京都大学総合博物館における情報発信新展開と悩み

 平成9年4月に発足の京都大学総合物館には、京大の 108年に及ぶ歴史の間に諸先輩が収集された250万 点に及ぶ貴重な学術標本資料が収蔵されている。また、研究が国際化するにつれ、館や全学の研究者の手によってますます多くの学術標本資料が日々世界中から もたらされている。そこで、総合博物館的は、1)貴重な学術標本資料の収集と保全・管理、2)これらの研究教育への活用、そして3)学術標本資料をもとに した研究の成果を広く情報発信する、という3つの重大な使命を与えられて発足し、所属の研究者と事務職員がこれら任務を活発に遂行している。しかし、学の 内外を問わず、博物館とは標本の倉庫程度との通念が支配的である。そこで、総合博物館では、学術標本資料やそれを使った研究の重要さ、維持管理の大切さと大変さを積極的に伝え、学内外の理解と広い支援を得ることを優先課題の一つとして、展示の一般公開オープン以前から、様々な情報発信の試みを行ってきた。 以下には、館のこのような試みのうち最近の展開について紹介する。

シニア向け
  社会では高齢者の増加とともに学習意欲をもった熟年者の数が急増している。そこで、豊富な資料とともにオリジナルな研究成果の展示が通年公開されている京 都大学総合博物館には、熟年者の生涯学習への対応が学内外から期待されている。現在総合博物館では、二枚貝をテーマとして、熟年者向けの学習教材「貝体新 書」を開発中である。すでに熟年者向けに数回の試験的学習教室を開催して改良を続け、今年度内に完成を目指している。知識を与えるのではなく、潮干狩りの 体験、食材としての調理経験、寿司屋などでの食事の経験などを思い出して、二枚貝という動物の体の解剖学的特徴と生態を自分で推理し、確かめるという経験 を通じて、主体的な学びかたを体験してもらう内容となっている。総合博物館で開発した教材には、もう一つ児童・生徒を対象にした「三葉虫を調べよう」があ る。これも自分で推理して確かめるという学習方法の体得を主眼としたものであり、熟年者にも十分楽しめる内容である。今年9月 に京都大学が主催して行ったシニアキャンパスでも総合博物館では、参加者に「三葉虫を調べよう」の学習教室を体験してもらっている。また、総合博物館で は、月1回をめどに週末にレクチャーシリーズを開催し、学内外の研究者による最新の研究成果を市民に伝えているが、熟年者にとって興味深い、あるいは児 童・生徒にとって興味深いものそれぞれについてそれぞれシニア・レクチャー、ジュニア・レクチャーとして広報し、参加者より好評を得ている。

ジュニア向け
 将来のカスタマーである児童・生徒向けには学習教室用教材を多く開発してきた。その中で、もっとも利用されているのは「三葉虫を調べよう」で、北は福島県から南は鹿児島県まで、すでに 2,000名 以上がこの教材を利用して学習を行っている。同様の教材として「二枚貝を調べよう」を昨年開発し、現在一部を修正中であり、近々完成バージョンを使った学 習教室が可能となる。ジュニア向けには、学習教室も様々開催してきた。その中でも夏休み学習教室はすでに5回を数えるが、学内外の著名な講師陣の協力を 得、年々人気が高まっており、今年は400名の定員に1200 名の応募者が殺到するにぎわいであった。
  また、昨年秋からは、大学院生・大学生、それに学内外の現役・退職研究者の協力を得て毎週土曜日・日曜日に週末子ども博物館を開催している。これは、化 石・骨格・押し葉標本などを博物館のロビーに持ち込み、来館する児童・生徒に学術標本資料をもとにした研究の楽しさを解説するもので、じわじわと人気が出 始め、今秋には多くのタウン誌・雑誌に取り上げられ、週末に親子連れの来館者が目立って多くなった。土日欠かさず開催ということで関係の学生・大学院生・ 研究者には多大な労力を提供していただき感謝している。今秋は、衣笠児童館や夜久野町へ出向いての出張こども博物館も催し、好評を得ている。

手法の開発:IT技術をつかったガイドシステムの開発
 情報学研究科の中川千種さんが、博士課程のテーマとして現在IC タグとPDA(携帯型情報端末)を使ったガイドシステムを開発中である。展示ケースに貼ったIC タグをPDAに近づけると、画面上に展示の担当教官による動画解説やクイズなどが表示され、楽しみながら展示の理解を深められる。運用試験の結果、システムを持たない場合に較べて館内の滞在時間が有意に長くなり、来館者がじっくりと展示を鑑賞するのに役立つことが示されている。

ガイドツアー
  平成16年フィールド科学教育研究センターが開催した春季展「森と里と海のつながり」では、展示担当教員の先生方が直接に来館者に展示解説する試みを行って下さ り大変好評であった。これを受けて、今年度は、春季展・秋期展ともに研究者や大学院生による展示解説が行われている。春季展では土曜日に、秋期展では土曜 日・日曜日に開催しており、いずれも一日に数回行われている。直接研究者や大学院生から解説を聞け、興味に応じた質問もできることからきわめて好評である。

課題
  様々な教材の開発、学習教室、土曜日・日曜日の子ども博物館、あるいはガイドツアーなど、総合博物館の情報発信は徐々に地域社会に浸透しており、入館者数 も徐々に増加しつつある。しかし、一つ懸念がある。というのは、入館者数の増加に大きな力をもつ新聞や雑誌、タウン誌による紹介は、種々の行事が行われている博物館の週末の様子を基準にした内容となっている。このような記事を見られて平日に来館されるかたには失望感を与えるのでは無かろうか。また、最近は 修学旅行や校外学習で多くの児童生徒が平日に館を訪れ始めている。彼らも同様に失望を覚えるかもしれない。最近の悩みの種である。もとより博物館の人的資 源は限られており、また財政的にも土曜日・日曜日に開催している行事を平日にも行うことは現情では難しい。
 一 方、平日に訪れる人たちが必ず見るものは、常設の展示である。そこで、現在の常設展示について、解説書やワークシートを早急に充実させることはできないだ ろうか。展示場でもパネルによる説明はなされているが限られた文字数で十分わかりやすいものとはなっていない。わずか数ヶ月の工期で作らざるを得なかった 理系の常設展示についてはとりわけこのことが該当する。担当された先生の協力を得ることによって、常設展示の解説書の作成はそれほど大きな困難なくできる だろう。そして、平日の一般来館者の方々は、解説書を片手に常設の展示を深く味わっていただけるのではないだろうか。ただし、文章の統一、図・表の作成な どに多少支出をともなうことは覚悟せねばない。
 ここに書いた悩みは、ある意味贅沢な悩みである。発足当時、総合博物館は全く無名の存在であった。しかし8 年 の後の今、博物館に来られる多くの一般のお客様にどう対応するかで悩むことができるようになったのである。展示の見所について執筆するにあたって、冒頭で 書いた、学術標本資料やそれを使った研究の重要さ、維持管理の大切さや大変さも伝える工夫をこらすことは、それほど手間の増えることではなかろう。つま り、平日の来館者の皆さんに総合博物館を楽しんでいただく手だてを考えることは、実は私たちの博物館の本来の活動の重要性を広く皆さんに知ってもらうこと に直結しているのである。この意味を見抜いてのことか、館長の中坊徹次教授も全く同じ考えで、最近展示解説書実現についての具体的な方策を探るように教員 会議で指示があった。館内外の関係される先生方のご協力、また各方面よりの資金的支援を得てこの重要な意義をもつ企画を早急に実現すべく現在計画を練り始 めたところである。

(京都大学総合博物館・情報発信系・教授 大野照文)