ニュースレター

No.21(2006年2月28日発行)

平成17年度秋季企画展示

『日本の動物はいつどこからきたのか -動物地理学の挑戦-』
期間 平成17年9月28日(水)~平成18年1月22日(日)
開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は4時まで)
会場 京都大学総合博物館南棟2階企画展示室

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平成17年度秋季企画展によせて

はじめに

海で囲まれた日本の動物たちはいつ?どこから?やってきたのでしょうか。日本だけに分布する動物が多いのはなぜでしょうか?こうした謎を解くために京都大学で行われている様々な動物を対象とした動物地理学の研究をわかりやすく知ってもらうために,この企画展を計画した。

京都大学では動物地理学の研究が,理学部創設の頃から盛んに行われてきた。そして,現在でも活発な研究が行われている大学である。今回の企画は,総合博物館のほか,理学研究科動物学教室,人間・環境学研究科,霊長類研究所の11名の教員で企画展実行委員会を発足させ,京都大学での動物地理学の研究の紹介に取り組んだものである。

貝類,昆虫類,魚類,両生類,爬虫類,哺乳類などの動物たちについて,最新の研究成果を紹介している。動物地理学とは動物たちの現在の分布がどのように形作られていったかの謎解きをする学問である。現在においてそれぞれの動物たちの生息に適した環境があるかによってその分布が影響されるのはもちろんであるが,動物たちの現在の分布は同時に過去に起こった分布の変遷などの影響を大きく受けている。したがって,動物地理学の研究では,今生きている動物たちの分布や生物を含めた環境との関わりを明らかにしていくのと同時に,形態や遺伝子を各地からの標本をもとに調査していくことによって,過去に起こった動物たちの分布の変遷を解き明かしていくことも重要である。化石によって過去の実態を詳細に知ることができる場合もあるが,多くの場合は現生の動物たちから手がかりを見いだしていく。

この企画展では,できるだけ多くの分類群や生息環境を扱うように心がけた。また,日本では動物地理学が十分に紹介されていないので,なるべくわかりやすく,動物地理学を紹介するように心がけた。

展示では,研究に使われたものを中心に,551点という多数の標本を展示している。標本のほとんどは京都大学が所蔵するものである。動物地理学の解説や研究の紹介は64枚の展示パネルによるが,わかりやすくするためにパネルでは計124点の図が用いられている。

(展示会場の様子)

動物地理学とは何か

企画展でははじめに動物地理学とは何か,また動物地理学の基礎についても紹介している。動物地理学とは動物たちの地理分布を空間的,時間的にみていきながら,地理分布の形成を明らかにする学問といえる。動物地理学を生み出したイギリスのワレスは19世紀に世界を動物相の違いによって6つの動物地理区にわけた。この企画展では,オーストラリア区だけにいる単孔類のカモノハシとハリモグラ,新熱帯区(南アメリカ)だけにいる貧歯目のココノオビアルマジロ,ミナミコアリクイ,ノドジロミユビナマケモノ,東洋区(東南アジア)だけにいる登木目のオオツパイ,コモンツパイ,ヤマツパイの京都大学が所蔵する哺乳類の剥製標本を展示している。

日本は島国であるが,過去一千万年間で,その地形を大きく変えてきた。また,過去180万年間には氷河期と温暖な時期が繰り返し訪れた。地形の変化や氷河期の海水面の低下によって,日本の周辺には大陸との間で様々な陸橋が形成され,そこを通って多くの動物たちが日本列島にやってきたと考えられている。日本は南北に長く,本土のほかに6852という多数の島から成り立っているため,環境が多様で地形が複雑である。したがって,氷河期に形成された陸橋の大きさや時期は,場所によっても異なっていたといえる。それが現在の多様な日本の動物相の形成につながったのである。

京都大学では,過去にたくさんの研究者が動物地理学の分野で多くの成果をあげてきた。展示ではその中から,特に重要な貢献をした4人の研究者を取り上げて紹介する。淡水生物学の川村多實二先生,陸の動物地理学の徳田御稔先生,洞窟の動物地理学の吉井良三先生,海の動物地理学の西村三郎先生である。4人の先生は,それぞれ異なった研究対象をもちながら,日本の動物地理学の発展において大きく貢献した。

