ニュースレター

No.16(2003年11月17日発行)

表紙

表紙画像

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表紙の資料写真について

写真

カワゴケソウ科の液浸標本

カワゴケソウ(川苔草)科は奇妙な植物である。花をつける植物(被子植物)でありながら、渓流の水中の岩にへばりついて生え、一見してどこが根でどこが葉だかわからないまさにコケのような植物だ。資料の採集も分類も難しい。熱帯に比較的多く、日本では鹿児島県と宮崎県に数種が分布する。この奇妙な植物を日本で最初に「発見」したのは昭和2(1927)年、今村駿一郎(当時京都帝国大学大学院生、のちに農学部教授)だが、その報告とほぼ同時に小泉源一(当時京都帝国大学理学部助教授のちに教授)が土井美夫(鹿児島県立伊集院中学校教諭)の採集品に基づいて新種記載したため先取権争いの様相を呈した。総合博物館には小泉が研究した土井採集の標本が液浸標本として保存されている。ポドステモンとは変な名前だが、小泉が当時カワゴケソウ科をラテン名をそのまま用いてポドステモン科と称していたことによる。写真の標本は植物体が付着していた岩を割って、破片ごとに液浸にしたもの。

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「京大らしさ」を展示する

写真:瀬戸口烈司

瀬戸口 烈司

私が館長に在職していたあいだ、もっとも心をくだいたのは展示についてであった。常設展示はもとより、企画展示をどのようにするか。展示は、おおげさにいえば、博物館の生命線である。展示がつまらないものだったら、博物館の価値がなくなる。その逆に、展示を通じて、「京大らしさ」を浮かび上がらせることもできるはずだ。そうすれば、総合博物館が京大を代表する附属施設のひとつとして機能できるだろう。展示をつまらないものにするわけにはいかないのであった。

1997年4月に京大総合博物館が正式に発足し、河野昭一初代館長と9名の教官、5名の事務官が初期の運営にあたった。5月には来年度概算要求の原案をまとめなければならない。発足当初の職員は、めまぐるしく回転する動きに身をゆだねなければならなかった。

京都帝国大学は、1897年に発足した。1997年は、京大創設100周年にあたる。その年に総合博物館が京大に付置された。井村裕夫総長(当時)の意向もあり、今は総合博物館の本館と呼ばれている文学部博物館の建物を中心に、秋に京大百周年記念展示会を開催した。学内の各学部、研究所の履歴・活動の目玉のほか、ノーベル賞など国際賞の受賞者、文化勲章受章者を紹介するとともに、京大の登山・探検のコーナーも設けた。

私は、当時は総合博物館の協議員の立場にあり、博物館の運営には直接にはタッチしていなかったが、百周年記念事業の「登山・探検のコーナー」には身を乗り出さざるをえなかった。京大の登山・探検の伝統の実状を熟知する立場のものでないと、そのコーナーの担当はつとまらない。京大の登山・探検の伝統は学生団体の山岳部・探検部に受け継がれている。現在の山岳部長はアフリカ地域研究センターの田中二郎教授で、探検部長は私である。総合博物館構想の取りまとめの段階から関与していた私が、百周年記念展のなかの「登山・探検のコーナー」を担当することになった。

田中二郎教授に協力を依頼したところ、海外出張が予定されているから、代わりに山岳部のOBで、学士山岳会会員の清水浩博士(農学研究科地域環境科学専攻助手)を紹介してくれた。清水博士が「登山」のコーナーを、私が「探検」のコーナーを担当して仕上げた。この百周年記念展は、「京大らしさ」を浮かび上がらせるにあたって、たいへんに効果があった。野外研究の華々しさが、すごい迫力をもって、観る人を魅了した。

そして、霊長類学をはじめとして世界各地で展開している各分野の野外研究の成果を開示することを、総合博物館の常設展示の主眼にすることがすぐに決まった。百周年記念展の準備のさなかの9月に、生態学研究センターの井上民二教授が飛行機事故で殉職するという悲報が飛び込んだ。井上教授も探検部の出身である。井上教授が取り組んでられたボルネオのランビル熱帯雨林の現状を博物館のなかで紹介できないかと、当時の河野館長は考え付いた。常設展示場に熱帯の森林を復元するという計画は、こうして生まれた。

