぜでしょうか?こうした謎を解くために京都大学で行われている様々な動物を対象とした動物地理学の研究をわかりやすく知ってもらうために,この企画展を計画した。
 京都大学では動物地理学の研究が,理学部創設の頃から盛んに行われてきた。そして,現在でも活発な研究が行われている大学である。今回の企画は,総合博物館のほか,理学研究科動物学教室,人間・環境学研究科,霊長類研究所の11名の教員で企画展実行委員会を発足させ,京都大学での動物地理学の研究の紹介に取り組んだものである。
  貝類,昆虫類,魚類,両生類,爬虫類,哺乳類などの動物たちについて,最新の研究成果を紹介している。動物地理学とは動物たちの現在の分布がどのように形 作られていったかの謎解きをする学問である。現在においてそれぞれの動物たちの生息に適した環境があるかによってその分布が影響されるのはもちろんである が,動物たちの現在の分布は同時に過去に起こった分布の変遷などの影響を大きく受けている。したがって,動物地理学の研究では,今生きている動物たちの分 布や生物を含めた環境との関わりを明らかにしていくのと同時に,形態や遺伝子を各地からの標本をもとに調査していくことによって,過去に起こった動物たち の分布の変遷を解き明かしていくことも重要である。化石によって過去の実態を詳細に知ることができる場合もあるが,多くの場合は現生の動物たちから手がか りを見いだしていく。
 この企画展では,できるだけ多くの分類群や生息環境を扱うように心がけた。また,日本では動物地理学が十分に紹介されていないので,なるべくわかりやすく,動物地理学を紹介するように心がけた。
 展示では,研究に使われたものを中心に,551点という多数の標本を展示している。標本のほとんどは京都大学が所蔵するものである。動物地理学の解説や研究の紹介は64枚の展示パネルによるが,わかりやすくするためにパネルでは計 124点の図が用いられている。

(展示会場の様子)

動物地理学とは何か
 企画展でははじめに動物地理学とは何か,また動物地理学の基礎についても紹介している。動物地理学とは動物たちの地理分布を空間的,時間的にみていきながら,地理分布の形成を明らかにする学問といえる。動物地理学を生み出したイギリスのワレスは19 世 紀に世界を動物相の違いによって6つの動物地理区にわけた。この企画展では,オーストラリア区だけにいる単孔類のカモノハシとハリモグラ,新熱帯区(南ア メリカ)だけにいる貧歯目のココノオビアルマジロ,ミナミコアリクイ,ノドジロミユビナマケモノ,東洋区(東南アジア)だけにいる登木目のオオツパイ,コ モンツパイ,ヤマツパイの京都大学が所蔵する哺乳類の剥製標本を展示している。
 日本は島国であるが,過去一千万年間で,その地形を大きく変えてきた。また,過去180万年間には氷河期と温暖な時期が繰り返し訪れた。地形の変化や氷河期の海水面の低下によって,日本の周辺には大陸との間で様々な陸橋が形成され,そこを通って多くの動物たちが日本列島にやってきたと考えられている。日本は南北に長く,本土のほかに 6852という多数の島から成り立っているため,環境が多様で地形が複雑である。したがって,氷河期に形成された陸橋の大きさや時期は,場所によっても異なっていたといえる。それが現在の多様な日本の動物相の形成につながったのである。
  京都大学では,過去にたくさんの研究者が動物地理学の分野で多くの成果をあげてきた。展示ではその中から,特に重要な貢献をした4人の研究者を取り上げて 紹介する。淡水生物学の川村多實二先生,陸の動物地理学の徳田御稔先生,洞窟の動物地理学の吉井良三先生,海の動物地理学の西村三郎先生である。4人の先 生は,それぞれ異なった研究対象をもちながら,日本の動物地理学の発展において大きく貢献した。

(展示会場のひとつのコーナー)

