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【収蔵資料散歩】

鉄道黎明期に作られた木製蒸気機関車模型


城下荘平


 機械工学科に1台の古ぼけた木製の機関車模型が保存されている(写真参照)。

木製蒸気機関車模型

木製蒸気機関車模型(2.2m×0.6m×1.0m)

大きな円筒は曲げた薄い木板を幾枚かつなぎ合わせたものであり、小さな円筒は木の丸棒の中をくりぬいて作ってある。レールももちろん木製である。六角ナットや軸の端のピン止めのピンに至るまで木で作られている。たまたま平頭の鋲が抜け落ちていた穴を観察すると、なんとテーパがつけてある(直径が奥になるほど小さくなっている)。機関車先頭の煙室扉は開閉できるようになっており、開けると少し奥に多くの穴のあいた仕切り板が見え、その向こうに管が繋がっていることが理解できる。外観だけでなく、内部まで実物に忠実に作ろうとした意図に驚かされる。これほど精緻に作られた模型であるが、関連資料が残されておらず、機械工学科の草創期からあったらしいという以外にはじつは何も分かっていない。そこでまず、いくつかの特徴からその原形の機関車形式を特定することにする。
 機関車にはタンク機関車とテンダ機関車がある(図参照)。


タンク機関車とテンダ機関車

タンク機関車とテンダ機関車(1)

タンク機関車とは機関車自身に石炭と水を搭載しているもので、普通はボイラの両面にサイドタンクと称するタンクを持っている。テンダ機関車はサイドタンクの代わりに後部に炭水車(テンダ)を連結したもので長距離運転用に製作されたものである。模型にはサイドタンクはなく、テンダ機関車であることが分かる。
   車輪は前部から後部へ、先輪、動輪、従輪が配置されており、先輪あるいは従輪がない場合もある。機関車の名称にはこれらの車輪の数が使われる。ただし、先輪と従輪はその個数をそのまま使用するが、動輪の場合は、アルファベットを使用する。動輪が1つの場合はA、2つの場合はB、以下同様に3つがC、4つがDという具合である。たとえば、先輪が2つ、動輪が4つ、従輪が1つの機関車の名称は2D1となる。模型の場合は先輪が2つ、動輪が2つで従輪はないので2Bとなる。
 鉄道創業当時の機関車(2)のうち、2Bテンダ形機関車のみを抜粋すると6形式にしぼられる(表参照)。

鉄道創業当時の2Bテンダ形機関車一覧表
製造会社 形式別の最初の機関車の製造年明治42年制定の車両称号規程による形式
キットン社明治7 (1874) 年5100
キットン社明治9 (1876) 年5130
ダブス社明治17 (1884) 年5230
ベイヤー・ピーコック社明治15 (1882) 年5300
ベイヤー・ピーコック社明治15 (1882) 年
明治17 (1884) 年改造
5490
ニールソン社明治24 (1891) 年5400

このうち、5300形(写真参照)と5400形はたんにメーカーが違うため形式が分けられただけで同形機である(3)。


5300形蒸気機関車

5300形蒸気機関車(写真:交通博物館所蔵)

そこでこれら5種類の機関車の写真(3),(4)を見比べてみる。タンク機関車からテンダ機関車へ改造された後もタンク機関車の外形を保っているものは明らかに模型とは異なるので除外できる。さらに特徴を見比べると、模型のように先輪の上にあるシリンダと歩み板が傾斜しているものは5300形式しかなく、他の形式のものは全て水平になっている。したがって模型機関車は2Bテンダ5300形であることが特定される。上部の蒸気溜が一見異なるのは、実物の5300形の蒸気溜にはカバーが被されており、模型でははずされているからである。このことからも実物に忠実に作ろうとした意図がうかがえる。
 5300形はイギリスのベイヤー・ピーコック社で1882(明治15)年に最初に製造された機関車である。24輌が輸入され、鉄道作業局、山陽鉄道、日本鉄道で旅客用として使用された。寸法の詳細は省くが、機関車先端の自動連結機からキャブ(運転台。ただし模型にはない)までの長さが約8.5m(5)あり、模型の縮尺が1/4であることが推定される。
 ところで、東京- 新橋間に鉄道が開業したのは1872(明治5)年であり、以後イギリスの技術指導により全国に鉄道網が張りめぐらされて行った。1889(明治22)には東海道線(新橋 - 神戸)が全通したが、当時のわが国では機械工業そのものがまだ籃期にあり、蒸気機関車はすべてイギリスとアメリカからの輸入に頼らざるを得ない状態であった。しかし鉄道建設が進むにつれ機関車の国産への必要性が痛感されるようになった。ようやく、1893(明治26)年に神戸にあった官営鉄道の車両保守工場において、イギリス人R. F. トレビシック氏の指導の下に、主要部品は輸入ながらも機関車の組立・製造が行われた。なお、このとき、後に京都帝国大学講師として赴任する森彦三博士も参画していた。木製模型はこのような時代に、蒸気機関車国産の意気に燃えて当時の技術者がその構造を理解するため木で作り上げたものと推定される。木で作ったのは金属を自由に工作加工できる程の機械工作技術がなかったためであろう。
 京都帝国大学は1897(明治30)年に創立されたが、最初の学科として設置されたのが機械工学科であった。国を挙げて殖産興業が推進される中で、工業の発展のためには機械工学が極めて重要であるという、当時の国家的要請によるものであった。文明開化の先駆と言われた鉄道は最先端技術であり、機械工学科の当初の講義でも前述の森彦三講師によって「機関車」の講義名で開講され、また、「往復式蒸汽機関」、「機械設計法」、「鉄道車輌」等の講義も開講された(6)。木製の蒸気機関車模型はそれらの講義のなかで貴重な教材として使われたのであろう。
 どのようにして製作されたのか詳細は不明であるが、この木製蒸気機関車模型は鉄道黎明期の製作者の意気込みを100年の時を経て今に伝えている。

参考文献

  1. 野田正穂・原田勝正・青木栄一・老川慶喜編、日本の鉄道 - 成立と展開 - 、日本経済評論社、1994年
  2. 日本国有鉄道百年史 第2巻、日本国有鉄道、1970年
  3. 交通博物館所蔵 明治の機関車コレクション、機芸出版社、1968年
  4. 川上幸義、私の蒸気機関車史(上)、交友社、1978年
  5. 金田茂裕、日本蒸気機関車史、交友社、1972年
  6. 京都大学七十年史、京都大学七十年史編集委員会、1967年
 模型機関車を最初に調査された八木明氏、資料とご教示を戴いた工学研究科 駒井謙治郎教授に謝意を表します。

(京都大学 総合博物館助教授・技術史)