ニュースレター

No.14(2003年2月25日発行)

表紙

表紙写真

表紙の資料写真について

狛犬の写真

木製狛犬像

平安時代後期から鎌倉時代の作と思われる。檜を部分的に細工した寄木造り。阿吽一対のうち、写真は吽像。もう一つの阿像はその顔の表情がもう少し穏やかである。像の全体および顔の表情に美的センスが窺える秀作である。

1960年代に総長室を飾っていて、内外の来学者を迎えた。日本近代考古学の父で、本学考古学教室の創始者であった濱田耕作博士(元総長)が1930年に大阪府岸和田市の神於寺から購入して寄贈した。

【平成14年度京都大学附属図書館公開展示】会学びの世界-中国文化と日本-

木田章義

本年度5月に、附属図書館蔵『幼学指南鈔』(二冊)が重要文化財に指定されたのを記念して、本書を中心とした展示会が計画され、総合博物館との共催、文学部の協力を得て、10月30日から12月1日まで、総合博物館を会場として開催した。

展示されている写真

展示風景

『幼学指南鈔』は、平安時代末、日本で編纂された類書である。本書で解説されているのは、漢詩文に使用される語句であり、漢文を理解するために必要な地名や物品の名前や説明である。つまり、類書というのは、漢詩文を書いたり読んだりする時に必要な知識や語句の解説を集めたもので、今で言えば、出典付きの漢和辞書というのが近いであろう。平安時代の知識人は、こういう類書や幼学書を学んで、漢詩文を作る力をつけていったのである。

『幼学指南鈔』を中心に展示会を開催するということは、日本で中国文化をどのように受け入れたかを展示することになる。そこで、東洋史・中国文学・国文学の若い人々の協力を得て、三つのコーナーに分けた。第一部は、中国を中心として、朝鮮半島や日本列島を含めた範囲に、どのような形で中国の出版文化が広がっていたのかというテーマで展示を行い、第二部では、『幼学指南鈔』を中心に据え、このような類書や類書と一対となる幼学書などが、中国や日本で、どのように展開してきたのかを展示した。第三部は、日本に受け入れられた中国の典籍が、どのように消化されてきたのかをテーマとした。

本展示会の眼目は、きわめて貴重な典籍の中で、これまでほとんど知られていなかったか、あるいは注目されていなかったものを公開展示して、学界に提供するというところにもあった。この展示会以前から、「日本・中国・韓国版本研究会」が結成され、活動をしており、これらの貴重な典籍の存在を熟知している研究会の会員の協力が得られたことが、本展示会の展示品の充実に寄与した。

『幼学指南鈔』を中心にするという趣旨からみれば、本展示会の中心は第二部になるが、第一部でも、第三部でも、本邦初公開となる貴重な典籍をできる限りたくさん展示した。重要文化財の山である「清家文庫」を含め、これまで展示する機会のなかった国宝級の典籍、学問的に貴重な典籍などが展示され、地味ではあるが、京都大学の蔵書の質の高さが見事に示されており、遠くから二度も展示会に足を運んだ専門家も少なくなかった。

また、京都洛西にある近衛家の歴代が収集した書籍を保存している「陽明文庫」の協力を得られたことも特筆すべき出来事であった。陽明文庫蔵の、世界で一つしか所在が知られていない元版の袖珍本や『幼学指南鈔目録』(近衛家熙筆)も始めてのことである。陽明文庫の名和修文庫長のご好意に感謝したい。

図録は、新しい研究の一端が示されていたり、論文に匹敵する価値のある解説もあり、展示書籍の質の高さに合った、高度な内容となった。この図録の出版については、文学部の協力を得ており、まことにありがたいことであった。

具体的な展示方法については、素人の集まりであったために、苦労も多かった。説明パネルも、附属図書館館員の手製である。さまざまな人々の協力のもと、京都大学の蔵書の質の高さ、研究水準の高さを、目の当たりに示すことができ、当事者として充分な満足感を感じている。

(文学研究科教授・国語学)

幼学指南鈔(重要文化財)

