加悦(かや)鉄道は大正15(1926)年(=昭和元年)に京都府北部の丹後山田駅~加悦駅間(5.7Km)で開業し、昭和60年に廃止になるまで、ちょうど昭和のはじめからの60年間、営業されていた鉄道である。(「加悦鉄道沿線案内」図。旧加悦鉄道株式会社発行。注:縮尺や方向は正確ではない)。村民823名の出資により、最初は丹後ちりめんの京阪地方への輸送や加悦地区の子供たちの通学の便のために開業されたが、昭和14年に大江山でニッケル鉱が発見されたのを機に大江山まで路線が延長され、鉱土の輸送にも使われた。この大江山ニッケル鉱土の鉄道による輸送は終戦の昭和20年まで続けられた。
加悦町にある「縮緬(ちりめん)街道」と名付けられた通りの両側には、出格子や虫籠窓などの特徴のあるつくりの家々が並び、ちりめんがこの町にもたらした豊かさを見ることができる。今にもあちこちから機織りの音が聞こえてきそうである。
加悦鉄道の停車場の鳥瞰図や使用車輛など詳細な資料が「加悦鐡道資料集(塩見勝信 編集)、昭和55年」などにまとめられているが、それによると、たとえば、昭和2年12月1日では丹後山田駅~加悦駅間の所要時間は20分、運賃は18銭であった。運賃は徐々に変遷し、昭和55年2月13日では210円であった。また、丹後山田駅、加悦駅における乗降車人数は次表のようであった。乗車人数比、降車人数比は筆者が付した。
駅名 | 昭和40年 | 昭和53年 | (昭和53年)/(昭和40年) |
乗車人数 | 降車人数 | 乗車人数 | 降車人数 | 乗車人数比 | 降車人数比 |
丹後山田 | 227,650 | 196,260 | 78,007 | 75,956 | 0.34 | 0.39 |
加 悦 | 72,377 | 84,195 | 41,785 | 42,677 | 0.58 | 0.51 |
丹後ちりめんは加悦鉄道の生みの親とも言えたが、時はながれ、加悦鉄道は廃止され、丹後ちりめんの生産量も最盛期の昭和48(1973)年に丹後地域(1市10町)で996万反(12mを1反とする)あったものが、平成10(1998)年には145万反にまで減少した(京都府庁調べ)。
旧鉱山跡地につくられた加悦SL広場には、加悦鉄道創業時に約4000円で購入されてから昭和28年3月まで旅客輸送に従事した(「加悦鐡道車輛輯 蒸気機関車編」、塩見勝信)、日本で2番目に古い蒸気機関車(英国スチーブンソン社製タンク型機関車、明治6年輸入)をはじめとして、客車やディーゼル機関車など23輌が保存されている。保存とともに、古い客車などが修理、復元されており、この(平成11年)5月には「森ブタ」と呼ばれたディーゼル機関車のDB201号が27年ぶりに再び動くように復元された。
このような歴史的鉄道車輛に対する継続的な整備、保存への取り組みが評価され、加悦鉄道の後身である加悦SL広場の事業主は、産業考古学会から「産業遺産保存功労者」(平成11年5月15日付)として表彰されている。
以下に、加悦SL広場関係者の案内で今ではわずかに残された加悦鉄道の痕跡をたどり、加悦SL広場で車輛の整備・復元作業等を見学したときの様子を写真によって紹介する。
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