この展示を担当している過程で、たいへん重要なことに気がついた。今西錦司に率いられて京大のなかで登山・探検の伝統をきづいてきた旅行部、学士山岳会、京都探検地理学会、生物誌研究会、山岳部、探検部はすべて任意団体で、文部省の官制の組織ではない。しかし、今西が提唱したサル学を発展させるべく、1967年に霊長類研究所が京都大学に附置された。その2年前の1965年には、地域研究を目指す東南アジア研究センターが設置されている。1986年にアフリカ地域研究センターが、1991年に生態学研究センターが附置された。このように海外での野外研究を展開する官制の研究機関が、京都大学内に設置されていったのである。

登山・探検という行動面で薫陶を受けた山岳部・探検部の出身者のなかから、それらの附置研究機関に職をえて、研究を展開する例が続出しはじめた。これこそが京都大学の特徴であり、強みであると思われる。伝統は、けっして途切れていないのである。その伝統を受け継ぐ官制の装置として附置研究機関群があり、任意団体として学生団体の山岳部・探検部が健在である。山岳部・探検部出身の若手がそれら附置研究機関に身をおいて研究を展開する。伝統を現在につなぐ装置系がみごとに機能しているのである。

京都には、もともと探検の伝統、系譜があった。19世紀後半から20世紀の初頭にかけて、中央アジアは古典的探検のおもな舞台のひとつで、日本からは大谷探検隊が大活躍をしていた。1903(明治36)年から1919(大正8)年にかけて、カラコルムから中央アジア方面の仏教遺跡を探検した。この大谷探検隊は学術上の収穫を日本にもちかえった。京都大学の総長であった羽田亨先生ほかの学者が協力してこれを研究した。

このように、京都に根付いていた探検の伝統は、東洋学を介して京大に引き継がれた。戦後に人文科学研究所となる東方文化研究所では水野清一教授をリーダーに山西省の有名な雲崗の石仏の調査研究をおこなった。伝統を大学のなかに根付かせる装置をいろいろなかたちで仕掛けるのは、京大のお家芸である。

野外研究(フィールド・サイエンス)をテーマにした常設展示は、伝統を現在につなぐ装置系をみごとに機能させる「京大のお家芸」をも紹介している。このような展示は、ほかの大学ではできないのではないか。

(理学研究科教授、総合博物館前館長)

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ブレイクと出会った日本,その喜ばしき日々

国際ブレイク学会「ブレイクと東洋」関連資料展示

大正初期,イギリス・ロマン派の詩人・画家・銅板画師ウィリアム・ブレイク(WilliamBlake1757-1827)が,文芸雑誌『白樺』誌上で,日本で初めて本格的に紹介された。本展は日本におけるブレイクの初期の移入の状況を,主に文献資料によって紹介する。『白樺』主催のブレイク展で展示された複製画や,当時のブレイク・コレクターの所蔵品を紹介することで,当時の日本人が実際眼にしたブレイクを再びここに蘇らせる。

展示構成
  1. ブレイクと出会った日本
    1. 明治の文豪とブレイク
    2. 柳宗悦と『白樺』によるブレイクの紹介
    3. 『白樺』主催のブレイク展
    4. ブレイク受容の展開とブレイク100年忌
  2. 日本の「ブレイキアン」
    1. 岸田劉生と『白樺』派の美術家
    2. 村上華岳と国画創作協会
    3. ブレイク蒐集家・長崎太郎
主催 京都大学総合博物館,国際ブレイク学会組織委員会
協力 日本民藝館,日本英文学会,イギリス・ロマン派学会,日本比較文学会,英国ロマン派学会(BARS),ブレイク協会,ブリティッシュ・アカデミー,奈良女子大学,京都大学総合人間学部,大学院人間・環境学研究科他
後援 京都大学教育研究振興財団,日本万国博覧会記念協会,ブリティッシュ・カウンシル

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平成15年秋季企画展「21世紀京大の農学」-食と生命そして環境-

期間 平成15年10月1日(水)~12月27日(土)(月・火曜日休館)
開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
会場 第2企画展示室(南館2階)

写真:「21世紀京大の農学」展示の様子

ごあいさつ

「人はパンのみに生きるにあらず。」有名な聖書の言葉です。無教会主義キリスト教者であった塚本虎二さんによりますと,この句は,徹頭徹尾,食糧問題にかかわって解釈するべきであるといいます。人間が生きるには,食べ物を欠くことができません。その意味で食料を考えることが,きわめて大切であると理解しておきましょう。

