No.5の目次へ戻る 【収蔵資料散歩】 鉄道黎明期に作られた木製蒸気機関車模型機械工学科に1台の古ぼけた木製の機関車模型が保存されている(写真参照)。 機関車にはタンク機関車とテンダ機関車がある(図参照)。
タンク機関車とテンダ機関車(1)
車輪は前部から後部へ、先輪、動輪、従輪が配置されており、先輪あるいは従輪がない場合もある。機関車の名称にはこれらの車輪の数が使われる。ただし、先輪と従輪はその個数をそのまま使用するが、動輪の場合は、アルファベットを使用する。動輪が1つの場合はA、2つの場合はB、以下同様に3つがC、4つがDという具合である。たとえば、先輪が2つ、動輪が4つ、従輪が1つの機関車の名称は2D1となる。模型の場合は先輪が2つ、動輪が2つで従輪はないので2Bとなる。 鉄道創業当時の機関車(2)のうち、2Bテンダ形機関車のみを抜粋すると6形式にしぼられる(表参照)。
このうち、5300形(写真参照)と5400形はたんにメーカーが違うため形式が分けられただけで同形機である(3)。
5300形はイギリスのベイヤー・ピーコック社で1882(明治15)年に最初に製造された機関車である。24輌が輸入され、鉄道作業局、山陽鉄道、日本鉄道で旅客用として使用された。寸法の詳細は省くが、機関車先端の自動連結機からキャブ(運転台。ただし模型にはない)までの長さが約8.5m(5)あり、模型の縮尺が1/4であることが推定される。 ところで、東京- 新橋間に鉄道が開業したのは1872(明治5)年であり、以後イギリスの技術指導により全国に鉄道網が張りめぐらされて行った。1889(明治22)には東海道線(新橋 - 神戸)が全通したが、当時のわが国では機械工業そのものがまだ 籃期にあり、蒸気機関車はすべてイギリスとアメリカからの輸入に頼らざるを得ない状態であった。しかし鉄道建設が進むにつれ機関車の国産への必要性が痛感されるようになった。ようやく、1893(明治26)年に神戸にあった官営鉄道の車両保守工場において、イギリス人R. F. トレビシック氏の指導の下に、主要部品は輸入ながらも機関車の組立・製造が行われた。なお、このとき、後に京都帝国大学講師として赴任する森彦三博士も参画していた。木製模型はこのような時代に、蒸気機関車国産の意気に燃えて当時の技術者がその構造を理解するため木で作り上げたものと推定される。木で作ったのは金属を自由に工作加工できる程の機械工作技術がなかったためであろう。 京都帝国大学は1897(明治30)年に創立されたが、最初の学科として設置されたのが機械工学科であった。国を挙げて殖産興業が推進される中で、工業の発展のためには機械工学が極めて重要であるという、当時の国家的要請によるものであった。文明開化の先駆と言われた鉄道は最先端技術であり、機械工学科の当初の講義でも前述の森彦三講師によって「機関車」の講義名で開講され、また、「往復式蒸汽機関」、「機械設計法」、「鉄道車輌」等の講義も開講された(6)。木製の蒸気機関車模型はそれらの講義のなかで貴重な教材として使われたのであろう。 どのようにして製作されたのか詳細は不明であるが、この木製蒸気機関車模型は鉄道黎明期の製作者の意気込みを100年の時を経て今に伝えている。
参考文献
(京都大学 総合博物館助教授・技術史)
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