ニュースレター

No.12(2002年6月10日発行)

表紙

表紙写真

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表紙の資料写真について

ラムスデンの摩擦起電器

写真

1881(明治14)年以前に18円で第三高等学校の前身校が購入した。ロンドンのW.R.Statham社製で、ガラス円盤を回転させて皮革と摩擦させて静電気を発生させる装置である。1800年の電池の発明以前には、この摩擦起電器が唯一の発電機であった。[Cat.No.34]

(京都大学蔵)

ダッデル熱電流計

写真

1913(大正2)年に235円80銭で第三高等学校が島津製作所を通して購入した。イギリスのCambridgeScientificInstrument社製である。電流を加熱線に通してその輻射熱を熱電対で感知し、その電位の上昇で電流量を測定する。高周波交流の電流量を正確に計る測定器である。[Cat.No.269]

(京都大学蔵)

出典:永平幸雄・川合葉子編著『近代日本と物理実験機器―京都大学所蔵明治・大正期物理実験機器―』 京都大学学術出版会 2001年

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企画展『薬と自然誌』に寄せて

本多義昭

頻度は言えないが、「××という生薬が○○○病に効くと効いたが本当か?」「△△という薬草が□□に効くので売り出したい。」といった相談が来ることがある。本人から直接電話を受けることもあるし、他部局経由で来たり、時には代議士の秘書という方を通してのこともある。

相談をもちかける方は、専門家だから何でも知っているはずだという意識があるようである。根っこのかけらを「これなんですが」と言われても、そこそこ知られている生薬や薬用植物ならともかく、「どこそこのなんとかという場所ではこれこれに効く」と言われても、困ってしまうことのほうが多い。

自己弁護になるが、その理由はちょっと考えてみれば判っていただけるかと思う。地球上には高等植物だけでも何十万種とあり、いまだに新種の発見、登録が分類学者によってなされ、続けられている。そして、これの植物は既知未知を問わず、すべて薬になり得る可能性をもっている。加えて、麝香、熊胆(ユウタン)、蟾酥(センソ)、冬虫夏草、竜骨、石膏(もちろん天然のもの)など、動物界、微生物界から化石、鉱物に至るまで、地球上のあらゆる天然物を、古来ヒトは薬の対象として見てきた。

加えて、生薬は「薬」であるから、その一つ一つに固有の使い方と大抵は複数の効果・効能が知られている。しかも、それらは使われている土地によって、違っていることもしばしばである。その土地では「こう使うのですが」と言われれば、「そうですか」としかいいようのないところもある。調査研究はまだ地球の隅々にまで至っていないからである。

先輩の研究者が集められた資料を見ても、己の知識の無さを知らされることが多い。薬学部から博物館に移管した生薬のうち、比較的馴染みの漢薬類だけでも6000点を数えるが、これらは多くが植物体の一部である。それらには、同物異名や同名異物もあって、収納瓶のラベルを伏せて、鑑定試験を受ければ、散々な結果になるかもしれない。まして、見知らぬ土地の見知らぬ民間薬とあれば、それはもうお手上げであることが多く、即答は絶対にあり得ないのである。

ヒトが自然界から選びだしたこれら天然薬物には、活性をもつ特殊な二次代謝成分が含まれている。それらはヒトの五感に訴えるものも少なくない。しかし、これらの成分は、もともとはその生物が生き残り戦略の一つとして、進化の過程で生み出してきたものである。その化学戦略物質をヒトのみならず他の動物も敏感に察知し、巧妙に利用してきた。霊長類の薬、植物の殺虫成分、誘引成分などである。今回の企画展示では、薬の多様性と、京都大学の研究で明らかにされたこれらに関連する様々な視点とが紹介されてある。来館者にその主旨を汲み取って頂ければ幸いである。

(本学大学院薬学研究科教授・生薬学)

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平成14年度特別企画展「薬と自然誌」

期間 平成14年6月1日(土)~9月1日(日)(月・火曜日休館)
開館時間 午前9示30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
会場 第2企画展示室(南棟2階)
ごあいさつ

