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ニュースレター

No. 5(1997年10月25日発行)

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表紙写真
「明治四十五年当時の正門」

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京都大学創立百周年記念展覧会「知的生産の伝統と未来」

  • 1997.10.28(火)-11.24(月=振替休日)
  • 9:30-16:30
  • メイン会場:総合博物館、附属図書館展示室(3階)

京都大学は今年、創立百周年という記念すべき年を迎えることができた。この間に数々の高度な学術研究の成果が生み出され、京都大学は日本を代表する研究・教育機関としての地位を確立した。

このたび「知的生産の伝統と未来」と題する記念展覧会を企画し、京都大学の独創的な学問の歴史を回顧するとともに、未来の大学像を模索することになった。展示会は学内各所で行なわれるが、メイン会場となる総合博物館ではさまざまなモノを出展し、それらのモノに「知的生産の伝統と未来」を語らせることにした。発掘調査の出土品、碩学の著作や遺品、研究教育のための道具・模型、ノーベル賞のメダル、弾圧に抗する声明文。そうしたモノのすべてが、京都大学の一世紀の歴史を語り、進むべき道を指し示すだろう。

この展示によって、京都大学についての理解を深めていただくとともに、広く日本の学問研究の伝統と未来を考えるよすがとしていただければ幸いである。

総合博物館会場 展示紹介
古代への情熱

京都大学には日本で唯一、戦前から考古学講座が設置され、国内・国外にわたる調査を続けてきた。その結果、国際的にも有数の考古資料を所蔵するに至っている。ここでは発掘調査での出土品のほか、考古学にもとづく古代研究の方法を展示する。

展示品:椿井大塚山古墳の三角縁神獣鏡、久津川車塚古墳の長持形石棺ほか

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椿井大塚山古墳の三角縁神獣鏡

工学事始

近代日本の発展のためには、工学研究が不可欠であった。京都大学でも最初に理工科大学が設置され、新進気鋭の精神で研究が進められた。工学部機械工学・土木工学・電気工学・工業化学・採鉱冶金学各教室の所蔵資料から、そうした努力の跡を振り返る。

展示品:蒸気機関車木製模型、琵琶湖疎水工事図面集、橋梁設計教材模型など

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創設当時の電気工学教室実験室

名建築

京都大学構内の建築群は、日本近代の建築文化の歩みを物語る。質朴なデザインから装飾性豊かな西洋様式へ、そして1910年代のセセッション、20年代の表現主義、30年代のアールデコ…、と近代建築運動の軌跡が刻まれ、今も新しい建築作品が生まれている。

展示品:時計台・建築学教室・人文科学研究所・楽友会館等の写真と設計図

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楽友会館

哲学者たち

西田幾太郎、田辺元をはじめとする「京都学派」の哲学者たちは、西洋哲学を受容するだけでなく、東洋思想の伝統の上に立ってみずからの哲学を展開した。厳密な学問性と徹底した主体的思索を兼ね備えた彼らの学風を、著作や遺品によって紹介する。

展示品:西田幾太郎・田辺元・九鬼周造・和辻哲郎等の著作と遺品

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西田幾多郎愛用の机と椅子

東洋学の系譜

文科大学(文学部)では、創設時より中国を中心とする東洋学が重視された。狩野直喜・内藤湖南を始めとする中国学派と、桑原隲蔵に始まる東洋史学派が、二大潮流となって教育・研究につとめ、「京都学派」とよばれる精密な学風を形成した。

展示品:内藤湖南・狩野直喜・桑原隲蔵・羽田亨等の著作と遺品

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内藤湖南

学問の自由を求めて

真理の探究を使命とする大学は、国家権力をはじめとする外部の権威から独立し、自立的に運営されねばならない。「学問の自由」は「大学の自治」によって保証される。しかし戦前の国家体制は、しばしばこの原則を踏みにじって大学に干渉を加えた。

展示品:河上肇・滝川幸辰の著作と関係資料

栄誉

京都大学の一世紀にわたる知的生産の歴史の中で、湯川秀樹・朝永振一郎・福井謙一・利根川進がノーベル賞、広中平祐・森重文がフィールズ賞、伊谷純一郎がハックスリー賞に輝き、また30名を超える文化勲章受章者が生まれた。