初学者が学ぶべき項目を中国の古典からジャンルごとに選び配列した書物。平安末期に日本で編まれた。全31巻のうち23巻のみが現存。そのうち、巻七と巻廿二を京都大学附属図書館が所蔵する。

写真:幼学指南鈔 巻七目録部分、幼学指南鈔 巻七本文、幼学指南鈔 巻七末署名、幼学指南鈔 巻廿二目録部分、幼学指南鈔 巻廿二本文

巻十七本文中の年号[久安三年(1147)]と署名の「覚瑜」の活動時期が承元4年(1210)頃と推定されることから、本書の成立時期は平安末期と考えられている。

(より詳しい画像情報は
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k133/image/indexA1.html
を参照してください。)

【収蔵資料散歩】陸水生物学者,動物生態学者,画家-川村多實二先生の遺品-

成田哲也

川村多實二先生は、日本の陸水生物学および動物生態学の創始者、「陸水学」の名付け親である。理学部付属旧大津臨湖実験所の創始者の1人で、その初代所長であった。

川村先生の遺品が旧大津臨湖実験所の「官舎」に長らく保管されていた。官舎とは、川村先生が在任中から退官後もしばらく住まいした木造洋館風の建物で、旧大津臨湖実験所の敷地内にあった。1991年に大津臨湖実験所が廃止されて生態学研究センターに組み込まれた。生態学研究センターが大津市下阪本から大津市上田上平野町への移転時に官舎は取り壊された(1998年)。川村先生の遺品は箱に詰められて図書室の片隅に置かれていた。2002年7月、京都大学総合博物館にその遺品を移管したので、その内容物品との略歴について簡単に記しておきたい。川村先生の経歴については、上野益三(1964,1971)に詳しい。

川村多實二は、1883年岡山県津山市の生まれ。1903年から第三高等学校。川村は絵画に興味があったようで、この時期に洋画家浅井忠(号黙語)(1856-1907)の聖護院洋画研究所に通い、本格的な指導を受けた。浅井の没後出版された畫集3巻(黙語図案集、黙語日本畫集、黙語西洋畫集;明治41~43年刊)が遺品に残されている。

1906年から3年間を東京帝国大学理科大学動物学科の学生として過ごした。卒業論文はクダクラゲの分類学研究を行い、見事な彩色図を描いたとされている。残念ながらその時の彩色図はないが、ミズダニの分類をしたと思われる彩色図およびスケッチが残されている。これら彩色図は、そのままカラー図鑑の原図として使えるほど緻密なもので、すばらしい絵画の才能も持ちあわせていたことが見てとれる。

1912年に京都帝国大学医科大学に移り、石川日出鶴丸教授のもとで生理学の研究を始める。しかし、石川が念願していた淡水生物の研究を行う医科大学付属臨湖実験所が大津市の琵琶湖畔にできることになり(1914)、その筆頭所員として設立運営に尽力するとともに、あたらしい研究分野である野外生物学に取り組んだ。その成果も入れて、1918年に「日本淡水生物学」(上下巻)を著した。この本により日本の陸水生物学は大いに進歩することになった。遺品の中にある上下巻を合本したものには、多くの書き込みがあり、また新しい情報の切り抜きが貼り付けてある。改訂版を意図していたとおもわれるが、実現しなかった。1915年8月に、石川と共に日本で初めての臨湖実習会を開いた。プランクトンの検鏡実習などを行わせたが、この時に使用したとおもわれる手書きのプランクトンの大判絵図がある。日本ではじめてのプランクトン絵図であろう。

2年間の欧米留学後、1921年に京都大学理学部生物学教室、動物生理生態学講座教授に着任。日本語で書かれた初めての体系的な動物生態学の本である「動物生態学」(1931,「岩波講座生物学」)を執筆した。この本の中国語訳本、「動物生態学」舒貽上訳(1931)が遺されている。

後年、川村は鳥の囀りについて研究し、、退官後「鳥の歌の科学」(1947)を著している。その基になった鳥の鳴き声を表した資料などが保存されている。また、動物の心理にも興味を持っていたようで、「心の進化」(1947)を著しているが、その資料も残されている。