「薬と自然誌」を企画展示で開催することになりました。われわれ人類は、動植物を食料として摂取します。栄養補給の目的のほかに、ある動植物のもつ特定の効果を期待して「体内に取り入れる」ことから、薬の使用が始まりました。民族によって使用される薬の種類は異なります。世界の民族が使用する薬は、きわめて多岐にわたります。常設展示のメインテーマは京大の野外研究ですが、特殊な内容である「薬」の分野は盛り込めませんでした。「薬と自然誌」は、企画展示にふさわしいテーマであると思います。京大でユニークに発展してきた霊長類学は、サル類が薬を使用していることを見い出しました。これは驚きです。薬の概念を拡大しますと、フェロモンのような「香り」の効用もふくまれることになります。昆虫類も薬を使用しているのです。「薬」の世界の多様性をお楽しみ下さい。

総合博物館長 瀬戸口烈司

「薬と自然誌」へのいざない

人はいにしえより自然界から様々な物事を学び、利用してきましたが、病気を治す「薬」もまた、人が自らの実体験を経て自然界から選び出した特別な「もの」のひとつです。

この度、京都大学総合博物館の企画展として、「薬と自然誌」というテーマを掲げ、自然界からの薬とそれに関係する様々な視点から、京都大学の研究を紹介することになりました。

今回の展示では、薬の発見や多様性、世界各地で使われている伝統薬など、京都大学の教育・研究用資料として、また現地調査などで集められた資料をもとに、伝統薬の世界を紹介します。また、京都大学でなされた伝統薬の研究や,貴重な本草関係の資料も併せて展示、解説します。

最近の研究は,人に固有と思われていた「薬」の文化が、霊長類にまでさかのぼれることを示しています。また、霊長類の薬と人の薬の間にも共通したものがあることも判ってきました。この裏付けとなる事実も貴重なグラビアと映像で紹介します。

人が自然界から選びだした薬に含まれる有効成分は、二次代謝産物といわれるもので、多くその生物の生命維持に直接関係するものではありません。これらの化合物には、その生物が生き残り戦略の一つの手段として,進化の過程で生み出してきたものもあり、その化学戦略がいかなるものか、具体的な事例で紹介します。

今回の企画展示は、総合博物館を核に薬学研究科、霊長類研究所、農学研究科の関係研究室が協力して進めてまいりました。この展示を機会に、多くのかたがたが京都大学の学の集積を体感されるとともに、自然や科学への更なる興味を覚えていただきたいと期待いたします。

実行委員長大学院薬学研究科教授 本多義昭

展示項目
人とくすり
  • 1.くすりの発見
  • 2.世界の生薬
  • 3.伝統薬を現地に探る
  • 3.薬用植物成分の研究
  • 4.本草学の流れ
動物とくすり
  • 6.動物界の医療とくすり
  • 7.チンパンジーの医療とくすり
  • 8.くすりの起源説
農業とくすり
  • 9.植物由来の虫除け
昆虫・植物とくすり
  • 10.くすりと昆虫行動
  • 11.くすりと植物現象

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【第11回(平成14年前期)公開講座】「薬と自然誌」

下記要領で公開講座を開催しますので、受講希望の方はお申し込みください。

演題及び講師
7月27日(土) 午前の部
大学院農学研究科 教授 桒原保正
「農学部のくすり研究・温古知新」
7月27日(土) 午後の部
大学院農学研究科 教授 津田盛也
「人と菌類の付き合い-くすりと作物病」
8月3日(土) 午前の部
霊長類研究所 助教授 マイケル・A・ハフマン
「チンパンジー薬膳料理」
8月3日(土) 午後の部
大学院薬学研究科 教授 本多義昭
「生薬の世界」
期間
平成14年7月27日・8月3日(各土曜日 計2回)
時間
各回 午前の部 午前10時~午後0時30分 午後の部 午後2時~午後4時30分
場所
社団法人 京都大学医学部芝蘭会 芝蘭会館 [TEL]075-771-0958
(百万遍交差点南約500m、東山通り東一条交差点南西50m。駐車場はありませんので自家用車による来館はご遠慮下さい。)
定員
60名(先着順)
受講料
5,800円(全講義を通しての受講料です。納められた受講料は返金出来ません。)
申込方法
現金書留によりお申し込み下さい。現金書留封筒には次のものを同封して下さい。
  • 受講料
  • 住所・氏名・年齢・職業・電話番号を記入した用紙。(形式は問いません。)
  • 返信用封筒(表側に宛名・郵便番号を記入し80円切手を貼って下さい。受講証・領収書等をお送りします。)
  • 申込期間:7月1日(月)~7月12日(金)
申込・現金書留送付先
京都大学 学術情報メディアセンター等事務部 経理掛
〒606-8501京都市左京区吉田本町
[TEL]075-753-7404
問合せ先
京都大学 学術情報メディアセンター等事務部 博物館事業掛
〒606-8501京都市左京区吉田本町
[TEL]075-753-3273