展示品:ノーベル賞・フィールズ賞・ハクスリー賞のメダルと関係資料

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朝永振一郎のノーベル賞

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賞状とメダル

登山・探検とフィールド調査

京都大学では、戦前から世界各地で現地調査を行なう研究者が多かった。京都帝大旅行部、京大山岳部・探検部出身者を中心に、探検隊または個人で調査におもむき、作物、生態、人類、民俗、考古などの諸分野で高い業績をあげている。

展示品:木原均・梅棹忠夫・中尾佐助・今西錦司等の著作と関係資料・物品

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木原均のタルホコムギ発見

人文科学研究所と共同研究

1949年に新発足した人文科学研究所では、当初から共同研究が組織され、着実に成果を重ねてきた。共同研究は異分野の研究者の協力によって、学界の閉鎖性の打破、研究能率の向上などがめざされる。研究成果のうち、主要なものを展示する。

展示品:安部健夫・塚本善隆・桑原武夫を中心とする共同研究の報告書と関係資料

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共同研究のカード

未来へ

日本人の生活環境や心身の健康を維持し、山積する地球の環境問題を解決するため、京都大学ではあらゆる分野を総動員して、真摯な取り組みを続けている。そうした最前線の研究成果の一端を紹介したい。

展示品:臓器移植、人工関節、箱庭研究、生物多様性研究等の関係資料

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吸収性骨結合ネジ

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【研究ノート】ジュグソー・パズルと考古学

山中一郎

最近は至るところで考古学の発掘調査をおこない、掘り出された多くの資料を整理して、過去の人々が繰り広げた営みを復原している。その盛況がもたらせた貴重な点は、多くの人が考古学するようになったことであろう。昨日まで家事をひたすら守った主婦専業の方が、空いた時間に考古学に参加されるという例は実に多い。考古学が社会参加していると思える事実であるし、逆に考古学は多才の人材を獲得している。人が多く集まることの利点は、さまざまな才能が寄り合って、個人では限りのある知識や巧みさを補え合うことにある。発掘調査で掘り出した過去の人々の生活の跡から考えられることは、ヒトは力を合わせて生きてきたのだなという実感であるが、それは考古学することにも当てはまる。そうした当たり前のことを改めて教えてくれるのがこのごろの考古学の盛況なのである。

考古学するということは、実に多様な作業を含んでいる。データをまとめて論文や話を練り上げるのもそのひとつであるが、それ以前にデータを取るのに手がかかる。木を切り、草を刈って、発掘地を整え、鍬で土を掘り、竹ベラやブラシで土を削るのが始まりである。写真を撮り、現場で図を描いて、測量をおこなう。遺物を水で洗い、マークを書き込む。そして遺物の図を描き、写真を撮り、細かく観察してデータを取る、等々・・。

遺物となって出土するものは壊れている。たとえ壊れていなくても、石器のように、作るときに石が割られて、そのとき生じた石片も取り出されることがある。そうした壊れものは、割れ面を探して引っ付け、もとの形にすることができる。もとの形を復原することによって、データの質は高くなる。一般の人がみて、気の遠くなるような引っ付け作業が考古学者の代名詞のように思われたときもあった。しかし多くの人が考古学することに参加されるようになって、この考古学者の特技は、実はそう言えないこともわかった。

人はおのおのに得意とする分野をもっている。多様な作業を擁する考古学では、それぞれの面で見事な腕を示す方がたくさんおられる。とくに引っ付け作業では目を見張る超能力をみることができる。割られていった石片を引っ付ける作業は難しい。お茶碗とちがって、もとの形が分からないからである。石器作りを理解しているものは、剥がれていく石片の形の特徴を十分に知っているので、その視点から接合する割れ面を捜していく。しかしその引っ付け作業は、ジュグソー・パズルの立体版なのである。

まずは、石に模様があるときには、模様のつながりを捜す。そして輪郭の形を頭に覚え込んで、それに対応する形を捜す。「どうして引っ付くことを見つけるのですか?」と尋ねられたある女の方が答えた。「形を覚えて、じっと他の石片をみるのです。そうするとパッと引っ付くのです。」感覚の作業なのである。そうした感覚の乏しいものや、経験のないものにはまさに神業のようである。

