No.4目次の目次へ戻る植物採集家フォーリーと重複標本永益英敏押し葉標本をつくるとき,一本の木からは何枚でも標本をつくることができる。その木全体を標本にするのは難しいが,こちらの枝先とあちらの枝先がそれほど違っているわけではないから,枝先を切って標本にしているかぎり同じものだといっても特にさしつかえない。だが,動物の場合,前脚と後脚を切り取って,前脚だけ手許において後脚は交換用にするなんてことはまず考えられない。動物では原則として個体全体を標本にし,それぞれは別の個体だから重複標本などないというのである。 植物でも小型の草のようなものは個体全体を標本にする。その場合でも,同じところに生えている同種の植物はたくさんとって重複標本をつくるのが普通である。植物標本として標準的な押し葉標本では同じサイズの台紙にはりつけたカード標本として管理するため,台紙1枚1点という慣習が確立しているせいだろうと思う。逆に一枚の台紙上に何個体貼ってあっても,便宜上1点と数えるのである。 重複標本は複数の研究機関で「同じ標本」を所有することができるから,研究上の利点ははかりしれない。ある研究論文に使われた標本を検討するのに,わざわざオリジナルを借りたり,そこへ出向いたりすることなく,別のところで「実物」を確認できるからである。また,複数の研究機関で並行して研究を進めることもできる。動物のように一つしかない貴重な標本の「奪い合い」という事態はそれほどひどくなく,むしろ交換による標本館のネットワークがよく発達している。植物標本館にとって採集品を交換するのは重要な業務の一つなのである。 現在,京都大学が所蔵している植物標本は優に100万点を超えている。この標本庫の設立に当たって重要なコレクションとなったのがフランス人神父フォーリー(Urbain Faurie, 1846~1915)が採集した膨大な植物の重複標本である。
![]() 死後,彼の遺族のもとに残された1セットの標本が京都大学に落ち着くことになった。これは神戸の篤志家,岡崎忠雄氏(1884~1963)が2万5千フランで購入し,京都大学に寄贈したものである。神戸岡崎銀行の設立者であり,のちに神戸商工会議所会頭もつとめた財界人である彼が,どのような経緯でフォーリーの標本を購入し,京都大学に寄贈することになったのかはよくわかっていない。
![]() ![]() 京都大学に所蔵されているフォーリー標本は残念ながら初期のものを欠いており,完全なものではない。しかし,多くのアイソタイプ(タイプの重複標本である)を含む,この6万点にもおよぶコレクションは東アジア地域の植物を研究するうえで不可欠な標本として,今でも世界の研究者達に利用されている。 (京都大学総合博物館助教授・植物分類学) |