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ふれあいサイエンス
大野照文
●はじめに
   今年、文部省は、ひょっとすると後世に高く評価されるかもしれないプロジェクトを一つ立ち上げた。それが「ふれあいサイエンス」である。実験や実習をつうじて高校生や中学生に、大学でどのような研究が行われているかをじかに知ってもらおうという趣旨である。今年は北海道から長崎県まで、全国50の大学で、研究室、農場や臨海実験所を会場にして、数日の日程でそれぞれの大学の特色を生かしたプログラムが組まれ、一部は終了、一部はこれから行われる予定である。全国で50のプログラムが企画され、多くのものは夏休みに企画され、我々のプログラムも8月9日から8月11日にかけて行った。
 プロジェクトの画期的な点はつぎのようなものである。それは、このプロジェクトが文部省が大学を今までにもまして社会に開放する姿勢を明確に打ち出した点にある。従来からも文部省は学会などに学問の成果を社会に普及させるための講演会開催などの助成を年間数件程度行ってきたが、今回は、一挙に50ものプログラムを同時に走らせて、大学における研究を組織的に一般に公開する積極的姿勢をみせたことである。
 もう一つ重要なことは、予算の出所が文部省の学術国際局つまり大学を所轄する部署でありながら、そのサービスの対象が、中学・高校生であるという点である。文部省は、内部の縦割りの所管の壁を破って、高等教育担当の局が初等・中等教育局の所轄である中学・高校生に知的サービスの提供を行ったもので、これも高く評価される点である。昨今、「理科離れ」や、大学生の基礎学力の低下など、資源に乏しい我が国の生命線の一つである「科学立国」の基盤を揺るがしかねない事態が進行している。その対策が叫ばれている点からも、プロジェクトがこの時期に立ち上がったことは非常に時機を得たことである。
 京都大学総合博物館では、このプロジェクトの公募があったとき迷うことなく応募を決めた。それは、このプロジェクトに対して、答申を受けて今全国に整備されつつある大学博物館が大きな役割を果たしうると考えたからである。平成8年、学術審議会は答申を出し、大学における学術標本の保全、研究を行うとともに、展示や公開講座などを通じて社会に開かれた大学の窓としての役割を担うユニバーシティ・ミュージアムを整備してゆくべきことを強く求めた。
 京都大学では、この答申を先取りする形で、10年以上前から250万点の学術標本資料を一元的に収蔵・保全し、研究・教育に積極的に活用するとともに、全学の研究成果を広く一般に公開することを目的に大学博物館建設を独自に構想してきた。この、答申の趣旨にぴったりの企画が文部省の受け入れるところとなり、平成9年に組織が発足、今年3月には自然史棟の建設が開始され、従前から存在する文化史棟とともに、2001年にはオープンする。
 このような役割を自負する総合博物館にとって、このプロジェクトは、まさに腕の見せ所と考えたのである。

●テーマ
 3日コースのテーマとして取り上げたのは、「大文字山の科学」であった。副題として「総合科学入門」とつけたが、それには、館の側に次のような思い入れがあったからである。
 京都大学におかれた博物館に「総合」の二文字が冠せられていることを館のスタッフの多くは誇りに思うとともに真摯に受け止めている。というのは総合博物館の教官数はわずか9名と少ないものの、そのカバーする分野は、理系・人文系の広い学問領域にわたっている。そこで、新生の博物館にこれだけの分野を網羅する人材のいるメリットを生かし、20世紀に極端にまで細分化した学問領域をもう一度横断的に見渡し、総合博物館から21世紀型の新しい総合的学問を構築しようではないかとスタッフは意気込んでいるのである。ただし、新館建設の雑事にかまけて、意気込みに比べて行動が必ずしも伴っていなかった点は否めない。そこで、ふれあいサイエンスを機会に、我々スタッフ自身も真剣に「総合科学入門」してみようということになり、副題にわれわれの決意表明ともいうべき思いを込めたのである。

●準備
 6月に我々のプロポーザルが採択され、実施案が検討された。コースの骨子としては、1)なぜ大文字山があるのかについての地質学、2)大文字を始め東山の麓に寺院が存在することの地理学的考察、3)大文字山周辺にかつて大伽藍を誇った如意寺とその興亡についての史学的考察、4)大文字山の動物学、の4つを取り上げることとした。大文字山の植物、また、大文字山の南を琵琶湖から京都に流れる疎水の話も候補として上がったが、残念ながら担当教官の日程調整がつかず次回にまわすこととした。
 講義のテーマを決めたり、その下準備をするのは、大学教官にとっては日常茶飯事であって、さほど問題なく進行した。ただし、博物館は建設中で、まだ自然史の実習に使える岩石、動物標本などは、理学部などからかり出す必要があり、とりわけ動物の実習につかったカモシカの剥製や全身骨格標本の運搬などでは、大学院生の諸君の手を煩わすこととなった。