京都大学の農学研究は,この食糧問題に真正面から取り組んできました。80年の歴史を通して,革新を続けてきた科学の成果を,時の流れに応じつつ,わたしたちの「衣食住」に関連させて,そのあらゆる分野をカバーして,対象を広げてきました。21世紀を迎えて,食料の絶対量の不足,食品の安全性,人間が生きることのみを追求する独善がもたらす他の生物への影響,そこから生まれた彼らとの共生を模索する考え方,そして地球全体の環境,・・・,わたしたち人間は,実に難しい問題に直面するようになりました。この新しい世紀が人間にとってバラ色に輝くものになるかどうかについては,楽観は許されないとの見解さえあります。

しかし人間の叡智は,必ずやそうした「悲観主義」を克服するものと確信します。京都大学の農学研究が取り組んでいる現実を,ここに展示というかたちでお示ししますが,人間の明日の生存を確保するのに,実に意味のある研究を進めていることを認めていただければ幸いです。そして未来を担う若い諸君が,この戦いに参加されることを,あるいは,たとえ戦列におられなくとも,熱い声援を下さることを期待します。

人間の未来は永遠です!

総合博物館館長 山中一郎

企画展「21世紀京大の農学」へのいざない

この度の京都大学総合博物館企画展「21世紀京大の農学-食と生命そして環境-」にあたり,農学研究科・農学部の現状と目指すべき将来方向をご紹介して,ご挨拶にかえさせていただきます。

京都大学農学部は大正12年に設置されて以来,今年で80周年を迎えます。この間,昭和24年には学制改革により新制京都大学農学部となり,昭和28年には大学院農学研究科が設置され,その後幾多の拡充改組を経て昭和56年の熱帯農学専攻の設置により10学科,11専攻の構成となり,農学の総合的研究教育の拠点としての体制が整えられましたが,平成7年度からの大学院重点化に伴う改組により3大学科,6専攻に統合され,さらに平成13年4月には食糧科学研究所との統合に伴う再改組により現在の6学科,7専攻体制に整備されました。その間,生命科学研究科,エネルギー科学研究科,情報学研究科,アジア・アフリカ地域研究研究科,地球環境学堂の設置や,総合博物館,国際融合創造センター,学術情報メディアセンター,フィールド科学教育研究センターの設立・拡充に協力して,農学研究領域の拡大と発展にも努めてきました。

農学研究科・農学部では創設以来,食料に関わるあらゆる科学を,バイオサイエンス等の先端的科学技術の適用と環境との調和への総合化を機軸として展開することにより,健康で豊かな人間生活の基本となる衣食住への多様な要望に応えるとともに,人類の持続的繁栄にとって不可欠な人と自然との共存原理を探求することを基本理念として,生命・食料・環境に集約される多面的な研究を総合的に展開して,多くの有用な成果を挙げてきました。

20世紀の後半から顕在化し始めた多くの地球的規模の問題が深刻化する中で,人口の急増による食料不足,資源やエネルギーの枯渇,環境の保全と修復,食の安全性など,農学が果たすべき役割はますます重要になっています。京都大学の農学研究は,これまでの研究教育の理念を踏襲するとともに,これをさらに発展させるべく,自然科学と社会科学の連携,地域性と国際性の重視,長期的視点と萌芽性の尊重などを内包した総合的で学際的な研究を展開することにより,わが国を代表する農学の総合的研究教育の拠点としてなお一層の発展を目指します。また,これらの研究を通じて,わが国の農林水産業や関連産業への貢献にとどまらず,常に世界の研究拠点の形成を指向し,より高い水準の研究へ自己革新を続け,新たな研究領域の開拓をも目指しています。

この度の総合博物館企画展においては,農学研究科・農学部の研究活動の一端をご紹介するとともに,21世紀社会における真の農学研究の意義と将来の方向性を広く知っていただきたいと思います。

企画展「21世紀京大の農学」実行委員長 大学院農学研究科長 高橋 強

展示内容紹介

京大における研究教育活動を一般の方々に紹介するという目的で,今回の企画展では農学研究科・農学部をとりあげさせていただいた。京大の農学研究は80年の歴史をもち,応用生物学を中心とした分野で活発に成果をあげている。その姿の一端を見ていただくべく,南館二階の企画展示室において分野研究室を単位とした69枚のパネルを中心に展示を行っている。

写真:「21世紀京大の農学」展示の様子

京大の農学研究は多岐にわたっている。そのキーワードは食,生命,環境に集約されるが,簡単には全体も部分も把握しきれないので,理解しやすいように,研究の類似性に従い,69枚のパネルを以下のように10のコーナーにわけて展示を行っている。