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石のかけらを引っ付ける作業風景

500ピースのジュグソー・パズルを買ってみよう。少し辛抱して取り組むと、完成させることができる。だんだんとピースの数を増やして挑戦を続ける。2000ピースともなれば、相当の時間をかけても成功するのに苦労する。ジュグソー・パズルは模様のつながりと接合面の形だけを頼りに引っ付けていく。要するに考古学の引っ付け作業と同じなのである。ジュグソー・パズルが流行しだしたころ、わたしたちの仕事が一般の人々の遊びにされたと思った。しかし考古学の社会参加のひとつだったなと思うこのごろである。

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バンスヴァン遺跡(フランス、旧石器時代)の石器が引っ付く資料

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山形県中山K遺跡の石のかけら

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そのかけらが引っ付いたところ

(京都大学 総合博物館教授・考古学)

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【収蔵資料散歩】鉄道黎明期に作られた木製蒸気機関車模型

城下荘平

機械工学科に1台の古ぼけた木製の機関車模型が保存されている(写真参照)。

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木製蒸気機関車模型(2.2m×0.6m×1.0m)

1890年代に作られた木製の教育用蒸気機関車模型(2.2×0.6×1.0m、縮尺は1/4)

モデルはイギリスから輸入されたベイヤーピーコック製の2Bテンダ機関車 (=炭水車付機関車、後の5300形) と推定される。明治中頃の代表的な旅客用機関車で急行列車も引いた。ただし、実物にはあるキャブ(運転室)はなく、テンダもついていない。当時の鉄道技術は、主要部品を輸入し、雇外国人の指導によってはじめて機関車を組み立てることができた(1893年)時代にあり、出所は不明であるが、模型とはいえ、鋲頭の一つ一つを糊付けしている程、細部にまで注意を払って作られていることから、できる限りのことを学びとろうという当時の意気込みが、この模型からうかがえる。

機械工学科は京都帝国大学が 1897(明治30)年に創立されるのと同時に、土木工学科とともに最初の学科として設置されたが、翌年の1898年には当時の最先端技術であった鉄道の講義が、「機関車」の科目名で開始された(講師 森 彦三)。この機関車模型は当時購入された教育用模型の一つであり、構造を理解させるために講義等に用いられたと推定される。

(以上は八木 明氏の調査に負うところが多い。記して謝意を表します。)

大きな円筒は曲げた薄い木板を幾枚かつなぎ合わせたものであり、小さな円筒は木の丸棒の中をくりぬいて作ってある。レールももちろん木製である。六角ナットや軸の端のピン止めのピンに至るまで木で作られている。たまたま平頭の鋲が抜け落ちていた穴を観察すると、なんとテーパがつけてある(直径が奥になるほど小さくなっている)。機関車先頭の煙室扉は開閉できるようになっており、開けると少し奥に多くの穴のあいた仕切り板が見え、その向こうに管が繋がっていることが理解できる。外観だけでなく、内部まで実物に忠実に作ろうとした意図に驚かされる。これほど精緻に作られた模型であるが、関連資料が残されておらず、機械工学科の草創期からあったらしいという以外にはじつは何も分かっていない。そこでまず、いくつかの特徴からその原形の機関車形式を特定することにする。

機関車にはタンク機関車とテンダ機関車がある(図参照)。

イラスト
タンク機関車とテンダ機関車(1)

タンク機関車とは機関車自身に石炭と水を搭載しているもので、普通はボイラの両面にサイドタンクと称するタンクを持っている。テンダ機関車はサイドタンクの代わりに後部に炭水車(テンダ)を連結したもので長距離運転用に製作されたものである。模型にはサイドタンクはなく、テンダ機関車であることが分かる。

車輪は前部から後部へ、先輪、動輪、従輪が配置されており、先輪あるいは従輪がない場合もある。機関車の名称にはこれらの車輪の数が使われる。ただし、先輪と従輪はその個数をそのまま使用するが、動輪の場合は、アルファベットを使用する。動輪が1つの場合はA、2つの場合はB、以下同様に3つがC、4つがDという具合である。たとえば、先輪が2つ、動輪が4つ、従輪が1つの機関車の名称は2D1となる。模型の場合は先輪が2つ、動輪が2つで従輪はないので2Bとなる。