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開館1周年記念催し「総合博物館の展示を語る-文系・理系教官競演」

開催報告

京都大学総合博物館は、平成14年6月1日、展示の通年公開を旨として開館して以来1周年を迎えた。そこでこれを記念して6月1日(土曜日)午後1時30分から表題のような記念の催しを行った。公開1周年ということで、一般からの参加者を募り、専門の教官が展示の親しく解説するという形式を取った。具体的には、角谷岳彦助手が「芦生の森の花と昆虫の共生を語る」、山中一郎展示教授が「考古学展示を語る」という内容で案内を引き受けて下さった。京都新聞や産経新聞に取り上げられ、応募者は当初予定の40名を上回り、60名となった。担当の両教官が、同じプログラムを並行して2回走らせることを決断し、応募者全員に参加していただけることとなった。

当日は、児童・生徒とその保護者を中心とするグループと、社会人・熟年を中心とするグループに分け、両教官が年齢層に応じた内容で催しを進めた。参加者の反応はきわめて良く、16時10分の解散を予定していたが、結局終了したのは、閉館ぎりぎりとなった。催しの終わりには瀬戸口烈司館長から無料入場券付きの終了証が参加者全員に手渡しされ、思わぬプレゼントに参加者に喜んでいただけたようである。

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【収蔵資料散歩】琉球進貢船図屏風

岩﨑奈緒子

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「琉球進貢船図屏風」
京都大学総合博物館蔵

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京大本:左上に見える落平(うてぃんだ)

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「琉球貿易図屏風」
滋賀大学経済学部附属史料館蔵

中央に「奉旨帰国」という旗を掲げた中国風の船。岩壁にはそれを迎える人々。「琉球進貢船図屏風」(上左の写真)は,琉球が中国に派遣した進貢船が帰国し,にぎわう那覇港の様子を描いたものである。絵図には,鹿児島藩の武士,城(ぐすく)とよばれる琉球独特の構築物や爬竜船の競漕行事など,近世日本の支配をうけつつ,対外的には独立した国家として中国との朝貢関係を結んだ近世琉球の風俗が凝縮されている。

長い間博物館の収蔵庫に眠っていたこの屏風の存在について,前任者吉川真司文学研究科助教授から教示を受けたのは,二年前,滋賀大学の所蔵する類似の屏風の成立過程を調べていた頃だった。画像中央に進貢船,左側に那覇港,右側に首里城と城下町を配した構図の屏風は,現在,滋賀大学経済学部附属史料館蔵「琉球貿易図屏風」(下の写真)と浦添市美術館蔵「琉球交易港図」,それに,沖縄県立博物館蔵「首里那覇港図」が知られている。とくに前二者については,細部の描写がよく似ていることから,同じ工房でつくられたものではないかと推定されている。本館の「琉球進貢船図屏風」は,描写の対象や手法を見る限り,滋賀大本・浦添本の系統に属するものであり,第三の屏風の出現ということになる。

本屏風の成立を知る唯一の手がかりは,画面左上の二つの樋である。サバニと呼ばれる小さな船に桶を載せて水を汲んでいる様子は,滋賀大本・浦添本にも描かれている。現在は埋め立てられて当時の様子をうかがうことはできないが,「落平(うてぃんだ)」(上右の写真)と注記されたこの樋は,港を出入りする船のみならず,那覇の住民にとっても大切な水汲み場であった。もともと一つだった樋が二つに増設されたのは1807年のこと。『琉球国碑文記』には,一つしかない樋をめぐって争いがたえなかったために,この年に新たな樋が建設されたことが記されている。したがって,この屏風の成立は1808年をさかのぼるものではない。