1.作物の科学-基礎と応用-

アジアのイネ生産の未来像を探る-焼畑栽培から超多収栽培まで-:作物は人間の一番大切な友達-新しい品種の育成を目指して-:野菜や花に新しい可能性を求めて:果樹の遺伝子診断-品種改良の効率化と生理現象の解明を目指して-:農業生産と生活・生態価値の追求-環境と生産の調和を目指して-:野生ソバの自生地を行く-ソバ栽培の起原地の解明と野生祖先種の発見-:ウイルスと植物の死闘-サプレッサーの発見-:植物の病害との新たな闘い-有害生物管理法の開発にむけて-:熱帯地域の農業環境-農耕空間の土地生産力評価と水分動態-:イネの受粉-温暖化に負けないイネをめざす-

2.森林を理解する-自然との共生-

私たちのくらしと森林-森林・人間関係学の課題-:熱帯林の利用と保全-森林の持続的利用法を求めて-:熱帯樹木に年輪構造はあるのか:森林生態系の提供する「食物―住み場所」テンプレート:森林からの学びを資源の持続的な再生利用に活かす-古くて新しいスギ林の研究から-:ランドスケープ・プランニング&デザイン-これからの地域づくりに欠かせない重要な理論・技術・実践-:森林の変遷と土砂侵食・降雨流出-森林の「緑のダム」機能の科学的評価-:森林水文学-水循環における森の役割を知る-バイオマスに地球の未来をかけて-共生と循環-

3.木を活かす

木目模様のサイエンス-木目はなぜ和むのか?-:木材を切る・木材を診断する-加工と非破壊診断からみる木材の有効利用の途-:生物がつくる繊維-その構造と機能に学ぶ-:分子-細胞-樹木-樹木はなぜ巨大な生命体になれるのか-:バイオマスから次世代機能材料を!-天然素材の特性を究め高度有効利用をはかる-:木材の劣化を制御する-環境と調和した木材保存技術-:木質バイオマスリファイナリー系の確立-持続可能な社会に向けて-

4.食品の基礎科学-伝統と展開-

21世紀の食糧問題への挑戦-食べ物で生活習慣病を予防する-:食品の美味しさとは何か?-味と食感の科学-:酵素化学が拓く食品生物科学の新時代-酵素反応の解析と応用-:食品成分とがん予防-亜熱帯産食材を中心として-:食品の脳科学-ハンバーガーや「だし」の効いたラーメンは,なぜ美味しい?-:低アレルゲン大豆食品の創出-大豆アレルゲンはダニアレルゲンと兄弟-:生活習慣病予防機能を持つタンパク質・ペプチドを求めて-新素材の探索から新機能の設計まで-:食品を造る-基礎科学の成果を食卓に-:ところ変われば食変わる:烏龍茶,紅茶はなぜ花の香りがするのか?

5.微生物を究める

微生物パワーの源流を探る-未来バイオの構築に向けて-:微生物機能の新規開発と産業への利用-暮らしに役立つ微生物-:未来型資源利用への挑戦-微生物の総合学的理解と応用開発-:極限環境微生物の世界-寒さ知らずの微生物-:生命現象の解明-自分を守る生物の知恵-

6.生命の基礎科学

生命とエネルギー-バイオで健康を測る・電池を創る-:生命現象のメカニズム解明と化学合成:健康な体をまもるしくみを探る-ABCたんぱく質-:ポリペプチド・コンフォメーションの化学-タンパク質の「かたち」と「はたらき」を結びつける-

7.飼育動物の科学

肉質の遺伝的制御機構の解明と改良への利用-霜降り肉はどのようにできるか-:体細胞クローン技術の展望-クローンミニブタ-:新しい飼育動物・実験動物の利用-環境や食品の安全性・食品の薬理効果の評価-:日本と世界の家畜生産システムを探求する

8.海洋と生物

海の豊かさの仕組を解く-瀬戸内海の生物生産を支える栄養はどこから来るのか-:栽培漁業-水産資源をつくり育てる-:ベントスの謎をさぐる-分子が語る海洋無脊椎動物の生きざま-:新種を見つけよう!-青い斑紋のネズミゴチ-:水圏生物を利用する-生理活性物質や機能性食品開発,環境問題への貢献-:神秘のフィールド「海」をさぐる-地の利を活かしたフィールド研究-

9.虫の科学-人と昆虫との関わり-

ダニ類の化学生態学-コナダニ類のケミカルワールド-:適応進化をリアルタイムでとらえる-侵入したオオモンシロチョウに対する在来天敵の急激な適応-:ハダニとその天敵の攻防-神は細部に宿る-:昆虫の情報処理と動きのからくりを探る:昆虫に特有の機能をかく乱する殺虫剤-化学構造と生理活性-