絵画に習熟していた川村はいくつかの絵を遺している。「日本淡水生物学」下巻(写真)は、生態学研究センターに保存されている。また、1915年に来日した、カルカッタ博物館長Annandaleの調査に同道した折りに描いた中国太湖の水彩画もセンターにある。遺品の中には、琵琶湖の雄松浜を湖上から観て描いた川村の作と思われる油絵があるが、銘はない。さらに、宮地伝三郎が川村から個人的に贈られた色紙が1枚。大津臨湖実験所70周年(1984)に際し、宮地が大津臨湖実験所に贈ったものである。美術への深い造詣から、京都大学を退官後、川村は京都市立美術大学の学長を務めている(昭和32年5月~38年5月)。

(生態学研究センター助手・陸水生物学)

引用文献
上野益三(1964) 大津臨湖実験所五十年 その歴史と現状
上野益三(1971) 川村多実二先生と動物生態学 遺伝 25(10):55-60.
上野益三(1977) 陸水学史 培風館.

写真:生態学研究センター蔵(水彩)写真:ミズダニの彩色画

「琵琶湖沿岸帯堆石下面の生物」[左:生態学研究センター蔵(水彩)には、カイメン、ウズムシ、ヒル、コケムシ、巻貝、ヨコエビ、水生昆虫など多くの淡水動物が描かれている。右4点はミズダニの彩色画[総合博物館蔵(水彩)]。

【レクチャーシリーズ】「7億年前、地球は凍結した?」開催報告

総合博物館 レクチャーシリーズ(Honzou-e)NO.2

スピーカー 川上紳一先生(岐阜大学教育学部地学助教授)
日時 平成14年10月26日土曜日 13:00-14:30
場所 京都大学総合博物館内 ミューズラボ
参加者 約35名

世界各地には、約7億年前の氷河堆積物が広分布しています。一方で、これら氷河堆積物がきわめて温暖な環境で堆積した縞状の炭酸塩岩に直接被われていたり、20億年以上前に形成の最盛期が終わったはずの縞状鉄鉱床が氷河堆積物に挟まれて存在するなど、この時代には簡単には説明つかない様々な謎がありました。最近、謎の全てを合理的に説明する大胆な作業仮説がだされました。それは、地球全体が凍結するほどの代氷河期を仮定すれば、その期間中、あるいはその直後に謎とされた堆積物の形成に都合のよい環境が出現したはずだという「全球凍結仮説」で、実際、古地磁気学的研究結果からは、氷河堆積物が低緯度でも形成されたことも示唆されています。

ただし、この仮説は地球表面全体が凍結したという、これまで気候学者によってあり得ないとされた事態を提唱していて、反論も多く、地球科学のホットな話題となっています。

はたして7億年前に地球表面全体が凍結するような事態に陥ったのでしょうか。川上先生は、真相解明の鍵となる地層が最も良く分布する遙かアフリカ大陸の南部、ナミビアの地に、一昨年、昨年と日本の様々な大学(京都大学総合博物館からも参加)の研究者からなる調査隊を率いて現地の調査をされました。その、過酷な野外調査の末に得た成果に基づいて、研究の最前線をレポートしてくださいました。ナミビアから持ち帰った氷河堆積物の巨大な標本なども見せてくださり、7億年前の氷の世界にひきこまれるような迫力あるお話を楽しむことができました。

なお、川上先生は、ウェッブを使って様々な理科教材を公開されています。興味をお持ちのかたは、是非
http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/stu/kawa/kawakami.html
にアクセスしてみてください。(–>「現在の研究内容」–>「地学情報部」参照)

【レクチャーシリーズ】「未知なる生物の宝庫-メイオベントス」開催報告

総合博物館 レクチャーシリーズ(Honzou-e)NO.3

スピーカー 白山義久氏(京都大学大学院理学研究科教授・附属瀬戸臨海実験所所長)
日時 平成14年11月30日土曜日 13:00-14:30
場所 京都大学総合博物館内 ミューズラボ
参加者 約35名