では下限はいつか。浦添本の元の持ち主が琉球で屏風を入手したのが遅くとも1887年頃。それが下限とされてきたが,近年,滋賀大本の修復の際に,屏風の中から薩摩藩江戸藩邸の文書が発見された。近世後期,1830年頃の諸々の支払いに関わるいくつかの帳面を解体したもので,この発見により,屏風製作に薩摩藩が関与していたことが傍証されている。そこで,屏風の製作は江戸時代にさかのぼるという仮説をたてたのだが,京大本の出現で,まだまだ検討する余地のあることが明らかとなった。

というのも,浦添本にも滋賀大本にも画面右上に詳細に描かれている首里城が,京大本にはないのだ。琉球王府の拠点,琉球の象徴ともいえる首里城がなぜ描かれていないのか。三つの屏風を比較すると,他にも描写の小さな異同はいくつかあって,これもその類いと解釈するのも一つの考えだが,屏風製作に薩摩藩の関与を想定すると,琉球国王の居城の欠落は意味が大きいように思われる。あるいは,同じ工房の製作という前提を考え直す必要があるのかもしれない。

昭和の初め頃に購入したという記録が残るのみで,詳細が不明のこの屏風をあえて紹介したのは,先の戦争で多くの歴史資料が失われた沖縄にとって,貴重な資料が新たに付け加わることになると考えたからである。多くの方の目に触れることによって,今後の研究が進展することを切に願っている。

参考文献
謝敷真起子「琉球交易港図考」『きよらさ』18・19号,1998年.
岩﨑奈緒子「『琉球貿易図屏風』の成立について」(滋賀大学経済学部附属史料館『研究紀要』34号,2001年.

(総合博物館助教授・日本近世史)

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【国際シンポジウム】「博物館と社会の共生関係を築く」

総合博物館では、国際シンポジウムを平成14年3月31日に開催しました。以下には、開催のいきさつとゲストスピーカーの講演内容について簡単に紹介します。

この国際シンポジウム開催の目的は、京都大学総合博物館が主催し、国際的に活躍している研究者を招いて、総合博物館という立場から、21世紀における地球と人類の共生パラダイムを探る点にあった。

20世紀、人類活動の飛躍的な高まりとともに、生物多様性の擾乱、気候擾乱などをはじめとする地球規模の問題が種々生じた。その解決は21世紀に先送りされている。先送りになった理由は、これら諸問題が、非常に複雑な要因のからみあったもので、20世紀型の専門化、細分化になれきった既存の科学体系にもとづく思考では解決が難しいことも一つの大きな要因であろう。

これらの解決には、1)現状および、過去の「正常な」時代から現在までの地球規模の変動に対する客観的情報の収集、2)学際的研究による解決策の追求、3)問題の所在についての一般市民への啓発、基礎情報の提供などが重要となってくる。一般に大学総合博物館には、1)過去の地球の生物圏や、地球環境を記録した学術標本資料が多数存在し、2)文系から理系までの幅広いスタッフが存在し、3)常設展示、企画展示、学習教室の開催、インターネットを通じた情報の発信、といったインフラが存在し、まさに21世紀に先送りされた諸問題の解決に貢献することのできる重要な拠点である。

京都大学総合博物館は、250万点の物証資料標本群を所蔵し、博物学の広い分野を網羅する教官を擁する。そこで、平成9年発足のこの新しくユニークな組織の強みを生かし、上述のような地球規模の問題の解決の一翼をにない、また、そして、広大な展示空間やインターネットを通じて広く一般市民に情報を提示し、地球と人類の共生が共生できる21世紀の実現に貢献しようと意気込んでいる。ただし、大学に所属する博物館として、研究活動についてはそれなりの自負も蓄積もあるが、1)情報源である学術標本資料の管理体制、2)情報の発信の2点については、経験も少なく今後大いに改善すべき点がある。そこで、このような点に焦点をあてて内外の第一線の研究者を招いて情報や経験の交流を行うことを通じて、大学博物館の将来に対して明るい展望を得ることを目的として、次のような目的をもって本シンポジウムを開催することとした。

