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第7回公開講座+2の記録(2000年5月)
変わりゆく身のまわりの自然

この数十年の急激な経済成長によって,わたしたちの国土は大きく変貌した。身のまわりの自然はどのように変わってしまったのか,里山や水辺など身近な自然の変容についての講義を通じ,人間と自然の関わり方を考える。


5月20日(土) 午前の部 里山を考える
田端英雄(里山研究会)

里山とは歴史的に繰り返し繰り返し薪や炭を生産するために伐られてきた林-里山林と,それに隣接するため池,ため池の土手,用水路,田んぼ,田んぼの畔などの農業環境とからなる自然である。その里山の生き物はいわば身近な生き物である。その身近な生き物たちに異変が起きている。急速に数を減らしたり,絶滅に瀕しているものもある。減反による耕作地の放棄や,薪炭生産を中心とした森林利用から柱材生産重視など,農業や林業のあり方が急激に変わることによって里山の多様な環境が急速に失われているのである。里山という身近な環境の生物多様性を保全するためには,里山を伐って利用したり,減反政策を見直して中山間地の農業環境を復活させる,新しい林業や農業のあり方を考える必要がある。しかし,あまり時間は残されていない。

5月20日(土) 午後の部 「草は世につれ─雑草をどうみるか」
三浦励一(京都大学大学院農学研究科)

 雑草に代表される身近な生物相は,人間の生活様式の移り変わりにともなって栄枯盛衰をとげてきた。雑草といえばたくましさの象徴であったが,農業技術の進歩はデンジソウをはじめいくつかの水田雑草を今や絶滅の危機に追いやっている。京都の巨椋池は数知れない犠牲者を出してきた水害常襲地であったが,治水・干拓事業の成功の陰で,全国有数の水生生物相は壊滅した。消えてゆく植物がある一方,都市を中心に,帰化植物の流入が続いている。帰化植物は自然に対立するものと捉えられがちであった。しかし,古く日本に農業が伝播した頃には,農業による自然破壊の跡にやはり帰化植物が生えるようになったと推測されており,そのように古い帰化植物は,多くの日本人にとっては自然の一部と認識されるに至った。このことを考えれば,「都市には自然がない」というよりも,むしろ雑草や帰化植物を自然と認め,つきあいを深めていくことも可能であろう。


水田刈後のサンショウモとデンジソウ(福井県中池見)

5月27日(土) 午前の部 日本の渚:汀線の自然
加藤 真(京都大学大学院人間・環境学研究科)

 海と陸との接点である渚には、流れ込む川があり、満ち引きする潮があり、うち寄せる波がある。海の広大さから見れば、それは海岸線につらなる線状の「海の縁」にすぎない。しかし、海の生命の多様性と生物の豊饒さの中心はこの渚にあり、また人々と海との接点もこの渚にあった。そして、海の生態系の中で人間の影響を最も強く受けているのもこの渚である。
 複雑に入り組んだ日本の海岸線に沿って、岬の突端には波の砕ける荒磯が、外洋に面したなだらかな海岸線には白砂青松の砂浜が、入江の奥にはヨシ原にふちどられた干潟が形成されていた。その原風景は、清き渚、豊饒の渚、寄りもの寄する渚、まれ人来臨の渚に象徴されるだろう。渚は、河口、干潟、藻場、磯、砂浜、サンゴ礁、ヒルギ林という七つの類型に分けることができるが、それぞれの渚の失われゆく原風景と、そこでの生物多様性と生態系を紹介しつつ、渚の現状と未来について考察した。


四国興津小室の浜

5月27日(土) 午後の部 追われる生き物たち
永益英敏(京都大学総合博物館)

生命の星である地球上にはさまざまな生物が生息している。しかし有史以来継続して続けられてきた地球上の生き物たちの目録作りはまだまだ完成にはほど遠い。いったいどれくらいの種数の生物が存在しているかすら見当もついていないのである。それにもかかわらず,もっとも生物多様性が高いと信じられている熱帯地域を中心に原生的な生物環境は急速に失われており,数多くの生物たちが確実に絶滅に向かっている。日本の絶滅危惧生物の調査を例に,その現状を紹介した。生き物たちを絶滅に追いやっている大きな原因は開発や乱獲,そして人間によって不注意に持ち込まれた本来そこに生育していなかった侵入生物である。環境からみると水辺,草原・里山,島嶼などに生育する生物の多くが絶滅の脅威にさらされている。急速な個体数の現象はその生き物にとってどのような意味を持つのか,そしてなぜ生物の多様性を保全しなければいけないのかについて解説した。