10.人と農業のかかわり-農村の再生-

21世紀は「水」の世紀-水資源管理のあり方を探る-:計算テラメカニックス-月面ローバ用車輪の性能予測-:環境を守るために国内で食料を作る-循環型社会の構築に向けて-:農学知の統合-農村空間の未来,それは私たちの未来-:人類の社会と農業・農学-人間にとって食料とは何か,農業・農学とは何か-:森林・人・経済-森と人との共生をめざして-:発展途上国の農村経済を研究する-アフリカ,中国,中近東,東南アジアの農村は今…-:フードシステム-農場から食卓まで-:土・人・地域-ワイナリー経営と地域活性化-

公開講座「21世紀京大の農学」

下記のとおり,平成15年10月18日,25日,11月1日,8日に芝蘭会館において開催されました。

10月18日 カメムシのおもしろ生態学
大学院農学研究科教授 藤崎憲治
10月25日 動く遺伝子の働きに迫るー進化と突然変異―
大学院農学研究科教授 谷坂隆俊
11月1日 油脂はなぜおいしいのか
大学院農学研究科教授 伏木 亨
11月8日 農村の再生 その過去,現在,そして未来
大学院農学研究科教授 高橋 強

収蔵資料散歩 近世日本の世界図と世界像

山村亜希

江戸時代以前の地図は古地図と総称される。古地図は、景観を絵画的に表現した様式が主流であった。それらは近世中期以降盛んに出版されて社会に広まり、人々の地理認識に影響を与えた。現代の地図は最新の地理情報を正しく伝達することを目的とするが、古地図の中には、そもそも正しい地理情報を表現することを目的にしていたかどうかも疑わしい、限りなく風景画に近いものもある。もちろん、中には著名な伊能忠敬の日本図のように、測量に基づいて正確さを追求した実測図も存在したが、それらの多くは幕府製の公用図であって流通枚数が限られており、量産される絵画的な刊行図に比べて一般社会に与える影響は少なかった。

古地図は、内容の正確さからみれば、明らかに現代の地図に劣る。しかし反面、古地図には現代の地図からは読みとることのできない情報が含まれている。古地図には、出版者(版元)や作者が認識した世界や日本、江戸、京都などの姿が表現されている。さらには版元が売れると見込んだ購買者層の地理認識を表現している。つまり、古地図には作製当時の社会の抱いた地理認識が投影されているのである。

ここでは、古地図の中でも、本館所蔵の近世の世界図3点を取り上げる。世界図は、都市図・村絵図といった表現範囲が比較的狭い地図とは違って、人間が身体的に実感できないスケールの空間を描く地図である。だからこそ世界図には、人々が獲得した世界知識や世界のイメージが色濃く表現されていると見ることができる。

大航海時代以降のヨーロッパは、世界の地理知識を蓄積し、より正確な世界図の作製への努力を重ねていた。一方、同時代の日本は、鎖国政策によって、世界に向けては中国とオランダという限られた窓口しか開いていなかった。そのため、ヨーロッパにおける最新の世界図は、中国やオランダを経由して日本へもたらされることとなった。これらの世界図は日本で改変が加えられ、その多くは刊行されて一般の人々の手に渡ることとなった。世界図は、鎖国下で直接世界を知り得ない環境において、近世の日本人が世界をどのように認識していたのかを知ることができる貴重な資料である。

近世の世界図は、3つの系統に分けることができる。一つは仏教系世界図と称される世界図である。第1図は、典型的な仏教系世界図である、宝永7(1710)年刊「南贍部州万国掌菓之図(なんせんぶしゅうばんこくしょうかのず)」(鳳潭作)である。

第1図 「南贍部州万国掌菓之図」(文台軒宇平蔵版)
第1図.宝永7(1710)年「南贍部州万国掌菓之図(なんせんぶしゅうばんこくしょうかのず)」(文台軒宇平蔵版)117×145cm

この図には、仏教思想に基づいて、天竺(インド)を中心として、震旦(中国)と本朝(日本)の三国から成る三国世界観を表現している。このような仏教系世界図は、貞治3年(1364)に書写された「五天竺図」(法隆寺蔵)が現存最古のものであり、少なくとも中世以来日本の伝統的な世界観であると言えよう。しかし、第1図は確かに三国が大きく強調されて描かれているものの、「五天竺図」とは異なり、それ以外の地名も多々見える。例えば、図の北西には、インケレル・フランサ・アルハニヤといったヨーロッパ諸国の地名の付された島々がある。これらは、近世になってヨーロッパからもたらされた新しい知識によって、三国世界観が修正を余儀なくされた結果、描かれた表現であろう。第1図は、中世からの伝統的な世界観に新しい外来の知識が加わってできた、「近世的な」仏教系世界図であると言える。