今回は、白山義久先生に、メイオベントスについてお話いただいた。聞き慣れない言葉であるが、これは、海底にすむ動物を大きさで分けたとき、1mm~0.032mmの大きさのものを指す言葉である。白山先生は、この小さな動物たちについて、わかりやすく紹介してくださった。

まず、その数に驚かされる。小型だから目立たないが、その生息密度は1平方メートル当り100万匹をゆうに超えるそうである。また、22動物門を超えるさまざまな動物群が含まれている。特に線形動物門(線虫類)は、総種数が1億種を超えるとする見積もりさえあるくらいに多様である。しかし残念ながら日本では、この動物たちの研究はあまり進んでいない。顕微鏡を駆使しなければできない根気のいる研究である。

しかし、最近もいくつかの新しい門が発見されている「未知なる生物の宝庫」である。それは、20世紀以降発見されたあたらしい6つの動物門のうち5つがメイオベントスであることからもわかる。今後も、まだまだ生物学者が想像したこともないような不可思議な生物がたくさん見つかる。そして昆虫をしのぐような種の多様性を持つ可能性すらある。そんな魅力的な「サブミリ」の動物の世界を、多くの図や写真を使って説明してくださった。なお、興味を持たれた方は、白山先生のホームページ(–>「研究テーマ」)を見ていただくと、メイオベントスについての簡潔な説明があります。

http://www.seto.kyoto-u.ac.jp/yshira/index.html

【京都大学ミュージアムコンサート開催報告】ジュニアオリジナルコンサート開催

平成14年11月1日の夕刻、京都大学総合博物館は、香り高い音楽の館に変身した。コンサートが開催されたのである。

当館は、博物館と呼ばれるにふさわしい空間を備えた日本初の本格的大学博物館であり、昨年6月1日の開館以来、この恵まれた空間を市民に親んでもらえるものとするため、常設・企画の展示はもちろん、学習教室、科学教室、講演会など様々な試行錯誤を行ってきた。その一環として開催したのが、このコンサートである。開館以来、コンサートを構想してきたが、今回それが実現したのは、館の理念と相通ずる活動を行っているヤマハ音楽財団・株式会社十字屋をパートナーとして見いだせたからである。長尾真総長らの参加も得て、18時から総合博物館1階ロビーで、約150名を招いて開催した。

当日は、ヤマハ音楽財団が主催する音楽教室で才能を開花させている京都周辺在住の小学生~高校生やそのOBで、京都大学の大学院に学ぶ学生などが創作したピアノ曲、ヴァイオリン曲、合唱曲などが披露された。館の展示場入り口にシンボルとして据え付けられた直径80CMの巨大なアンモナイト化石に想を得、8500万年前の海をゆったり泳ぐアンモナイトの姿を描いた即興曲、四季を生きてやがて雪のころ樹木から別れて命を終え、次の命を支えるために土に帰っていった「葉っぱのフレディー」の物語をうつくしく歌い上げ、命の尊さを訴えた歌曲など、自然・文化・生命をテーマとした総合博物館の展示の精神と共鳴するプログラムは、聴衆に深い感銘を与えた。

今回の企画の実現にあたっては、パートナーであるヤマハ音楽財団、株式会社十字屋の全面的な協力を得られた。また、京都大学事務局長の本間雅雄氏は、館とパートナーの共同作業がスムースに運ぶよう、様々な労をとってくださった。

開館以来、総合博物館では、館長以下「大学博物館は文化施設である」と信じて「社会に開かれた大学の窓口」としての役割を果たそうと日夜模索してきた。今回、実績あるヤマハ音楽財団との共催企画が実現したことは、館の教官・職員の地道な模索の真摯さを外部からも認めていただけた現れとして理解したい。そして、これを励みに総合博物館をさらに親しめる博物館として発展させるため、今後も学内外の協力を得ながら努力してゆきたい。