本シンポジウムは、海外より招待講演者4名、学内より招待講演者1名、さらに国内より招待座長3名を招待して開催した。平成14年3月31日、京都大学総合博物館において開催された。内外よりの専門家40名と若干の市民が参加し、熱気のこもったものとなった。以下のようなプログラムで開催したが、このプログラムは、総合博物館のインターネットウエッブサイト上にも公開した。その際、ゲストスピーカーの所属する組織のウエッブサイトをリンクし、参加希望者が事前に、チェックすることによって事前に予備知識が持てるように工夫をした。

プログラム
10:00開会の辞
京都大学総合博物館館長 瀬戸口烈司
10:10シンポジウムの目的
京都大学総合博物館教授 大野照文
第一部 標本を収集したり記録することの重要性
10:20何故博物館は標本を集めそして記録するのか
コペンハーゲン大学博物館 DannyEibye-Jacobsen
11:40デジタル・アーカイブが支える博物館
数位典蔵國家科技計画(NationalDigitalArchivesProject,Taiwan,R.O.C.)SimonLin

12:20~13:20昼食

第二部 大学博物館と社会
13:20大学博物館と一般社会への文化啓発
高麗大学博物館館長 Kwang-SikChoe
14:20博物館が結ぶ科学と市民
京都大学人文科学研究所 加藤和人
15:20~15:40
休憩
15:40博物館研究者が社会に対して果たす役割
ウィーン国立自然史博館HerbertSummesberger
16:40総合討論
17:20懇親会
講演要旨
何故博物館は標本を集めそして記録するのかコペンハーゲン大学博物館

DannyEibye-Jacobsen

地球上の生物の多様性を記録することは、きわめて重要である。それは、純粋学問的な興味から、さらには、現在脅かされている様々な絶滅危惧種についてのきちっとした対応を行うため、また、遺伝子資源としての多様な生物を登録し利用しやすいものとする上でも重要である。国際的に様々なプロジェクトが立ち上がり、そのアーカイブ化作業が進められている。しかし、最大の問題は、アーカイブの入り口における様々な種の同定を行える人材の育成に資本が投下されていない点である。つまり、分類系統学的な基礎知識をもった専門家の育成や、若い専門家の活躍できる場が恒常的に保証されていない。プロジェクト自体には巨額な投資が行われているにもかかわらず、アーカイブの質を規定する同定作業にこのような不安があるとすれば、成果品であるアーカイブには十全の信頼を置くことができない。もちろん分類学に携わる専門家は誠心誠意努力しているが、それには限界がある。今後、恒常的にこのような人材の確保にも配慮がなされるべきである。

デジタル・アーカイブが支える博物館

数位典蔵國家科技計画(NationalDigitalArchivesProject,Taiwan,R.O.C.)SimonLin

台湾では、自然史から文化史までを見通したデジタル・アーカイブシステムを国家プロジェクトとしてたちあげ、現在アーカイブを作成中である。さまざまな学問領域で収集されてきたコレクション、一次アーカイブを一元的にデジタル・アーカイブすることには、大きなメリットがある一方で、そもそも学問習慣の異なる分野で収集されたものを共通のシステム下で利用可能とするためには、優れたメタ・データベースの開発も必要である。数位典蔵國家科技計画は、この困難な課題にチャレンジし、この数年に国際的にも指導的な地位に躍り出ることを目標に研究を進めている。

大学博物館と一般社会への文化啓発

高麗大学博物館館長Kwang-SikChoe

西暦2005年に100周年を迎える高麗大学博物館は、おもに朝鮮文化の至宝や貴重な古文書を多数収容する博物館であり、100周年記念の一つのモニュメントとして新館の造営が現在急ピッチで進められている。館では、収蔵品の管理だけでなく、これを使った研究成果を広く内外に情報発信すべく様々な企画を練り、実行している。博物館の周辺の自治体と連携した講演会、学習教室、ものづくり教室、さらに収蔵品の由来した地方の自治体等と協力した様々なイベント、また海外からの要請に応じた巡回展の企画運営などである。高麗大学博物館は、実働できるスタッフが教官・事務官を含めて5名しかいないが、学内での理解を得るための努力、また学外の企業からの支援を受けるための努力を根気強くおこなってきた。その結果、各方面からの支援を得られ、スタッフの力量以上の様々な成果を上げることができた。これまでに得た経験は、誠心誠意努力すれば必ず共感と支援を得られるということであり、いずれ、新館が完成し、オープンしてからも様々な問題が山積しているが、それを解決していく上で大きく勇気づけられる経験だった。

