館長に就任して

山中 一郎


 平成15年4月1日に京都大学総合博物館長に就任いたしました。従来から活動を続けておりました文学部博物館に、自然史の部門をつけ、さらに技術史の部門の芽を将来的に伸ばしておくという形で、新しい組織が創設されてから7年目を迎えています。そのあいだには、自然史部門の標本収蔵・保管庫を擁する南館が新築され、学内の諸部局から貴重な学術標本を200万点ばかり運び込みました。そして学内の諸先生方のご協力を得て、自然史の常設展示が完成し、さらに京都大学が誇るべき学術成果を博物館展示の形で示す企画も併わせて、平成13年6月1日に一般有料公開を始めたのでした。
 7年前に、わが国の国立大学にある数々の学術標本のこれ以上の散逸を防ぎ、今後の研究や教育の進展のための保管・活用を図るとともに、一般の方々、とくに次代を担う若い人々の科学に対する意識向上に資するために、博物館の組織を創設することになりました。まず京都大学と東京大学に設置され、それ以後さらに6つの国立大学が総合博物館に類する施設を所有するに至っています。ただし大学によって、その組織構成、研究者陣容、展示公開のあり方などは大きく異なっています。
 博物館の歴史を顧みますと、専門分野を単独化させた博物館が、学問の専門分野の細分化に対応するかのように目指されてきたと思われますが、その傾向とは逆に、大学の所有する学術標本に応じて、それらをまとめて活用する構想が描かれることになりました。それはそのような形でしか組織を立ち上げることができない局面に立ち至るまで「放置」されてきた現実があるということかもしれません。後続する国立大学の「総合博物館」で一般有料公開に至っていないことは、あるいは専用の新築建物を見るに至っていない事情はこの事実を反映しているのかもしれません。しかしこの「総合化」はやはり便宜的な措置と考えて、総合博物館の運用・活用に知恵を絞ることが求められていると言えましょう。
 京都大学の場合を話しますと、総合博物館がもっとも気を遣うべきであるのは、収蔵・保管している学術標本の維持管理と研究・教育への活用を図ることでありましょう。文化史の分野は、文学部以来の日本史学、考古学、地理学の3つからなり、長いあいだにわたって蓄積してきた史・資料が30万点をこえてあります。国宝・重要文化財の指定を受けている物件を含めて、保管に気を遣うべき文化遺産も多く含まれています。それに加えて、自然史の分野の標本には、100万点をこえる植物標本をはじめとして、22万点に及ぶ動物標本や、それぞれが数万点の昆虫標本や化石標本があります。このような多種類の、しかも膨大な標本をもつことですから、研究や教育への活用と言いましても、資料・標本の種類によって異なる扱いを必要とすることに難点(?)があります。取り扱いで異なった対応を求める標本をまとめて保管することが必然的にもたらせる「無駄」を避けるべく、博物館の専門分野ごとの単独化が進められてきているのですから、「総合化」の形で博物館を設ける便宜性が求められるとすると、資料・標本の活用を進めるためには、他のサーヴィスが第二義的になることは許されなければなりません。そうではありますがやはり、「総合化」した博物館の活用を真剣に考えるべきであると思います。
 わたしたちは、博物館専任の研究者として9人を擁しています。細分化された分野に従事しているとはいえ、大きく言えば魚類分類学、植物分類学、動物分類学、古生物学、機械工学(技術史担当)、昆虫生態学、先史学、日本史学、地理学を、それぞれが専門としています。しかし「総合化」はこれらの専門の分野以外の標本をも博物館にもたらせることになりました。
 また芽を出しておく形をとると、初めに書きましたが、技術史の分野は、人間社会のなかへの主として自然科学的技術の応用の展開を、時間の流れのなかから概観することを基礎的立場とするのですから、純粋な基礎科学から見ますと、1人や2人のスタッフでまかなえる対象ではないことは明白です。幸いなことに京都大学には、実に多様な面で研究を独創的に進めておられる先生方が大勢おられます。そこでわたしたちの運営委員会のあり方を鋭意検討し直して整備を図り、そうした先生方のお力を、博物館を使っての研究の成果のご発表はおろか、研究や教育そのものの進展に役立てる試みをしていただけないものかと願っているところです。
 平成16年度からは、京都大学も大学法人化を迎えます。総合博物館も中期目標を掲げて、研究・教育への標本の活用をはじめ、京都大学全体の学術活動を展示の形態で示して、一般の方々に知ってもらうための窓口の役割を担おうとしています。また研究の成果を一般の人々に直接的に話しかける場を作り出そうとしています。そして大学は、この姿勢をサポートしてくださるという言葉を、中期目標に明言されることになりました。
 しかし大切なことですが、こうしたわたしたち博物館の存在は、将来的に保証されるものではありませんし、また長期的な保証を求めるするべきでもありません。中期的に期限を決めてその歩みを自ら、そしてより適切な表現としては、大学全体の見地から、存続の是非を含めて評価していくべきものであると確信いたします。10年もすれば常設展示を更新する必要がでてきますので、そのための労力と、とくに巨額にのぼる経費負担になじむかという問いへの判断に迫られると思いますのでこういう言い方になるのです。ただ貴重な文化遺産や学術標本の保管はどうあるべきかという問題や、全国の国立大学レベルでの総合博物館に類する施設のあり方と連動する必要がありますので、単純に答えを出すことはできないとは思います。
 大学法人化する京都大学のもとの総合博物館が1年の後には確実に始まりますが、それは、文化史系の博物館としての歴史はいうまでもなく、この6年の総合博物館としての歩みのうえにつなげていかざるをえません。そしてさらにその次のステップへとの歩みを期待される存在になるべく、わたしたちは鋭意模索し、実を結ばせていこうとしています。 
(総合博物館館長)