【博物館スタッフ紹介】伊惠珠博士

総合博物館客員教授(平成14年9月1日-12月15日)
伊 惠珠 博士
Dr.YunHye-su

伊惠珠(ユン・フェス)先生は、韓国・延世大学地質学教室で地質学古生物学を修められた後、ドイツ・¥ボン大学の地質学古生物学研究所で、理学修士、そして1979年には理学博士を取得されました。その後韓国に戻られ、現在は忠南国立大学地質学教室教授、また韓国古生物学会副会長を務められています。

先生のご専門は渦鞭毛藻の化石で、ボンで微化石研究の世界的権威であるKlausJ.Mueller教授の下でドイツの白亜紀の地層からの渦鞭毛藻の分類記載で博士号を取得されて以来、25年c近くにわたってその研究を続けられています。微化石はわずかな堆積岩の塊からも大量に見つかるため、ボーリングコアなど限られた資料しか入手できない石油探査など、応用面を含めて地質年代を決めるのに有効な化石(示準化石)として利用されています。また、渦鞭毛藻は環境の変化に敏感に反応して分布その他を変えるので、過去の環境を調べるのにも有効な化石です(示相化石)。ユン先生は、渦鞭毛藻のこのような利点を生かして、現在日本海形成初期の頃の様子をボーリングコアからの資料も交えて詳しく調べておられ、今回日本の資料も含めた集大成を視野に入れて客員研究員として9月~12月まで総合博物館に滞在されました。赴任の直前にも対馬にサンプリングに赴かれるなど日本の地質も良く知っておられます。

趣味は、登山など野外におられることがお好きとのことです。韓国では、都会を離れた山中に別荘を構えるのが今流行とのこと。先生も数年かけて候補地を探され、「2003年にはいよいよ庵を構えようかと思っている」と話されていました。なによりの自慢は、この庵の敷地内に、「たまたまではあるが、韓国でもっとも大きなモクレンの樹があるのですよ」だそうです。

英語も堪能ながら、留学の経験から非常に格調が高い正当派のドイツ語をお話しになります。外国語を学ぶことが大変お好きで、滞在されている間も、しばしばテレビで耳にされた日本語をメモされ、その意味だけでなく、ニュアンスまでを問われました。さすがに3ヶ月半の滞在では流暢な日本語は無理でしたが、サバイバル・ジャパニーズは見事に習得され、生活にはほとんど不自由されない様子でした。先生によると、日本語と韓国語は文法的にきわめて似通っているのでお互いに勉強しやすい。ただし、韓国語のほうが発音が難しいので、韓国人は日本語に早く習熟するが、日本人は韓国語に習熟するのはそう簡単では無いだろうと、持論を展開されていました。

滞在期間中には、日本海の成立についての研究を勢力的にまとめておられました。いずれ近いうちにその成果を出版されるご予定です。

京都大学総合博物館日誌(平成14年10月-平成15年1月)

10月2日
平成14年特別企画展「近代日本を拓いた物理実験機器」-三高コレクションと物理学教科書から探る-開催
12月6日
第64回教官会議
10月5&12日
第12回公開講座
10月11日
第62回教官会議
10月26日
レクチャー・シリーズ no.2「7億年前、地球は凍結した?」開催
12月27日
平成14年特別企画展「近代日本を拓いた物理実験機器」-三高コレクションと物理学教科書から探る-終了
10月30日-31日
「生き方探求・チャレンジ体験」(下鴨中学生3名)実施 平成15年
10月30日-12月1日
平成14年度附属図書館公開展示会「学びの世界―中国文化と日本―」開催、附属図書館・総合博物館共催、大学院文学研究科 協賛 1月10日 第65回教官会議
11月1日
ミュージアムコンサート開催
11月8日
第63回教官会議
11月30日
レクチャー・シリーズ no.3「未知なる生物の宝庫―メイオベントス」開催
12月15日
外国人研究員尹惠洙(大韓民国・忠南大学校自然科学大学地質学科教授)帰国
12月22日
外国人研究員フェドンキン,ミカイル アレクサンドロヴィッチ(ロシア連邦・ロシア科学アカデミー古生物学研究所研究室長)来学
1月17日
第15回運営委員会
1月31日
第15回協議員会において次期館長に山中一郎同館教授(考古学)が選出された。任期は4月1日から2年間。