収蔵資料散歩

植物標本がもたらした遺産

当山昌直


 唐突ながら、ここでいう遺産というのは植物標本を挟んでいた古い新聞のこと。これが地域の歴史に大きな貢献をすることになる。標本を作製していた当時の方々は、標本に使用した新聞が、後に貴重な遺産になることは全く予想していなかったかもしれない。植物標本と地域の歴史という、想像し難いような組み合わせがあるのでここに紹介しよう。

絶滅した沖縄の古い新聞
 信じられないが本当だった。沖縄島で発行された戦前の新聞は、その大半が現存しないということだ。理由が二つある。個人保管がなかったことである。新聞はサイズが大きく、毎日のように発行されるので保管は場所をとるからだ。頼るのは図書館等の施設しかない。ところが、戦前の新聞は県立図書館に保管されていたようだが、それが戦争によってすべて焼失したという。つまり、絶滅である。  沖縄では絶滅した戦前の新聞が一部本土に残されていた。確認されている全紙状態の新聞は、1898年(明治31)4月から1918年(大正7)5月までの『琉球新報』と1909年(明治42)2月から1914年(大正3)12月までの『沖縄毎日新聞』がほぼ連続して国立国会図書館に、また1936年(昭和11)11月から1940年(昭和15)12月までの『琉球新報』と『沖縄日報』が非連続的ではあるが國學院大学に残っている。

  地域史と新聞
 ここで少し、私がなぜこの世界に踏み込んだのかを説明しよう。私は、生物学出身で、これまで博物館学芸員や理科教諭等の自然科学系の仕事を携わってきた。当然、歴史や新聞等のことについては門外漢である。このような中、現在の職場に配置され、沖縄県史の自然環境編を担当するようになった。そこでは研究史も含め、自然と人との関わりという視点から資料収集をすすめているが、自然と人を結びつける一つの手がかりが新聞にあることがわかった。それから戦前の新聞を調べるようになったのではあるが、新聞を調べていく内にその大半が無いという事実を知ることになったのである。
 県史や市町村史を編纂する場合は、まず新聞を調査し、関連記事を新聞集成としてまとめるのが常套手段の一つである。戦災で多くの歴史資料を焼失した沖縄では、新聞は広告も含め当時の情報がいっぱい詰まっており、日々の状況を知る上で手がかりとなる一級の史料であるからだ。  前述したように、全紙大の新聞が図書館等以外では残される機会はほとんど無いのだが、一つだけ例外があった。それが大学等に残っている植物標本を挟んでいる新聞だったのである。その手がかりを求めて私の古新聞探しが1987年11月京大植物学教室を皮切りに始まった。

植物標本を探して
 1998年2月東京大学法学部附属近代日本法政史料センター明治新聞雑誌文庫を訪ねた。ここでは、東京都立大学理学部牧野標本館で整理を終えた植物標本用新聞を受け入れ保管し、重複分は高知県立牧野植物園に送付するという作業が進められている。牧野富太郎の植物標本ということもあって、戦前の樺太や満州をはじめ、全国各地の古い新聞が集まっているようだ。ところが、同じ東大内でも、総合研究博物館や附属植物園には、このような古い未整理の標本はほとんど残っていないということであった。退官された教授の話によると、日々標本の整理を進めながら、出てきた新聞は古すぎて捨てることもできず、燃やし続けていたそうである。つまり、牧野標本以外に大学に残っていた古い新聞は、当然のことながら、標本が整理され次第処分されていったわけである。

博物館は宝の山
 京都大学に総合博物館ができた。2002年10月京大植物学教室を3回目の調査で訪ねると、教室の段ボールに入っていた未整理標本等は総合博物館に移されたという。博物館の収蔵庫に案内されて驚いた。引越後ということもあって段ボールが山積みされているのだ。後で聞いた話では約2千箱あるらしい。附属植物園など学内の施設から標本が集まってきたのだ。採集標本の中には番号が付されていないのもあって、不幸中の幸いか、これらのほとんどが未整理らしい。その一部をみる機会があった。戦前の樺太、満州、台湾などの新聞、そして全国各地の新聞が散見された。明治、大正、昭和期の沖縄の古い新聞もみつかった。みつけた時は感激で思わず声を上げてしまう。オーバーに言えば、新聞1枚で、沖縄の1日分の歴史が明らかになるということである。まさに段ボールの山は、宝の山である。

さいごに
 胴乱をさげ、野山を駆けめぐり、植物を採集、そして収集してきた植物を整え、丁寧に新聞に挟んで重ねる。このように苦労して収集してきた植物標本。植物研究者らは、自分が収集した標本が植物学の進展に貢献するものと信じていたはずだ。しかし、それが歴史(地方史)にも貢献するところまでは想像できなかったかもしれない。
 植物標本に使われた古い新聞のことについては、一般的によく知られていない。これからがおもしろくなるのだが、その前に標本整理が進まないようにと願うのは罪だろうか。

 本稿をまとめるにあたり、調査の機会を与えて下さった京大総合博物館永益英敏助教授、植物学教室村上哲明助教授に感謝します。

(沖縄県文化振興会史料編集室 主幹 当山昌直)

文献
法学部附属近代日本法政史料センター明治新聞雑誌文庫, 1998. 牧野新聞コレクションについて.東京大学附属図書館報 図書館の窓, 37(6): 85-87.
北根 豊, 1988. 明治文庫の<宝の凾>─牧野富太郎の思わぬ遺産.図書館科学, (4): 1-3.
下地智子, 1997. 明治・大正期に沖縄本島内で発刊された新聞の保存状況.pp.45-74. 平成7・8年度文部省科学研究費補助金(基礎研究A)研究成果報告書 近代沖縄の文学資料の収集・研究とデータベース化, 琉球大学法文学部.
写真左上.植物標本を挟んでいる新聞の中から出てきた明治期の琉球新報
写真右上.植物標本のなかから出てきた昭和期の沖縄日日新聞
写真左下.他地域の標本を挟んでいた明治期の沖縄毎日新聞
写真右下.松かさを包んでいた明治期の沖縄新聞