(革命と社会主義)



 今の問題はまた後でお話を伺うこととして、先生は、40年前に『文明の生態史観』を発表になりました。また9年前には「諸文明の時代」というお考えを出しておられます。世界は近くなりつつあるのに、その一方で世界はますます混迷の度を深める傾向がみえますね。
梅棹 そうですね。20世紀とはどんな時代だったのかということを考えますと、20世紀後半、最後の段階で冷戦の解消、東西対立が解けたということによって、先が本当に見えなくなった。一体人類はどこへ行くのか。まったくわからなくなった。
 一番大きな要因は何でしょうか。
梅棹 一つの非常に顕著な現象は、開発途上国の勃興です。開発途上国を勃興させる一つの思想的根拠になったのは社会主義なんです。社会主義の成立と崩壊が20世紀の一つの大きな特徴です。20世紀の始め頃は皆が社会主義で行けると思った。社会主義の思想ができるのは19世紀ですが、それに夢を託した。日本の近代主義革命が1868年です。これは世界における近代主義革命の最後にちかいものです。
それは、18世紀からずっと続いていた近代主義革命のことですね。
梅棹 アメリカ独立戦争が最初なんです。あれは一種の革命です。イギリスに対する反抗です。それがフランスに飛び火してフランス革命をやる。それが18世紀末ですね。19世紀を通じて続々と近代主義革命が広がっていく。日本は後の方です。明治革命から数年して、イタリアのリッソールジメントがある。さらにドイツ連邦が成立する。これらは皆、一連のものです。
 そこで先進諸国の近代化の基礎ができた。西ヨーロッパや日本などが続々と近代主義革命をやって繁栄の道を歩み始めた。ところがその時に、開発途上国、後進国がそれにどうして追いつくかということが問題でした。開発途上国の人たちが追いつけ、追い越せを考え始める。そこで一斉に採用するのが社会主義です。
 社会主義は、一般に人類史における資本主義の次の段階だという人がいますが、それはバカげた考えです。それは逆なので、資本主義にいかに追いつくかという特効薬が社会主義なのです。社会主義を採用することによって、近代化を図るという構造になっているわけです。
 第2次革命の波の最初がトルコです。1908年のケマル・アタチュルクの青年トルコ党の革命です。それから1911年の中国の辛亥革命です。さらに1918年のロシア革命。ここまでが第2次革命波だと私は見ている。先進国に追いつくためにほとんどの国が採用したのが社会主義です。さらにそれでは追いつかないというので、1949年、中国が共産主義革命をやる。革命によって近代化を図っていこうとしたのですが、十分な成果を挙げないで、ある意味で社会主義の夢が崩れたというのが20世紀だったと思うんです。それで現状につながってくる。それでなおどうなるか、社会主義諸国家の未来はどうなるか全然見えてこない。日本のような資本主義国の方が、まだ未来が見えてます。
私の専門はアフリカなんですが、アフリカもご承知のとおり、1960年代から各国が独立した時に、ほぼ半数くらいが社会主義で近代化をめざした。それが昨今、アフリカ諸国は混迷に混迷を重ねています。
梅棹 大混迷ですね。
まったく、先が見えなくなってしまった。
梅棹 私がアフリカにおりましたのが、1963年から64年にかけてです。その間にもアフリカ諸国は着実に近代化の路線をたどろうとしたわけです。しかし必ずしも成功しなかった。
19世紀末から起こってきた第2次革命の余波に乗っているわけですね。
梅棹 しかし、どれもうまく成功したとは言えない。その前が、先進諸国の植民地であった地域です。植民地からの離脱、独立、インドがそうですが、インドが離脱して独自の道をたどり始めた。しかし、どの国も20世紀、100年頑張ってみたけれども、明かりが見えて来ない。まさにアフリカ諸国、アジア諸国も混迷を極めています。どの国も皆、多民族国家でたくさんの民族を国内に抱えている。その人たちに着実に教育は浸透している。政治的独立を果たすと、その人たちの文化的独立、文化的な自己認識が始まる。そうすると、今までの宗主国との間に摩擦を起こす。これは第1次世界大戦以後、一貫して流れている現象です。第1次世界大戦後に、国際連盟ができて、これが民族自決を促したわけです。たくさんの国が後進国として出現した。出現して、少数民族がそれぞれ自覚を持ち出すと紛争が起こる。私は20世紀後半から21世紀前半くらいまでは摩擦が起こる、民族紛争が絶え間なく起こる時代だと見ているんです。当然のことです。

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