 しかし、一番苦慮したのは人集めだった。今年は、募集事務は学術振興会が中心になって行い、分担する大学チームでも独自に努力するというやり方になった。しかし、初年度のことでもあり、われわれのプログラムが8月9日から始まるのに対し、学術振興会で用意した応募呼びかけ冊子が完成したのが7月初旬であり、8月開催分の参加締め切りの7月21日までわずか10日あまりという厳しい状況であった。われわれのプロジェクトの参加定員は、30名であったが、締め切りまでには、わずか5名しか集まらなかった。この間、総合博物館館長の瀬戸口烈司は、市内の高校へポスターと宣伝パンフレットをもって挨拶にゆくなど体を張って募集活動に邁進してくれた。また、京大の本部でも事務組織を通じて教職員の子弟の参加を呼びかけてくれた。ありがたかったのは新聞やラジオ局で、プログラムの開催の直前まで参加の呼びかけをしていただいた。それでも、ようやく20名の応募者を確保するのが精一杯だった。今後ともこのような企画を進めてゆく上で、募集方法については、真剣に改善策を考えなければならないという課題が残された。
 一方では、準備段階でいくつも楽しいことがあった、とりわけ楽しかったのは、プログラムの最終日に予定されている大文字山登山の下見であった。自然系と人文系の教官が一緒に山へ登ったのである。7月21日、カンカン照りの暑い日で、銀閣寺の脇を通って大文字の大の字の頂点までの登りは大変つらいものがあったが、登りの道すがら露出する岩石や、銀閣寺の境内を通る断層についての説明を文化史の教官は興味深く聞き、大の字の頂点の展望台から大文字山三角点、そして池の谷地蔵にかけての山中に展開する山城の跡や如意寺跡の主要伽藍の一つである深禅院跡では自然史の教官が実際に遺跡を目前に文化史の教官の話を聞き感動するなど楽しい一日であった。そのなかで、このようなやり方が「総合科学」つながるヒントも見つかった。それは、深禅院跡の茶の木であった。日程上プログラム当日は参加できない植物学の教官が、深禅院跡で茶の木を何本も見つけたのである。そして、その場でこの茶の木が天然のものか、それとも深禅院のころに仏教と関連して移植されたものなのかが話題になった。そして、詳しい史学的検証と、一方では、DNA分析を加えることによって茶の木から失われた如意寺の実態に多きく迫れるのではないかという結論に到達したことである。今建設中の新館には、DNA分析装置も導入される。そうすれば、文系の学生も容易にこのような装置の恩恵を被ることができるようになるのである。自然史的手法を強く加味した史学が我々の博物館で生まれるかも知れないのである。このような期待を持つことができた下見の登山は、心地よい疲労をもたらして無事終わった。

●開催
 さて、開催前に心配したのは、我々博物館側の壮大な夢「総合科学」の創造という意気込みが、参加してくれる中・高校生に伝わるだろうかということであった。さいわい、この点は、杞憂に終わった。最初の2日間は、4つの講義と、それに関連した実習あるいは、博物館の見学に当てられたが、おおむねどの講義・実習も非常に興味をもって聴講された。各講師ともスライド・OHP、実物標本などを交えて生徒達には初めての内容をわかり易くかみ砕いて伝える努力をしていただいた。もちろん、すべての内容を理解した訳ではないと思う。しかし、わからないなりにも、第一線で研究している講師達からほとばしり出る迫力は生徒達に十分伝わったはずで、教科書でもテレビでも、たのいかなる媒体をつかっても伝えることのできないこのような学問の熱気を伝えることのできる場として、ふれあいサイエンスの果たす役割は大きいと実感された。講義とともに、各講師が特別の配慮で見せてくれた日本最大のアンモナイト、あるいは織田信長、豊臣秀吉の直筆書状など、今回参加した生徒達にとっては一生忘れることのできない思い出となっただろう。

●最終日の雨
 最終日は、奈良県や兵庫県では、警報がでるほどの悪天候であった。しかし、9時30ぷんの集合時刻には、11名が集合してくれた。この悪天候をついて、しかも大文字山へは登らず、午前中銀閣寺へゆくだけという予定縮小にもかかわらずこれだけの人数があつまってくれたのは前の2日間の講義・実習の内容が生徒たちに評価されたことの一つの証であり非常に心強く思われた。京都大学から徒歩で銀閣寺に向かう短い巡検ではあったが、道すがら大文字山をつくる岩石、断層地形、そしてそこに立地する銀閣寺について、専門の講師の説明を聞くことができ、参加した生徒たちは飽きることなくついてきてくれた。

●約束
 銀閣寺を見終わっていよいよ解散というとき、生徒達からは、ぜひとも大文字山に登る機会を別の日に設けてほしいとの強い要望がでた。ふれあいサイエンスとしては、事業の都合上これで終了することとし、秋の天候の良い日に大文字山へ登る企画をかならず実施することを約束して解散した。

●夢
 わずか20名足らずの参加ではあったが、生徒達の大半は大変熱心で、とりわけ参加者の大半を占めた女子生徒の熱心さが目立った。そして、京都大学での研究者像や研究スタイルについて、共感をもって体験してくれた。彼らは、これからの高校の勉学の中で、偏差値というフィルターを通してではなく、自分たちで目撃した大学像を尺度にやがて自分たちの進むべき分野や大学を選んでくれるのではないかと期待する。さらに、彼らの中から、我々のプログラムをきっかけにした興味を抱いて大学に進学してくれる生徒が出てくればこれに勝る幸せはない。数年後に、そのなかの一人が総合博物館の新館で、如意寺の由来を調べるためにそこに生えている茶の木のDNA分析をしている様を夢に描きながら報告を終わる。

(総合博物館教授)