研究集会

パリ盆地の後期旧石器時代
- 新しい石器技術学から -

山中一郎


 2003年2月8日に、パリ第大学(ソルボンヌ)助教授(先史学担当)のボリス・ヴァランタン(Boris VALENTIN)博士と、パリ第大学(ナンテール)講師(国立科学研究所研究員)のピエール・ボデュ(Pierre BODU)博士が京都大学総合博物館の研究集会のために来日して、一般の方々への公開で、研究発表をおこなった。 技術学的石器研究は、先史学における最新の開拓分野のひとつと見なされ、石器研究法の革新を進める若手研究者を惹きつけている。来日した2人は、その分野の第一人者であり、「古歴史学(Paleohistoire)」を標榜する旗手として、研究を国際的にリードしている。
 2人の研究フィールドはパリ盆地であり、その研究対象は主として後期旧石器時代である。ヴァランタン博士は、ほぼ13000~12000年前の後期旧石器時代最末期のパリ盆地のデータをまとめて、その年代幅に収まる複数の遺跡の比較を試みた。C14年代数値は、厳密な意味では幅をもった年代しか与えてくれないと言えるので、それに加えて、従来からの石器型式学的検討に、さらに新しく技術学的な石割りのデータを加味させる議論を展開した。この新しい視点に立った研究にあって、その遺跡間比較を成立させる基礎的知見は、複数の重層位遺跡の発掘調査によって意図的に収集されたものであった。しかもその発掘調査は、1990年代に目的的になされており、わが国におけると同じように「行政発掘」の機会を捉えた計画的な展開である点は注目に値する。
 適切な言い方ではないかもしれないが、わが国では1970年代に東京都教育庁の小田静夫さんらによって、日本先土器時代の石器群が層位的関係を知る目的で精力的に掘り出されたことを思い出させた。2万年間に及ぶ時間幅に位置する複数の遺跡の出土資料を、層位的データの対比としてまとめるとともに、石器資料を属性組成的に認識する試みには筆者も参加させてもらった。ヴァランタン博士は、1千年間の時間幅での資料をまとめ、そこに認められる石割りの技術的特徴を抽出して、従来からなされてきた型式学的データと併わせ検討する。パリ盆地にはアジル文化の進展をみるが、1万年前よりも下って、石割りの仕方ががらりと変わるベロワ文化が出現し、これは北東方のアーレンス文化や南西方のラボリ文化の影響を受けて成立すると論じた。ベロワ文化やラボリ文化は1990年代の研究でその存在が明らかにされた石器文化である。
 ボデュ博士は、有名なパンスヴァン遺跡ー20面の石器資料に接合関係を見つけてできるかぎりひっつけることで、石を割る技術についてのデータを整備するとともに、動作連鎖の概念に基づいて石割り作業が展開された跡を、その場におけるヒトの行動として復原させた研究で高く評価されている。今回の研究発表では、後輩のヴァランタン博士の古歴史学を基調とするとして、パリ盆地のそれ以前の後期旧石器時代を前座的に概観するとされていた。そこで是非ともパンスヴァンのご自身の研究は比較的詳しく付け加えてほしいと要望しておいたのである。広大なパリ盆地のそのような長い期間のヒトの歩みを概観するには、発掘されている遺跡の数が乏しすぎることはもちろん否めない。後期旧石器時代が始まるシャテルペロン文化から、オーリニャック文化、ソリュートレ文化と続くが、その35000年前ころから17000年前ころのあいだはとくにそうである。しかし石器研究法における重要な指摘とともに、従来からの知見とはかなり異なった見解が述べられた。
 ひとつは、槍先などとして使われたと思える、見事な両面調整の石器が作られたことに特徴をもつソリュートレ文化についてである。石器の製作技術では最高の段階に到達したとされるこの文化は、氷河期でももっとも寒い時期にあたり、パリ盆地は北に位置しすぎているので、ヒトは南に移動してしまっていて、ヒトの痕跡は乏しくしか残されていない、とされていた。1990年代に調査数が増加したおかげで、果たして、18000年前ころのソリュートレ文化人はパリ盆地にも活躍していたらしいことが認識されるようになった。
 もうひとつは、グラヴェット文化における細石刃の普遍的な剥離の事実についてである。1万年前ころの旧石器時代の最末期を特徴づける細石刃は、3~4cmの長さが幅の2倍以上となる両縁が平行する細長い石片で、それを骨角器などに嵌め込んで機能を強化したり、そろえて柄に埋め込んでナイフなどの機能部をなしたとされるのであるが、実は3万年前ころからかなり作られていたということである。そうした細かい石片を割り取るのに用意され、そして残りかすとなって捨てられた石塊は、従来はそれが「石器」として何かを彫り、削った道具と考え、レイス型彫器と呼ばれていた。その割り取りのための叩きをを施す面を作り出したときに生じた石片が、残りかすとして最終的に捨てられた石片にひっつけられ、「レイス型彫器」にかかわる動作連鎖が復原できた結果、道具ではなくて、石割り作業の残りかすと認識されるようになった。
 2人の発表を聞いてとくに新しいと思った視点は、石が割られる姿が資料に対してかなり具体的に把握されていたことで、相当の研究の蓄積があると感じさせられた。石を割り取る動作(ジェスチュアー)は、用いられる道具ともあいまって、時間と地域を異にする過去のヒトの集団のあいだでかなり明瞭な差を示すことが最近の技術学的研究で明らかにされてきているのである。この点での研究の遅れ、あるいは過去の研究法に固執しすぎる日本考古学の傾向が藤村さんの長いあいだの「ねつ造」を許してしまったと言えよう。
 わたしたちは、藤村さんの悲しい事件を克服するためには、研究法の革新をもって取組み直すしか術のないことを主張した。そのための研究集会を企画し、今回はその第2回目であった。国際的に先頭を切って石器研究をリードする2人の若手研究者を総合博物館に迎えることができたことを嬉しく思う。ここに内容の一部を紹介したが、極めて専門的で質の高い研究発表を聞いた。5時間以上に及んだ講演会に、一般の聴衆も根拠のある推論を追う知的ゲームを楽しんだ。なお参加者は総合博物館に団体入場料金を支払われた。
(京都大学総合博物館長・考古学)


坂出市のサヌカイト原産地を訪ねたときに石を割るボデュ博士と、それを見るヴァランタン博士