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本学所蔵の技術史関連標本資料とその果たすべき役割
駒井謙治郎

 京都大学総合博物館の新館の建設が,2001年度開館を目指して,旧文学部博物館南側で急ピッチで進められている.総合博物館の中身は,文化史,自然史を中心として,これに技術史を一部含んで構成されるようであるが,本学における技術史関係の資料の収蔵状況は,平成7年度京都大学教育研究特別経費による調査・研究報告書の中で,「京都大学所蔵技術史関係標本資料の収蔵状況」(1996年3月刊)に纏められておりその概要は以下の通りである.
 技術史関連標本資料は,工学部,農学部,総合人間学部に主として所蔵されており,総合人間学部の資料所蔵状況は,旧制第三高等学校所蔵機器資料調査グループによる別途資料がある.工学部所蔵資料の特色を要約すると,本学が東京大学のように大震災や戦禍を受けなかったことにより,創立以来の貴重な資料が多数保存されていることにある.これは,土木工学,建築学,機械工学,電気工学各教室に当てはまるが,工業化学教室では,残念ながら,度重なる移転等により殆ど資料が残されていない.
 土木工学教室では,戦前・戦後の教育および研究に用いられた種々の計測機器(主に輸入されたもの)がケースの中に保管されており,また,トンネル掘削のためのシールド工法の概念模型や鴨緑江鉄道橋,他構造物の模型7点がよく保存されている.琵琶湖疎水写真,琵琶湖疎水水路閣,蹴上水力発電所写真,田邊朔郎教授が記した琵琶湖疎水図面集,創設期の英文で執筆された卒業論文・卒業設計図面集,橋梁設計教材模型等の貴重な資料等は現在,土木100周年記念事業で整備された資料展示室に展示されている.
 建築系教室所蔵資料は教室創設時及びその後10数年間に収集(購入・寄贈)されたものが大部分を占め,我が国でも抜きんでた貴重な資料が多数保存されている.特記すべきコレクションとしては,まず第一に日野,法界寺阿弥陀堂模型(国宝建造物の大規模(縮尺1/10),かつ精巧な模型)と,F. L. ライト設計になる帝国ホテル模型がある.とくに後者は,近代建築において著名な建築家ライトの傑作で建築そのものは戦後撤去されて現存せず,その一部は明治村で復元されてはいるが,全貌を知ることができる資料として唯一のもので,現在、国の内外から展示借り出しの希望が相次いでいる貴重な模型である.その他,阿弥陀堂(法界寺)模型,三層宝塔(浄瑠璃寺)模型,法隆寺伽藍模型,枢密院鉄筋模型等,数十点の大型建築模型が保存されている一方, 古建築標本として,浄妙寺高欄一部,東福寺古柱,鎌倉時代高欄一部,東福寺東司桝,肘木,智恩寺多宝塔巻斗,法隆寺中門巻斗,壁一部,工芸品として,中国唐代名器,エナメルトリプッシェ,唐代土豚,古代襖引手,唐代土馬等々がある.
 機械工学教室所蔵資料も建築学教室と同様,教室創設時及びその後10数年間に収集(購入・寄贈)されたものが大部分を占め,とくに,全長2.2mの全木製蒸気機関車模型と全木製台車模型は,たびたびマスコミにも取り上げられ,内外の研究者が調査に訪れるなど,極めて希有なものである.また,1890年代に独より輸入された機械メカニズム教育模型69点,全木製クランク機構模型,全木製蒸気機関模型,複動蒸気機関ピストン模型(アメリカ製)等の教育用模型,1920年代に,独,スイスより輸入された工作機械,測定器械十数点,これもドイツより輸入された機関車,鉄道車両設計図三十数点等が保存されている.
 電気工学教室には,開学にあたりドイツから購入した直流交流両用発電機,外国から輸入された電気工学参考書,さらに,電気工学教室で開発・製作された電球実物等が保存されているが,土木,建築,機械各教室と比べると点数は少ない.
 以上述べたように,工学部には他大学にはない貴重な科学技術標本が多数保存されており,これらの標本には,京都大学の歴史のなかで一時代を築いた証となるものや,技術の伝承,技術の原点として大きな価値があるものが少なくない.
 大学と社会との関わりが強まり,大学における教育・研究への社会の理解が益々必要とされる時代にあって,博物館には,本来の研究・教育を行うのみならず,市民に解放された情報発信基地としての役割が課せられている.それでは情報発信基地としての総合博物館において,技術史部門を設ける意味は何処にあるのであろうか.
 21世紀を目前に控えた今日,目覚ましい科学技術の進歩と歩調を合わせて社会全体の変化もまた,目まぐるしいものがあり,とくに,情報革命が我々の生活を根本から変えつつある.21世紀においても日本が日の当たる国になれるかどうかの分かれ目は,国民,とくに,若者がどれだけ情報・技術革命に関心を示すかどうかにかかっているとされている.我が国のように全く資源が無く,食料,エネルギー,工業材料のほとんどすべてを輸入しなければ生きてゆけない環境下で,今後もモノを輸出して外貨を稼いで行くには,いわゆるモノ作りに繋がる科学技術への国民の理解を欠くことができないことは明白である.すなわち,技術史部門の役割の一つは,21世紀の日本の科学技術のさらなる充実に向けて国民的合意を形成し, 若者の理工系離れを防ぐ啓蒙活動を展開することにある.大学に対する市民の関心の高さは,京都大学創立百周年の記念事業の一環として1997年11月に開催された,展覧会「知的生産の伝統と未来」(総合博物館において開催)と,同工学部サテライト会場への入場者総数が約一万八千人と予想外の多数に上ったことからも明らかである.
 総合博物館が,本学に保存されている多数の貴重な技術史関連の標本資料を活用し,本学が科学技術の発展に貢献してきた軌跡を展示すること,さらに,若者が気軽に訪れて標本模型等を目にし,科学技術の可能性,楽しさに目覚める機会を提供すること,この二つを総合博物館が提供できるならば,これに越したことはないと考える.
(京都大学大学院工学研究科教授・機械材料設計学)