世界図の第二の系統は、マテオ・リッチ系世界図と呼ばれる。イエズス会宣教師、マテオ・リッチが万暦30(1602)年に明で作製した「」が、清経由で日本にもたらされ、その影響を受けた世界図である。この図は、東アジアを中心にした卵形の世界図で、その中に漢訳された地名を記している。マテオ・リッチは、この中にアジア・ヨーロッパ・リビア(アフリカ)・アメリカ・メガラニカの5つの大陸を描いた。このうち、メガラニカとは南方に大きく描かれている巨大な未知の大陸を指す。この「坤輿万国全図」は日本に2点しか現存していないが、そのうちの一つは本学附属図書館に所蔵されている。

さて、第2図は宝永5(1708)年「万国総界図」(刊)である。東を上にした縦長の卵形世界図で、マテオ・リッチ系世界図の一つである。右下には、日本の唯一の世界への窓口である長崎のある肥前国から、諸外国への距離を示している。この図は、浮世絵師・石川流宣の作であり、上部に中国船と日本船の絵が描かれるなど、浮世絵師らしい絵画的な表現が見られる。マテオ・リッチ系世界図は、近世を通じて繰り返し模写されるほど人気であり、幕末には約250年前の古い知識を更新せぬまま踏襲した世界図もあった。

第2図「万国総界図」(須原屋茂兵衛 刊)
第2図.宝永5(1708)年「万国総界図」(須原屋茂兵衛刊)125×57cm

世界図の第三の系統は蘭学系世界図である。蘭学系世界図とは、18世紀半ば以降、オランダ経由でもたらされたヨーロッパの世界知識をもとに描かれた世界図のことをいう。その特徴は、世界を東西両半球図として描いている点で、情報の新しさ・正確さが求められた。第3図の寛政8(1796)年刊「*蘭新訳地球全図(*は口偏に咼)」は、大坂の蘭学者である橋本宗吉が作製した図である。また、当時多くの地図を作製した水戸藩の儒者であるがこの図を校閲したと書かれており、この図の信用度を高めている。しかし、カリフォルニア半島が細長い島として描かれ、オーストラリア大陸も西側が不分明であるなど、作製から半世紀以上も前の西欧の世界図をもとにしており、必ずしも最先端の世界像が描かれている訳ではない。西欧における最新の地理知識は、鎖国下の日本においてはタイムリーには導入されていなかったのであろう。

第3図「喎蘭新訳地球全図(*は口偏に咼)」(北沢伊八・浅野弥兵衛・岡田新次郎 刊)
第3図.宝永8(1796)年「喎蘭新訳地球全図」(北沢伊八・浅野弥兵衛・岡田新次郎刊)56×94cm

このように世界図から、近世日本において、世界がどのように認識されていたのかが分かる。中でもおもしろいのは、これらの多様な3種の世界図のうち、いずれかのみが「正しい」世界図として選択されたわけではなく、いずれもが併存して受容されていた点である。中世以来の知識を残す仏教系世界図も、江戸初期の古い情報があまり更新されずに模写され続けるマテオ・リッチ系世界図も、いずれも、最新の知識を伝える蘭学系世界図と同様に人々に受容されていた。地図に正確さ・新しさを求める現代の価値観とは異なる価値観が、近世日本には存在していたことを、これらの世界図は教えてくれる。

(愛知県立大学文学部講師、前京都大学総合博物館助手・地理学)

総合博物館レクチャーシリーズ

本レクチャーシリーズは、平成14年7月6日に第一回目を開催しました。この時は、韓国の朴宰弘先生(慶北大学校自然科学大学生物学科教授)に「鬱陵島の植物と山菜」というタイトルでお話しいただきました。それ以来、一月にほぼ1度のペースで開催、平成15年9月に10回目を数えるまでになりました。館の教官や学内外の第一線の先生方に講師をお願いしています。また、客員教授の先生がたも協力してくださり、10回のうち3回は客員教授による講演でした。これまで約500名の参加者がありました。また、かなりの方が何度も来聴されており、フィールド科学を人文系・理系の広い分野にわたって紹介する本レクチャーシリーズに対する人気を示すものと思います。前号までのニュースレターに紹介できなかった4回目~10回目のシリーズについて以下に簡単に報告します。