鉄道創業当時の機関車(2)のうち、2Bテンダ形機関車のみを抜粋すると6形式にしぼられる(表参照)。

鉄道創業当時の2Bテンダ形機関車一覧表
製造会社 形式別の最初の機関車の製造年 明治42年制定の車両称号規程による形式
キットン社 明治7(1874)年 5100
キットン社 明治9(1876)年 5130
ダブス社 明治17(1884)年 5230
ベイヤー・ピーコック社 明治15(1882)年 5300
ベイヤー・ピーコック社 明治15(1882)年
明治17(1884)年改造
5490
ニールソン社 明治24(1891)年 5400

このうち、5300形(写真参照)と5400形はたんにメーカーが違うため形式が分けられただけで同形機である(3)。

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5300形蒸気機関車(写真:交通博物館所蔵)

そこでこれら5種類の機関車の写真(3),(4)を見比べてみる。タンク機関車からテンダ機関車へ改造された後もタンク機関車の外形を保っているものは明らかに模型とは異なるので除外できる。さらに特徴を見比べると、模型のように先輪の上にあるシリンダと歩み板が傾斜しているものは5300形式しかなく、他の形式のものは全て水平になっている。したがって模型機関車は2Bテンダ5300形であることが特定される。上部の蒸気溜が一見異なるのは、実物の5300形の蒸気溜にはカバーが被されており、模型でははずされているからである。このことからも実物に忠実に作ろうとした意図がうかがえる。

5300形はイギリスのベイヤー・ピーコック社で1882(明治15)年に最初に製造された機関車である。24輌が輸入され、鉄道作業局、山陽鉄道、日本鉄道で旅客用として使用された。寸法の詳細は省くが、機関車先端の自動連結機からキャブ(運転台。ただし模型にはない)までの長さが約8.5m(5)あり、模型の縮尺が1/4であることが推定される。

ところで、東京-新橋間に鉄道が開業したのは1872(明治5)年であり、以後イギリスの技術指導により全国に鉄道網が張りめぐらされて行った。1889(明治22)には東海道線(新橋-神戸)が全通したが、当時のわが国では機械工業そのものがまだ瑤籃期にあり、蒸気機関車はすべてイギリスとアメリカからの輸入に頼らざるを得ない状態であった。しかし鉄道建設が進むにつれ機関車の国産への必要性が痛感されるようになった。ようやく、1893(明治26)年に神戸にあった官営鉄道の車両保守工場において、イギリス人R. F. トレビシック氏の指導の下に、主要部品は輸入ながらも機関車の組立・製造が行われた。なお、このとき、後に京都帝国大学講師として赴任する森彦三博士も参画していた。木製模型はこのような時代に、蒸気機関車国産の意気に燃えて当時の技術者がその構造を理解するため木で作り上げたものと推定される。木で作ったのは金属を自由に工作加工できる程の機械工作技術がなかったためであろう。

京都帝国大学は1897(明治30)年に創立されたが、最初の学科として設置されたのが機械工学科であった。国を挙げて殖産興業が推進される中で、工業の発展のためには機械工学が極めて重要であるという、当時の国家的要請によるものであった。文明開化の先駆と言われた鉄道は最先端技術であり、機械工学科の当初の講義でも前述の森彦三講師によって「機関車」の講義名で開講され、また、「往復式蒸汽機関」、「機械設計法」、「鉄道車輌」等の講義も開講された(6)。木製の蒸気機関車模型はそれらの講義のなかで貴重な教材として使われたのであろう。

どのようにして製作されたのか詳細は不明であるが、この木製蒸気機関車模型は鉄道黎明期の製作者の意気込みを100年の時を経て今に伝えている。

参考文献
  1. 野田正穂・原田勝正・青木栄一・老川慶喜編、日本の鉄道 - 成立と展開 - 、日本経済評論社、1994年
  2. 日本国有鉄道百年史 第2巻、日本国有鉄道、1970年
  3. 交通博物館所蔵 明治の機関車コレクション、機芸出版社、1968年
  4. 川上幸義、私の蒸気機関車史(上)、交友社、1978年
  5. 金田茂裕、日本蒸気機関車史、交友社、1972年
  6. 京都大学七十年史、京都大学七十年史編集委員会、1967年

模型機関車を最初に調査された八木明氏、資料とご教示を戴いた工学研究科 駒井謙治郎教授に謝意を表します。

(京都大学 総合博物館助教授・技術史)

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