博物館が結ぶ科学と市民

京都大学人文科学研究所加藤和人

大学博物館は、多数の研究者を擁し、優れた研究をおこなっている研究機関に付属する博物館である。この意味において、収蔵品の数も重要ではあるが、大学博物館は、まさに、直接研究者が最新の科学の成果を一般市民に情報発信できる舞台である。科学は細分化され、一般市民にとって科学とは、難しいジャーゴンが百鬼夜行する恐ろしい世界として受け止められている。このような認識を生みだしたのは、中途半端な知識でセンセーショナルにかき立てるジャーナリズムの責任も大きいが、やはり研究者自身が直接一般市民と対峙し、いったい市民が何を求め、またどの点で科学の成果の理解に困難を観じているのかをリサーチし、そして適切な処置をとってゆくことが大学と一般市民との共生関係を維持する上で重要である。エージェンシー化を控え、このような努力なしには、大学博物館のみならず大学自体が衰退するであろう。

博物館研究者が社会に対して果たす役割

ウィーン国立自然史博館HerbertSummesberger

ウィーン国立自然史博物館の歴史は古く、世界的にも評価が高い。しかし、科学者と社会の関係を真剣に考える伝統はようやく最近になって強く意識されてきた。初等・中等教育への取り組みもこの数年改善され、事前に要望があれば、博物館の展示の見学ツアー、あるいは、実習教室などに対応できる体制が整い、年間数え切れない行事を行っている。ただし、博物館を取り巻く状勢はけっして楽観を許すものではない。そこで、数年前よりボランティアを募り、標本の作製、維持管理、案内など幅広い領域で活動してもらっている。もちろん館の目論見にあった働きをしてもらうために、ボランティア希望者を教育することには、大きな負担がかかる。しかし、このコストを考えても、長期的には博物館の運営にとって大きな助けとなる。さらに重要なことは、彼らが単に労働力不足を補う存在ではなく、博物館にとっての大きな精神的応援団となってくれることである。かれらは、家庭で、職場で、また友人のサークルで、博物館の存在意義や、そこで行われている様々な興味深い活動について、伝道師の役割も果たしてくれる。このようなボランティアの育成は、しかし、一朝一夕にできたものではない。過去数十年にわたる友の会の運営に積極的に館の研究者が参画し、一般市民にサービスを行う中で培われた信頼の上に花開いた仕組みであり、今後日本の大学博物館でもこのような取り組みを息長くつづける必要があろう。また、ウィーンの自然史博物館ではドイツ語以外にも日本語を含めたガイドブックも作成して、世界中からの来館者に配慮をしている。このことがまた、館の評価を高めている。博物館と地域社会・国際社会との関係を考える上で参考にしていただきたい。

まとめ

様々な観点から博物館と社会の共生についての報告を聞けた。5名のスピーカーは、厳しい現状に対し前向きに対処する中で21世紀の博物館のあるべき姿を述べ、その真摯な楽観主義は、参加者を勇気づける結果となった。テクニカルなこととなるが、今回のシンポジウムでは、同時通訳を入れ、一般の参加者にも内容が理解できるように配慮した。英語、韓国語から日本語への翻訳であったが、要点を伝えることができて好評だった。また、懇親会では、京都大学に在学中のテノール歌手、加藤ゆきひろ氏による独唱もあり、雰囲気が盛り上がった。最後になるがこのプロジェクトを心よりご支援いただいた財団法人京都大学教育研究振興財団に対し心よりお礼申し上げる。

総合博物館教授 大野照文

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考古資料の活用の記録『大古墳展』の共催と資料利用状況

山中一郎

[大古墳展]