(展示会場のひとつのコーナー)

京都大学での最新の研究成果の紹介

まず,日本列島(日本本土)の動物地理学について紹介する。日本列島の動物相の成立を考察する際には,過去180万年間の更新世といわれる時期の陸橋形成や環境の変化が重要である。京都大学で行われている研究として,モグラ類の日本への侵入とその後の種間競合,ニホンザルやヒグマ,ツキノワグマ,ニホンジカといった大型哺乳類の定着過程,伊豆半島でのトカゲ類の分化,アカガエル類の音声による繁殖隔離,小型サンショウウオの日本での多様化,ビワコオオナマズの起源,海浜性ハンミョウ類の分布と歴史,ネクイハムシやミズクサハムシの歴史生物地理について標本とともに紹介する。体長1メートルもあるビワコオオナマズの標本や,日本列島の代表的な動物であるオオサンショウウオの標本,北海道では絶滅したエゾカワウソの骨格標本,ツキノワグマやニホンザルの剥製標本も展示されている。

(日本列島の大型哺乳類)

次に,固有性の高い動物相をもつ琉球列島の動物地理学を紹介する。京都大学ではこの10年ほどの間で琉球列島の陸上脊椎動物の動物地理学において,数多くの新しい知見を発見してきた。ここでは両生類と爬虫類を中心にそれらを紹介する。動物たちの起源を探る上で,それぞれの動物たちの分類学的な位置づけは大切である。分類体系の違いによって動物地理学の解釈が大きく異なることもある。京都大学の最近の琉球列島における動物地理学の成果は常に,分類体系の見直しと表裏一体であったといえる。最近の研究で,琉球列島中部,すなわち奄美諸島や沖縄諸島の動物相が数百万年にわたってほかの地域から隔離され,独自の動物相を形成・維持してきたことがわかってきた。トカゲ類の種分化,ハナサキガエル類の種分化,ハブ類やアオヘビ類の分化の研究について標本とあわせて紹介している。また,奄美諸島だけに生息するアマミノクロウサギ幼体の剥製標本も展示している。

(琉球列島のカエル類,ヘビ類,トカゲ類)

次に海の動物地理学を紹介する。海でも海域によって動物相が異なっており,海洋動物の動物地理学の研究が行われてきた。最近の京都大学の研究で,日本周辺での海洋動物相は黒潮の流路に影響されて形成されたらしいことがわかってきた。ここでは,クロメジナとマダラハタの2つの魚類,アサリやハマグリといった浅海性貝類群の起源と変遷についての京都大学での研究を標本とあわせて紹介する。

動物と人間の関係

ここまで紹介してきたように,日本は陸や海に多様な動物相を有している。しかし,近年では人間生活との軋轢によるいくつかの動物の絶滅が問題となっている。この企画展では動物の絶滅についても紹介している。

ちょうど100年前に最後の標本が残され,絶滅したニホンオオカミもその一つである。ニホンオオカミはなぜ絶滅したのだろうか。また,一度も大陸と陸続きになったことのない小笠原諸島の動物相の成立とその危機を紹介する。小笠原諸島に固有のハナバチ類やエンザガイ類がすでに絶滅,あるいは絶滅に近づいている。昭和になってからも秋田県のクニマスや京都府のミナミトミヨが絶滅した。2種の淡水魚類はなぜ絶滅したのだろうか。京都大学に残されている標本を展示しながら,これらの動物たちの絶滅について紹介する。

動物地理学はその名の通り,地理と密接に関わっている。展示会場中央には5メートル四方の日本とその周辺の床面地形図を設置した。その上を自由に歩いて,日本の地理について実感してほしい。また三百万分の一の立体地形図も展示している。日本の山の高さや,海の深さについてみてほしい。

