京都大学総合博物館では、1月14日から2月15日まで、フランスの思想家・作家・評論家ロラン・バルトのデッサン展が開催された。もともと2002年から2003年にかけて、パリの国立近代美術館(ジョルジュ・ポンピドゥー・センター)で行われたロラン・バルト展覧会の主要な部分を、バルトの読者が多い日本に巡回させ、東京大学と京都大学で展示するというのが本展覧会のきっかけであった。京都においては、関西日仏学館が大枠の企画を提案し、総合博物館と文学研究科(21世紀COEプログラム)が共催する形で、展覧会の開催に至った。 展示はロラン・バルトによるデッサン49点を中心に、自筆書簡や、関連図書・写真などを配置するというもので、総合博物館二階の大きなスペースを区切って、バルト展の組織責任者アナント氏の意見を聞きつつ、乃村工藝社が見事なディスプレイを演出してくれた。 見学者が入り口を入ると、まず正面の大きな垂れ幕に書かれたバルトによるフランス語の文章が赤字で壁面いっぱいに目に入る。それは日本語に訳すと、「エクリチュール、それは手でありしたがって身体である。その衝動、その制御、そのリズム、その思考、その滑り、その錯綜、その逃避である。ようするに魂(……)ではなくて、欲望と無意識をになった主体なのだ。」この言葉は当展覧会を簡潔に表現しているものといえるだろう。もちろんバルトは職業的な画家ではなかった。執筆行為の合間に時間を見つけては絵筆を握り、自由奔放な筆さばきで抽象的な造形を描くことに喜びを見出していたのである。それは文字をつづる行為(エクリチュール)の延長であったとも言えよう。 バルトのデッサンになにか特有の主題とかメッセージを読みとろうとするのは無益なことである。むしろバルトの言うようにそこにひとつの身体性、その多様な動きの痕跡を見出し、その戯れをたのしむことが大切であろう。49点の作品は年代順に並べられているわけではない。最初の4点はパウル・クレーやモンドリアンをある程度意識したデッサンであり、つぎの数点は日本画や中国の水墨画からヒントを得た「東洋風」の作品、そしてデザイン画を思わせる色彩の乱舞するリズミカルな作品、バイロイトにワーグナーの『ニーベルンゲンの指輪』を聞きに行ったときの印象をまとめたもの、また日本風の文字をまねたいたずらがき、というように、ある程度のまとまりごとに分類して展示したのである。 そこから受ける印象は人によってさまざまに異なるだろう。音楽的な比喩を見出すひともあれば、バルトの愛したサイ・トゥオンブリもしくはアンドレ・マッソンとの親近性を見るひともいるであろう。あるいは東洋の象形文字への目配せに敏感なひともいるであろう。だが、これらの絵にあえて「影響」も「意味」も求めず、明るい心情と軽やかな知性の変幻をたのしむだけで十分かも知れない。ところで、これらのデッサンはロマリックと呼ばれるバルトが最後に愛した人物(男性)がバルトからもらったもので、のちパリ近代美術館に寄贈されたものである。たしかに、いくつかのデッサンにははっきりとロマリックへの手紙ないしメッセージが書き込まれている。つい見落としがちなことだが、こうした絵の「贈り物」はバルト一流の愛の証明であったように思われるのだ。 とすれば、デッサンの心浮き立つような色彩も、筆致も、遂行形の「愛」という身体的、精神的刻印のあらわれであるとも言えよう。展覧会では、これらに加えてバルト関連の書籍20点(美しい表紙や写真が飾られているものを中心にまとめた)、自筆の書簡、著書『明るい部屋』の題名のもとになったカメラ・ルシダ(標本などを明るい光の反射で写し取る装置)の実物、バルトゆかりのカルチエ・ラタンの写真などを配置し、またロラン・バルトの誘惑的な声をエンドレステープで流す工夫を凝らした。 展覧会前日の1月13日には内覧会が行われた。総長尾池和夫、前総長長尾真両教授をはじめ、本間政雄事務局長、金田章裕副学長、関西日仏学館館長ピエール・フルニエ氏、同副館長ジャン=フランソワ・アンス氏、総合博物館長山中一郎教授、展覧会組織者アナント氏など、合計50名を越える方々にお集まりいただき、吉田の司会により、にぎやかにレセプションが開かれた。
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また1月24日には関連企画として、関西日仏学館の稲畑ホールをお借りして、「多才の人 ロラン・バルト」と題した国際フォーラムを開催した。この企画は、文学研究科の21世紀COE第35班(異文化交流・翻訳論)の研究集会として行われた。第一部ではエクス=アン=プロヴァンス大学からお招きしたルイ=ジャン・カルヴェ教授による講演「ロラン・バルトと写真」が行われた。バルトが早い時期から写真に強い関心をもっていたこと、その最終的帰結が『明るい部屋』であることを述べ、最愛の母親の幼年期にとった写真が、じっさいは不在ではなく、それとなく別のページに挿入されていると指摘した。会場からの活発な質問もあり、松島征教授の的確な通訳により、たいへん内容の濃い講演会となった。休憩を挟んで第二部はバルトをめぐるパネル・ディスカッションが行われた。吉田城の司会進行により、文学研究科助教授永盛克也氏がバルトと演劇の出会いについて、東京大学総合科学研究科教授小林康夫氏が「孤独と幸福」という題名でバルトの実存装置について、人文科学研究科助教授大浦康介氏がアンチモダンとしてのバルトについて、また人間環境学研究科教授篠原資明氏が文化交通論の立場からバルトの絵画意識について発言した。そのあと会場からの質問や意見も含めて、討論形式でバルトについて自由に論じた。時間とともに議論が白熱したが、時間の制約のため5時40分には閉会した。しかし一部、二部を通して最大時で150名近くの聴衆が集まり、多数の立ち見も出るなど、近年まれに見る盛会となったことは、組織・司会者としてはたいへん感銘を受けた。 (大学院文学研究科教授・フランス語学フランス文学)
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