京都大学総合博物館は2001年6月に一般公開を始めました。すでに建物をもち学術標本の資料保管という重責を十分に果たしていた文学部博物館を、独立した組織に整備するとともに、自然史系分野をも併設させることによって、総合大学としての京都大学の「外に開かれた窓」としての役割を果たすための枠組みを確定させたのが1997年4月でした。それまで展示の形にしていなかった自然史系の学術資料を用いて、京都大学に属した、そしていま属する研究者の行為を社会に分かっていただくための情報発信をすることにしたのですが、まず資料・標本の収集をして、それぞれの標本についての従来の研究の経過をまとめ、そして今後の研究や教育への利用のための整備を始めました。それまでに保持されてきた史・試料、標本の整備経過の状態や、いまの総合博物館のスタッフの専門分野からくる限界・制約があって、利用していただける理想的な状況に至るにはなお程遠いと言わざるをえないのが残念なことですが、総合博物館が組織されてよっとそうした方向への体制が整ったという段階にあります。

教育や研究を進めることが大学博物館の使命として極めて大切であることは、ヨーロッパやアメリカの大学の先例を見れば明らかなことです。わが国には大学が博物館を図書館のようにもたねばならないという決まりがありません。目先の研究を急ぎ、追うあまり、基礎的な知識を次の世代の研究者の養成のためにしっかりとまとめておくことを後回しにせざるをえなかった、いわゆる「後進国」ならではの諸事情が押しつけた現実と理解できるかもしれません。しかしなにごとも後進が価値低いという自虐的な考えをすることはありません。先進の有り様を参考にして、後進にはより効率的な歩みを模索できるという利点があります。そこで総合博物館は今風のあり方を模索して、いわゆる情報公開の流れの後押しを受けて、京都大学の「社会に開かれた窓」の役割りを果たすことを優先させることにしたのです。

組織を整備して3年の展示準備を経て一般公開に至ったのですが、先に公開していた文系の展示は、通年公開をすることにしましたので、それが資料劣化をもたらせる事態を危惧して、金属資料の展示からの引き揚げ、文書および地図資料のレプリカ化を進めることにしました。自然史系展示の創設という第一義的作業へ投入する経費と、与えられた予算の枠のあいだでの調整を余儀なくさされましたので、文系史・資料への深刻なダメージからの回避処置を講じることは後回しにしました。そこでこの措置が目下の重要事となっています。また他方、従来公開してきた考古資料につきましては、この3年間に及ぶ休館期間に、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に共催していただいて、東京新聞、そして四国新聞、神戸新聞、中日新聞のご協力をも受けて、足かけ9ヶ月に及ぶ全国5都市を巡る『大古墳展--ヤマト王権と古墳の鏡』と題する巡回展覧会を企画、実行しました。結果地して6万人をこえる入場者をお迎えできるという、社会のみなさまの強いご支援をいただくことができました。新しく黒塚古墳からの出土鏡と、当館が所蔵している椿井大塚山古墳出土品をあわせて65枚以上の三角縁神獣鏡を比較対照させるように並べることができました。関係諸氏、諸機関のご理解にお礼申し上げますとともに、その展覧会の記録をここに報告させてもらうことにしました。

2000年11月18日-2001年1月28日 香川県歴史博物館 7600人入場
2001年2月7日-3月25日 神戸市立博物館 16572人入場
2001年3月31日-5月6日 横浜市歴史博物館 19000人入場
2001年5月12日-6月17日 茨城県立歴史館 10979人入場
2001年6月23日-7月29日 岡崎市美術博物館 8734人入場
総計入場者数 62885人
[資料利用]

当館の考古資料は常設展示に並べて用いているほかに、京都大学文学部の考古学実習、ならびに博物館実習の履修学生に教材として利用されています。教育への活用です。さらに非常に重きをおいていますのは、研究者の利用に対してです。資料の実際の検討のほかに研究成果の出版への利用もあります。さらには文化財の啓蒙活動への利用もあります。このときには出版という形のほかに、各地での展示への貸し出しをお認めすることがあります。この1年間における資料貸し出しは7件で、松山市考古館、大阪府立弥生文化博物館、滋賀県野洲町立歴史民俗資料館、滋賀県立安土城考古博物館、芦屋市立美術博物館、和歌山市立博物館、堺市博物館に対してでした。また研究および文化財啓蒙活動のための資料の写真撮影や特別閲覧は15件に及びました。

