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[フィールドノート]

森のちょっといやな生き物

佐藤廉也

 森に暮らす人々の自然観を知るために、初めてエチオピアに出かけてゆく気持ちを固めていた頃、未だ知らぬ調査地へ踏み込む不安から、夢でうなされたことが何度かある。そのうちの一つが、豹におそわれた夢であった。山が好きで、野営の技術にも慣れているつもりだったが、ヒグマのいる北海道を別にして、日本の山には象やライオンや豹がうろついたりはしないし、マラリアのような病気もない。町のエチオピア人もひどく恐れているような森の奥深くに武器を持たずに入りこんで、大丈夫なのだろうか?結構真剣な不安だった。
 実際に森に住みはじめると、いくつかの心配は杞憂だったとわかる。象は乱獲によって、この数年間滅多に姿を見なくなった。ライオンはサバンナに棲み、森に踏み込んでくることは普通はないので、森にいればかえって安全である。マラリアも、少なくとも私の調査地域では、大きな川がないため流行することも多くはない。何より危険な人間の侵略者がいない。この森に棲む人々の口頭伝承によれば、彼らは南方のサバンナから戦争を嫌って森に落ちつくようになった人々の子孫である。森は案外安全で住み易い場所であった。豹はといえば、森の中に棲み、ときおり集落にもやってきて、夜中に鶏をさらっていくこともある。しかし、近くに痕跡はあっても、姿をみることはあまりない。人々も、豹が人を恐れて姿をみせないことを、知っている。
 点在する小さな集落を求めて森の中を旅していて、一度だけ至近距離で豹に鉢合わせそうになったことがある。小さな踏み跡を辿っているとき、旅に連れ添ってくれていた若い友人が、細い水流をわたる手前で急にぴたっととまり、緊張を顔に表した。最初何事かわからなかったが、立ち止まったまま耳を澄ますと、かすかに「クルルル・・・」という唸り声が聴こえる。少し待ってから水流に出ると、泥の上に生々しい足跡があった。水を飲みに来て、こちらの存在に気付き、対岸の踏み跡を引き返していったようだ。
 しかし、豹が好んで人間を襲うという話は聞かないし、むしろ豹皮をとるために罠にかけられる豹の方が、人間の受ける被害よりも大きそうだ。森の中で、やっかいな動物というのは、もっと身近にいる小さな連中だ。例えば、森の人々が非常に恐れるのは、サファリアリである。アリたちは、豹やライオンと違って、身の危険を察して人を避けたりはしないし、一匹一匹は命知らずである。噛まれると結構痛いし、体をちぎられても食いついた頭は離れない。とりわけ雨季の間には、集落の近辺におびただしい列をなして行進する姿がよく見られる。家の近くに巣を発見すると、事態は深刻である。しばしば、夜中に家の中を襲うからである。夕方に気付いたときなど、アリよけにキャッサバの葉を家の周りに敷き詰めたりするが、特効薬とは言いがたい。下手をすると、しばらく避難して人の家にやっかいになることにもなりかねない。
 一度、思い知らされたことがある。夜中の3時頃に、ポツポツという雨音を聞いて目を醒ました。雲ひとつない空だったのに、おかしいな、と思って寝袋につっこんだ頭を持ちあげてみると、小屋の中や寝袋の上に何かが揺れているように見える。闇に目が慣れると、床一面にアリが行進しているのが見え、寝袋の下半分にまでせまってきていた。雨音にきこえたのは、アリが這う音だったのだ。一目散に外に脱出し、夜明けまで外で呆然として過ごした。以後、夕方になると落ちつかず、家の裏などを丹念に点検せずにはおれなくなった。

ねぐら

筆者のねぐら

 アリほど恐ろしくはないが、日常的に悩まされるのが、皮膚の中に卵や幼虫をうみつけるハエやノミである。とくに足の裏や爪の周りに卵をうみつけるスナノミは、予防するのが難しい。やられても命にかかわることはないが、ほっておくと皮膚の中の卵は大きくなって痛むし、運が悪いと取り除いたあとに化膿して足がボロボロになる。特に乾季になると、毎日のようにやられ、足まわりを点検するのが日課になる。発見すると、安全ピンでつついて、卵を取り除いてやるのである。他の人々も、暇なときに寝ころんで足をちくちくとやっている。大きく膨らんだ卵が取り出された時など、嬉しくて採集ビンに入れて日本に持ち帰ったこともある。

すなのみ

足にもぐりこんだスナノミをとる

 スナノミは、人間以外の動物にも寄生するらしい。捕らえられたヒヒの子を見たとき、手の指にスナノミが入って腫れているのをみた。むしろ、針でつつかれて焼かれてしまう人間の場合よりも、こちらに寄生するのが成功事例なのかもしれない。ライオンにも寄生するのかどうかは知らないが、これらは大きな敵よりかえっていやな「獅子身中の虫」である。私と暮らす人々にとっては、生活技術を学ぶ、と言って居座りながら、いつまでたっても自分の食べる畑ひとつ満足に作れない外国人の居候の方が、よほどやっかいな生き物かもしれないが・・・。

(京都大学総合博物館助手・人文地理学)