第4回「ヒマラヤ高山の温室をつくる植物、セーターを着る植物」スピーカー:大場秀章先生(東京大学総合研究博物館・教授)、平成15年2月22日(土)

モンスーンの影響を受けるヒマラヤ東部やチベット東南部の高山に適応した特殊なかたちをした植物のスライドによる紹介。さらに、こうした特殊なかたちをした植物の中から、葉の一部が半透明化して温室のガラスのようになり、花や生長点をその中に収める「温室植物」、葉や茎の表面から長い毛を密生し、それがセーターのように花や生長点を包み込む「セーター植物」を取り上げ詳しくそのしくみなどを紹介などをいただいた。

第5回「Downtotherootoftheanimals(化石から解き明かす多細胞動物の起源)」(英語・日本語翻訳付)」スピーカー:M.A.フェドンキン(Prof.M.A.Fedonkin)先生(ロシア科学アカデミー・古生物学研究所教授)、平成15年3月15日(土)

プレカンブリア代(46億年前~5.5億年前)の終わり、多細胞動物の進化の最初の頃の様子について、講演をしていただいた。約15億年前と考えられるイソギンチャクに似た化石の紹介は本邦では初めてのはず。約6億年から5.5億年前の地層から発見されるエディアカラ化石生物群の紹介、とりわけロシアの白海沿岸でご自身が発見された、這い跡を残している動物の先祖らしき化石は圧巻だった。さらに、エディアカラ動物群の出現直前に地球は最大規模の氷河期に見舞われたことが最近明らかになってきたが、この事件が多細胞動物の繁栄のきっかけを作ったとの自説を述べられた。

第6回「地下生物圏の秘密を探る」スピーカー:北里 洋先生(海洋科学技術センター固体地球統合フロンティア研究システム・地球システム変動研究領域・領域長)、平成15年3月29日(土)

従来、生物がほとんど生息していないと考えられていた地下の無酸素・暗黒・高圧・高温の環境下で、岩石の隙間に多様な生き物が生息していることが最近判ってきた。しかもこの地下に生息する生き物の総量は、地表の生き物の総量に匹敵するとする見積もりさえだされているそうである。地下の世界をはじめとする酸素の無い環境に住む生き物たちが、どこで何をしているのは、まだ謎である。そこで、無酸素の生物圏の秘密を解き明かすための試料を世界中から集めるプロジェクトが先生の所属研究機関で現在進められている。無酸素環境に住む生物を調べることが、じつは生命の誕生やジュラ紀など過去の地球環境や生物進化を復元する上でも重要な鍵を握ることなど、豊かな発想と夢のあるお話を聞けた。

第7回「原人の世界」スピーカー:山中一郎先生(京都大学総合博物館・館長)、平成15年4月26日(土)

今から150万年ほど前にアフリカ大陸に出現したヒトの進化の一段階は、「原人」と呼ばれる。50万年前ころには、原人は石器作りに新しい工夫を発明し、木や骨で石を叩いて割るようになる。40万年前ころには火の使用を始め、さらに寒い世界を支配するようになる。また火が与える光は、夜の闇の世界をも活動時間へと変える。さらに、40万年前、住居を構築、さらには、恐らく肌に着ける衣類の発明などを通して20万年前ころにはよりヒトらしい生き方をとるようになったらしい。そして、次の進化段階である旧人(ネアンデルタール人)を経て、わたしたちと同じ生物分類の枠のなかに入れられるホモ・サピエンス・サピエンス(新人)へとヒトらしさの進化は続く。このような、ヒトらしさの進化にとって重要な一段階である「原人」の世界についてお話をいだだきました。当時の石器の実物も披露していただけた。

第8回「ArchitektenundG_rtnerimMikrokosmos(大型有孔虫・熱帯の庭師にして建築家)」(ドイツ語・日本語通訳付)スピーカー:ヨハン・ホーエネッガー先生(Prof.Dr.JohannHohenegger)(ウィーン大学古生物学研究所所長)、平成15年5月18日(日)