京都大学での最新の研究成果の紹介
 まず,日本列島(日本本土)の動物地理学について紹介する。日本列島の動物相の成立を考察する際には,過去180万 年間の更新世といわれる時期の陸橋形成や環境の変化が重要である。京都大学で行われている研究として,モグラ類の日本への侵入とその後の種間競合,ニホン ザルやヒグマ,ツキノワグマ,ニホンジカといった大型哺乳類の定着過程,伊豆半島でのトカゲ類の分化,アカガエル類の音声による繁殖隔離,小型サンショウ ウオの日本での多様化,ビワコオオナマズの起源,海浜性ハンミョウ類の分布と歴史,ネクイハムシやミズクサハムシの歴史生物地理について標本とともに紹介 する。体長1メートルもあるビワコオオナマズの標本や,日本列島の代表的な動物であるオオサンショウウオの標本,北海道では絶滅したエゾカワウソの骨格標本,ツキノワグマやニホンザルの剥製標本も展示されている。

(日本列島の大型哺乳類)

 次に,固有性の高い動物相をもつ琉球列島の動物地理学を紹介する。京都大学ではこの10年 ほどの間で琉球列島の陸上脊椎動物の動物地理学において,数多くの新しい知見を発見してきた。ここでは両生類と爬虫類を中心にそれらを紹介する。動物たち の起源を探る上で,それぞれの動物たちの分類学的な位置づけは大切である。分類体系の違いによって動物地理学の解釈が大きく異なることもある。京都大学の 最近の琉球列島における動物地理学の成果は常に,分類体系の見直しと表裏一体であったといえる。最近の研究で,琉球列島中部,すなわち奄美諸島や沖縄諸島 の動物相が数百万年にわたってほかの地域から隔離され,独自の動物相を形成・維持してきたことがわかってきた。トカゲ類の種分化,ハナサキガエル類の種分 化,ハブ類やアオヘビ類の分化の研究について標本とあわせて紹介している。また,奄美諸島だけに生息するアマミノクロウサギ幼体の剥製標本も展示してい る。

(琉球列島のカエル類,ヘビ類,トカゲ類)

  次に海の動物地理学を紹介する。海でも海域によって動物相が異なっており,海洋動物の動物地理学の研究が行われてきた。最近の京都大学の研究で,日本周辺 での海洋動物相は黒潮の流路に影響されて形成されたらしいことがわかってきた。ここでは,クロメジナとマダラハタの2つの魚類,アサリやハマグリといった 浅海性貝類群の起源と変遷についての京都大学での研究を標本とあわせて紹介する。

動物と人間の関係
 ここまで紹介してきたように,日本は陸や海に多様な動物相を有している。しかし,近年では人間生活との軋轢によるいくつかの動物の絶滅が問題となっている。この企画展では動物の絶滅についても紹介している。
 ちょうど100年 前に最後の標本が残され,絶滅したニホンオオカミもその一つである。ニホンオオカミはなぜ絶滅したのだろうか。また,一度も大陸と陸続きになったことのな い小笠原諸島の動物相の成立とその危機を紹介する。小笠原諸島に固有のハナバチ類やエンザガイ類がすでに絶滅,あるいは絶滅に近づいている。昭和になって からも秋田県のクニマスや京都府のミナミトミヨが絶滅した。2種の淡水魚類はなぜ絶滅したのだろうか。京都大学に残されている標本を展示しながら,これら の動物たちの絶滅について紹介する。
  動物地理学はその名の通り,地理と密接に関わっている。展示会場中央には5メートル四方の日本とその周辺の床面地形図を設置した。その上を自由に歩いて, 日本の地理について実感してほしい。また三百万分の一の立体地形図も展示している。日本の山の高さや,海の深さについてみてほしい。
 動物地理学の研究の実際や標本ではわかりにくい動物の色を知ってもらおうとスライドショーのモニターを設置した。
 研究の紹介はできるだけわかりやすくを心がけたが,何年もかけた研究の結果としてようやくわかったことを1~2枚のパネルにまとめたため,わかりにくい部分も残されていると思う。この企画展と同時に,岩波書店の科学ライブラリー109 として「日本の動物はいつどこからきたのか」を京都大学総合博物館編として出版した。企画展で取り上げた研究のいくつかをより詳しく,わかりやすく紹介した。また,土曜日と日曜日には大学院生などによる展示解説を行っている。わからない点は気軽に質問してほしい。
 日本の動物相を守るためには生物多様性の保全が欠かせない。しかし,最近では外来動物により在来動物への影響が深刻化しているなどの問題が生じている。日本の多様な動物たちを後世に残していくための取り組みも必要になっている。

(京都大学総合博物館・資料開発系 ・助手 本川雅治)