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【研究ノート】

クマカサゴ

中坊徹次
 ときどき、よくこんなものがいままで発見されずにいたものだ、と思える種に出会うことがある。最近ではクマカサゴがそうである。初めて標本をみたときには大変な驚きであった。こういう時、一瞬ではあるが思考がとまったようになる。すこし時間がたってから、さてどのように調べていくかを考えはじめる。そして、調べ終わって今度は論理的な驚きに変わるのである。やはり、変であったか、となる。どこが驚きなのか、なにが変なのか。
 クマカサゴは名前の通り、カサゴの仲間である。詳しく言えば真骨類のフサカサゴ科に含まれる。1987年7月28日東シナ海のほぼ中央部の水深138mの海底から採集され、長崎市在住の喜多次吉氏が水産庁西海区水産研究所の山田梅芳氏のところに持ち込み、山田氏は変なカサゴだと思いつつ、結論を保留した。しばらくおかれた後、1994年に中坊と山田氏が共同研究を開始したのである。そして、1996年5月に日本魚類学会の英文誌であるIchthyological Research 43巻2号で新属新種として発表された。
 クマカサゴはごつごつした頭とごろんとした体をもち、一見してカサゴの仲間と知れる形をしている(図1)。

クマカサゴ

図1. クマカサゴの完模式標本
FUKU61187
標準体長237.7mm
東シナ海産

しかし、団扇のような胸鰭をもっており、これはカサゴの仲間では少々変わっているのである。カサゴの仲間はおおむね底性であり、岩礁のあるところで、それらに依存しつつ生活している。かれらの胸鰭は岩の上で体の安定を保つために下半分の鰭条(ひれのすじ)が厚くなっていることが多い。胸鰭を広げ、その下半分を岩の上に接して体を支えるのである。これはカサゴの仲間が、あまりひらひらと泳ぎ回る魚ではないことと対応している。クマカサゴの胸鰭は団扇のようで、下半分の鰭条が厚くなっていない。これでは岩の上で体の安定を保つのに胸鰭を使えないであろう。つまり、カサゴの仲間らしくないのである。
 さらに、クマカサゴには小さいとはいえ鰾袋がある。カサゴの仲間が属する真骨類はたいてい鰾袋をもっている。真骨類の鰾袋は浮力調節能力がある。カサゴの仲間ではメバルのように典型的な魚のかたちをして海藻の間で、底から離れて浮いているものは鰾袋をもっている。しかし、ごつごつした頭とごろんとした体をもち岩礁の底に依存して生活しているものは、ほとんど鰾袋を消失している。この点でもクマカサゴは変わっている。
 団扇のような胸鰭と鰾袋はごつごつした頭とごろんとした体にまったく似合わないものなのである。生物の各種は自然選択の結果、現在という断面において存在している。それぞれが存在の価値と理由をもっている。クマカサゴのアンバランスは私の理解がおよばない。どうして、このような種が存在しているのだろう。私には不思議でならない。
 京大の魚類分類学は農学部水産学科の故松原喜代松教授によって、今から50年前に始められた。松原先生は1955年に日本産の魚類の総てを網羅した名著「魚類の形態と検索」(図2:準備中)を著され、日本の魚類分類学に金字塔をうちたてられた。この名著はながらく魚類分類学を学ぶものにとってバイブルのような存在であった。その松原先生の学位論文がカサゴの仲間の系統分類学なのである。京大には松原先生が学位論文を書かれたときに使用されたカサゴの仲間の標本が残っている。クマカサゴの新種記載のもとになった模式標本も松原先生の残されたカサゴの仲間の標本群の仲間入りをしたわけだが、先生が生きておられクマカサゴを御覧になられたらどのように思われたであろう。先生のたてられたカサゴの仲間の系統樹のどこに組み込まれたであろうか。
 もうひとつ、わからないことがある。クマカサゴはまだ模式標本の1個体が採集されただけである。東シナ海は漁業が盛んにおこわれている海域である。以後、採れたという話はきかない。生息密度がかなり低いのだろうが、産卵し再生産をしているはずである。大体、真骨類という魚類はかなりの卵を産む。いったい、どこでどれだけの個体数が生息しているのだろう。私のみたクマカサゴは幻なのだろうか。しかし、たしかに模式標本はFAKU 61187 という登録番号をつけられて京大に保管されているのである。

(京都大学総合博物館教授・魚類学)