海の中には、有孔虫と呼ばれる単細胞動物がたくさん棲んでおり、亜熱帯や熱帯、とりわけサンゴ礁の浅い海では、最大直径13cmにもなる。有孔虫は3億4千万年前に出現したが、ギザのピラミッドの石材にはこの有孔虫が集まって出来た石灰岩が使われている。今日でも、サンゴ礁でつくられる石灰質の砂粒の大部分は、有孔虫が作ったものである。大型有孔虫は渦鞭毛藻などの藻類を共生させている。そのため、殻は温室としての役目を果している。一方で、海底では、波浪など水の動きに抵抗して生きてゆかねばならない。そこで、共生藻をうまく飼育し、しかも環境要因にも適応した様々な形・構造の殻が作られる。つまり、大形有孔虫は、温室の建築士であり、共生する藻類を栽培する庭師ともいえる。このような有孔虫について、多様で美しい姿を多くのスライドで示しながら紹介された。

第9回「ランビルの森 -熱帯雨林の生物学-」スピーカー:永益 英敏先生(京都大学総合博物館・助教授)、平成15年5月31日(土)

鬱蒼と繁る密林には高さ50-70メートルにもなる超高木がそびえ,森林は何層もの複雑な階層構造をもち、わずか100メートル四方の空間に500種類もの樹木がひしめきあっているところさえある。このような熱帯雨林の生態について、ボルネオ島のランビル丘陵での調査を中心に紹介いただいた。とりわけ、東南アジアの熱帯雨林では,数年に一度,多数の樹木が花をつけ結実する一斉開花という現象が知られているが、なぜ,どのように起こるのか,まだよくわかっていない。この現象に焦点をあて,その解明をめざして10年以上にわたって継続されている研究などについて多数のスライドを使って解説いただいた。

第10回「化学の目で見た生態系-アリの社会と熱帯雨林生物共生系を中心にー」スピーカー:山岡亮平先生(京都工芸繊維大学応用生物学科教授)平成15年9月27日(土)

昆虫は、様々な化学物質をつくり、触角で化学物質を感知して生き、また、化学物質をたよりに様々な生き物と共生している。このような昆虫達の触角を通して見た、情報化学物質によって彩られた異次元の”ケミカルワンダーランド”についてお話しいただいた。地球上の動物個体数の1/10を占めるといわれるアリの繁栄の秘密は、化学物質に対する触角の検知識別機能を発達させ、昼間だけでなく夜間でも採餌活動が行えるようになったこと、さらにフェロモンなどの情報化学物質を生合成、分泌し仲間同士のケミカルコミュニケーションネットワーク(化学情報社会)を作り上げたことが理由であると紹介された。また、「1997年9月にランビル山での飛行機事故により帰らぬ人となってしまった、大切な友人、熱帯生態学者故井上民二君(当時京都大学生態学研究センター教授)」の言を借りれば、「このあたりの熱帯雨林には地球上の生物進化1億年の歴史が残っている」が、その例として、”アリをガードマンとして雇うゴキブリ”、”行軍シロアリの対グンタイアリ防御法”など共生や共進化のお話しをいただいた。

京都大学総合博物館日誌(平成15年6月~10月)

  • 6月13日 第70回教官会議
  • 6月18日 第16回運営委員会
  • 6月26日 第16回協議員会
  • 6月30日 外国人研究員 ヨハン・ホーエネッガー氏(オーストリア共和国・ウイーン大学古生物学研究所所長)帰国
  • 7月10日 外国人研究員 アラン・ハワード・サヴィツキー氏(アメリカ合衆国・オールド・ドミニオン大学生物科学教室助教授)来学
  • 7月18日 第71回教官会議
  • 8月10日 招聘外国人学者 林 良恭氏(台湾・東海大学生物系副教授)来学
  • 8月27日~8月31日 夏休み学習教室(第3回)開催
  • 9月4日 第72回教官会議
  • 9月11日 第17回協議員会
  • 9月19日 第73回教官会議
  • 9月27日 レクチャー・シリーズno.10「化学の目で見た生態系―アリの社会と熱帯雨林生物共生系を中心に―」開催
  • 10月1日 平成15年秋季企画展「21世紀京大の農学-食と生命そして環境-」開催
  • 10月1日 (人事異動)
    総合博物館から転出:助手 山村 亜希(愛知県立大学文学部講師へ)
    総合博物館から配置換:専門職員 小西 満(医学部庶務掛長へ)
    他学部等より転入:専門職員 東 年昭(医学部専門職員より)

  • 10月3日 第74回教官会議
  • 10月9日 外国人研究員 アラン・ハワード・サヴィツキー氏(アメリカ合衆国・オールド・ドミニオン大学生物科学教室助教授)帰国
  • 10月10日 外国人研究員 アスキス・パメラ・ジョイス氏(カナダ・アルバータ大学人類学教室教授)来学
  • 10月18日・25日 第14回公開講座