平成14年度特別企画展
近代日本を拓いた物理実験機器
永平幸雄 京都大学総合博物館に、第三高等学校由来の古い物理実験機器が628点保管されている。これら三高実験機器コレクションは、もともとは総合人間学部の図書館の地下室に収納されていたが、2001年6月に総合博物館の収納庫に移された。総合人間学部に収納されていた時代から、三高コレクションの調査研究が進められ、その成果として、2001年7月に京都大学学術出版会より、『近代日本と物理実験機器』(永平幸雄、川合葉子編著)が出版された。こうした長年にわたる調査研究をもとに企画されたのが、この特別展示である。 三高コレクションの特徴は、歴史が古いこと、所蔵点数が多いこと、関連古文書が豊富なことにあり、そのことが、三高コレクションを国内第一級の物理学史資料としている。実験機器保管台帳が11冊と保存されていたので、多くの実験機器の購入年や購入価格、購入先等を明らかにすることができ、所蔵機器数628点中562点について購入年等が判明した。また明治14年以前に購入した実験機器が50点も存在し、明治初期の実験機器が多数含まれていることが明らかとなった。第三高等学校とその前身校の古文書は、総合人間学部図書館の三高資料室に豊富に保存されており、それらによって、実験機器の購入経路等をさらに詳細に明らかにすることができた。 今回の展示では、これら三高コレクションの実験機器、関連古文書、当時の物理学教科書を展示して、第三高等学校における物理教育と物理学研究の歴史をたどり、それらを通して、近代日本における物理実験機器の製造と利用の歴史を示すことを試みた。展示点数は、実験機器66点、物理書25点、古文書15点である。 展示項目を以下に列挙した。まず、明治以降、学校制度の確立、物理教育の拡大とともに、物理実験機器が多量に必要となり、実験機器の国産化を推進するため、欧米から製造技術を学びとったことを説明した。ついで、第三高等学校とその前身校における物理教育・研究の発展を三高コレクションから示した。最後に、展示開始時点での日本のノーベル物理学賞受賞者3名がすべて第三高等学校出身者であった(今年のノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊氏は第一高等学校出身)ので、第三高等学校時代の湯川、朝永、江崎を紹介し、また湯川秀樹が自伝の中で述べている実験機器を展示した。
1. 日本の近代化と物理実験機器製作
近年の博物館には、来館者が実際に体験し、単に展示物を見るだけでなく、展示内容を実感できるような展示が期待されている。本展示では、実験教室と名づけて、2部屋をそのような体験場所に当てた。三高コレクション中には、今日ではもう行われなくなった、すなわち、「歴史に埋もれた実験機器」とでも言うべき実験機器が多数含まれている。それらの中で今回展示している実験機器から、簡単な物理知識で理解でき、かつ安全で危険性のない実験機器のレプリカを5点作成した。「7鏡による光の再合成器」、「魔鏡」、「対円錐と斜台」、「金属反射凹鏡」、「地磁気で電流を起こす装置」、「導線が磁石に巻き付く装置」を実験教室に備えた。 その一つ、「7鏡による光の再合成器」(図1)をここで取り上げる。実験機器の保管台帳に、「スペクトラ色ノ合一ヲ示ス器」と書かれていたもので、第三高等学校が明治35年にドイツのE.Leybold社から39円43銭5厘で購入した製品である。細長い木板上に7個の鏡が一列に並んでいる。図2は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて世界中で人気を博したGanot物理学書の挿絵であるが、この挿絵を見ると、この実験機器の使用法がよく理解できる。窓の外からスリットを通して取り入れた太陽光線をプリズムで7色にスペクトル分解し、それぞれの色の光を7個の鏡で反射して、天井の1点に集める。すると、白色光に戻っていることがわかる。白色光がさまざまな波長の光の集まりであることを示す実験である。ニュートンは1704年出版の『光学』でそのことを示したが、ニュートンの実験では、凸レンズを使って白色光に戻していた。
この装置を使った実験は今日では、もはや行われていないし、当然、製造販売はされていない。したがって、そのレプリカを作成するには、試行錯誤をして製作していくしかない。業者に製作を依頼したが、当初、分散の小さいクラウンガラスが使われたために、屈折光のスペクトル幅が小さく、スペクトル光が7個の鏡にうまく分かれなかった。この問題は、分散の大きいフリントガラスを使用して解決できた。 (大阪経済法科大学教養部教授・物理学史)
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