京都大学の学生の利用のほかに、とくに博物館学芸員養成のための他大学の当館利用もありました。京都府立大学、京都橘女子大学、神戸松蔭女子学院大学等の学生さんが来られました。また関西博物館研究会の一行の研究利用もありました。そして国際交流としては7件の研究者グループの考古資料見学がありました。大韓民国の3団体、台湾の1団体に加えて、フランス人の研究者が3度、計5人、考古資料を閲覧されました。

(総合博物館教授 考古学)

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【博物館スタッフ紹介】外国人研究員 王 元青 教授

(Dr.WangYuanqing)

平成13年の暮れに来日され、年度末近くまで京都大学総合博物館外国人客員教授として滞在された王元青教授は、現在、中国科学院古脊椎動物古人類研究所の副所長を兼務されていますが、哺乳類古生物学の新進気鋭の”若手”研究者なのです。

1964年1月29日生まれの38才。その彼が2年前から歴史のある由緒正しい研究所の副所長に”抜擢”されたのでした。文化大革命の”負”の遺産として、50代、40代の指導者層の欠如が、中国現代社会の問題点として指摘されています。30代後半の王博士が副所長に就任せざるを得ないのも、その問題のあらわれだと思います。

平成11年4月から4ヶ月間、やはり総合博物館の外国人客員教授として赴任されていた同研究所の研究教授の李傳ケイ博士は王博士の元の指導教官だった方です。李博士は1934年の生まれ。現在68才です。1965年から始まった文化大革命の影響をもろに被り、李博士は2度にわたって下放政策による地方農村での生活を体験されています。学生時代はロシア語を第一外国語として勉強されたこともあって、英語はそれほど得意ではありませんでした。

王博士は、文化大革命時の生まれです。一人っ子。19才の1983年に北京大学を卒業しています。勉強のよくできる、いわゆる”秀才”だったようです。第一外国語は、もちろん英語でした。大学院に進学してから李博士に師事し、哺乳類古生物学の専門領域に突き進み始めました。1986年に上記の研究所の研究助手、1988年に研究助教授、1993年に研究準教授、1997年に研究教授に昇進しています。かなり早いペースで順調に昇進を重ね、1999年12月から副所長を兼任しています。

李博士と王博士の中間の世代が、本当に中国社会では欠落しているのです。同研究所にも、40代と50代の、本来なら所長、副所長として研究所の運営にあたらなければねらない世代が見あたりません。現所長も40代。そこで、30代の王博士のところに副所長のおはちがまわってきたという次第です。

私と李博士は、いわば、アメリカのカーネギー自然史博物館長であったCraigC.Black博士の兄弟弟子の間柄にあたります。私と李博士は、いまも、中国東北部(旧満州)の遼寧省の白亜紀前期の哺乳類化石の発掘調査を、共同しておこなっています。これもBlack博士が取り持った縁なのです。この遼寧省での調査の中国側の実戦部隊長が王博士というわけです。この共同調査の延長で、平成11年に李博士が、平成13年に王博士が外国人客員教授として京都に滞在されたのでした。

お二人と接していると、現代中国史の一端がよく理解できる気がします。

総合博物館長 瀬戸口烈司

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京都大学総合博物館日誌(平成14年2月~5月)

2月1日
第55回教官会議
2月15日
第13回運営委員会
2月22日
第13回協議員会
3月1日
第56回教官会議
3月19日
外国人研究員 王 元青
(中華人民共和国・中国科学院古脊椎動物与古人類研究所研究教授)帰国
3月23日~28日
(三高技術史)先行企画展「歴史に埋もれた物理教育実験」開催
3月28日
平成13年特別企画展「今西錦司の世界」終了
3月31日
国際フォーラム「生物多様性の博物学が示す21世紀の地球と人類の共生パラダイム」開催
3月31日
(人事異動)
専門員 橋本修身 定年退職
4月1日
(人事異動)
(総合博物館から配置換)
主 任 木村智子:総合人間学部・人間・環境学研究科事務部総務掛へ
(他学部等より転入)
専門職員 小西 満:宇治地区事務部総務課企画掛長より
事務官 加納素子:奈良工業高等専門学校庶務課庶務係より
4月1日
外国人研究員 朴 宰弘
(大韓民国・慶北大学校自然科学大学生物学科教授)来学
4月12日
第57回教官会議
5月17日
第58回教官会議