No.7目次へ戻る 【研究ノート】 ニホンジネズミ本川雅治ニホンジネズミは食虫目トガリネズミ科に属し,体長がおよそ10cm,体重が10グラムにも満たない小さな哺乳類である。「ジネズミ」という和名がついているが,ネズミよりはモグラに近く,鋭く尖った歯で昆虫などを食べて生きている。日本の固有種で,北海道から本州,九州,四国,さらにその周辺の島々のほとんどからも確認されており,日本の哺乳類の中で最も広い分布域をしめす。では,ニホンジネズミはなぜこのように広い分布域を獲得できたのだろうか。また,海で隔てられている島へ,どのようにして分布を拡大したのだろうか。 ![]()
ニホンジネズミ(トカラ諸島中之島での採集個体) ネズミやモグラのような小型哺乳類では,外形よりも頭骨の形が,分類学では重要な決め手となる。そこで,ニホンジネズミの頭骨のいろいろな部分をノギスで計測したり,鼻先,眼,耳といった主要な器官と連結する部分の骨の形を,丁寧に観察したりした。頭骨といっても,2cmにも満たない小さなものである。それを作るには,先の細いピンセットを使って,骨を壊さないように注意しながら,筋肉を除去するのである。歯の形も分類形質として欠かせない。一つがわずか1mmほどしかない小さな歯の,さらに細かい部分について,実体顕微鏡で拡大しながら,測定や観察を行う。また,頭骨や歯に見られる特徴を,複数の標本で比べるためには,いろいろな角度で写真をとることも重要である。こうした一連の作業を標本一つ一つについて行う。周辺の屋久島,種子島,九州,さらには本州各地の数百点の標本についても同様の作業を行い,中之島のものと比較する。そして,標本に見られる変異の中で,地域の違いによるものを見つけだすことで,中之島のニホンジネズミのもつ特徴を浮かび上がらせていくのである。 その結果,中之島のニホンジネズミは,本州や九州はもちろん,屋久島や種子島の集団とも,かなり違った形態を持つことが分かってきた。ジネズミの仲間の中には,人間とともに船にのって島に渡るものがいるといわれるが,形態上のかなりの違いがあることから,中之島のニホンジネズミが,最近になって船で渡ったとは考えにくい。また,この小さなニホンジネズミが,自力で泳いで島へ渡ることは到底不可能である。とすれば,まだトカラ列島が九州などと陸続きだったという数十万年前に,陸地づたいに中之島に到達し,その後,隔離されながら現在まで生き続けてきたと考えるのが妥当なようである。 博物館標本だけでは物足りなくなり,このニホンジネズミの採集も行ってみた。中之島へは鹿児島から約8時間,月8便ほどが運行されているフェリー「としま」で行くことができる。
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鹿児島県十島村営船フェリー「としま」。鹿児島とトカラ諸島の島々を結ぶ。
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これまでに2回,中之島での採集を行い,この島のニホンジネズミの分類や起源についてある程度は分かってきた。ところが,他の地域の標本を比較として解析するうちに,ニホンジネズミの抱える別の分類学的問題も,浮かび上がってきたのだ。北海道からトカラ諸島まで広く分布するニホンジネズミが,いつごろどのように分布を広げたのか。これを明らかにするには,まだまだ時間がかかりそうである。 (京都大学総合博物館助手・哺乳類分類学)
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