動物地理学の研究の実際や標本ではわかりにくい動物の色を知ってもらおうとスライドショーのモニターを設置した。

研究の紹介はできるだけわかりやすくを心がけたが,何年もかけた研究の結果としてようやくわかったことを1~2枚のパネルにまとめたため,わかりにくい部分も残されていると思う。この企画展と同時に,岩波書店の科学ライブラリー109として「日本の動物はいつどこからきたのか」を京都大学総合博物館編として出版した。企画展で取り上げた研究のいくつかをより詳しく,わかりやすく紹介した。また,土曜日と日曜日には大学院生などによる展示解説を行っている。わからない点は気軽に質問してほしい。

日本の動物相を守るためには生物多様性の保全が欠かせない。しかし,最近では外来動物により在来動物への影響が深刻化しているなどの問題が生じている。日本の多様な動物たちを後世に残していくための取り組みも必要になっている。

(京都大学総合博物館・資料開発系・助手 本川雅治)

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平成17年秋季企画展関連イベント

展示解説

毎週土曜日 14:00~、15:00~
毎週日曜日 11:00~、14:00~、15:00~

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平成17年度秋季公開講座

「日本の動物はいつどこからきたのか」
  • 11月5日(土) 「動物地理学の挑戦」本川 雅治(京都大学総合博物館・助手)
  • 11月12日(土) 「ケモノたちの来た道-ニホンザルを中心に-」川本 芳(京都大学霊長類研究所・助教授)
  • 11月19日(土) 「両生類のたどった道を探る」松井 正文(京都大学大学院人間・環境学研究科・教授)
  • 11月26日(土) 「日本列島の昆虫:種多様性の起源」曽田 貞滋(京都大学大学院理学研究科・助教授)
開催時間 13:30~16:00
会場 京都大学総合博物館 2階セミナー室

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【特別公開】修復記念「マリア十五玄義図」展

期間 平成18年2月1日(水)~平成18年2月26日(日)
開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は4時まで)
会場 京都大学 総合博物館本館2階

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【特別公開】「マリア十五玄義図」について

「マリア十五玄義図」(正式には「紙本著色聖母子十五玄義・聖体秘跡図」)は、茨木市の山間部下音羽の民家に伝えられた絵画です。昭和5年(1930)、屋根の葺き替えの際に発見されました。屋根裏の木材にくくり付けられた竹筒を不審に思った家人が開けてみると、この絵がくるくると巻かれた状態で出てきたのです。

下音羽は近隣の千提寺とともに、隠れキリシタンの里として知られる地域です。近代に入って家の持ち主は二回変わっており、残念ながら、この絵画についての言い伝えは全く残っていませんが、近畿地方に残る貴重なキリシタン遺物の一つといえます。発見後、閲覧の希望に応じるうちに、絵が目にみえて劣化するのを心配された原蔵者が、本学文学部に寄贈され、現在は総合博物館に所蔵されています。
推定製作年代は17世紀初頭。画面を見ると(写真)、中央上段に、幼児のキリストを抱いたマリア像、下段中央に聖杯とイエズス会のシンボル、その両側に、フランシスコ・ザビエル他四人の人間を配しています。そしてこれらの外側には、聖母子の生涯を描いた十五コマの絵が、左下から時計回りに配置されています。この種の絵画は、日本では他に2点確認されていますが、本館蔵になるこの絵は、描かれた時の状態をほぼそのまま残す、もっとも良質のものとされています。

2001年に重要文化財の指定を受けましたが、いたみがはげしく公開できる状態にはありませんでした。修復が緊急の課題であったところ、2004年度にようやく修復をすることができました。日本に初めてキリスト教を布教したザビエルの生誕五百年にあたる2006年、美しくよみがえったこの絵を久方ぶりに公開すべく、現在準備を進めているところです。以下に、「マリア十五玄義図」の見どころをご紹介しましょう。

1 図像について

「マリア十五玄義図」は、正式名称が表すように、大きく二つの部分からなっています。

そのひとつは、聖母子を中心として周囲に配置された十五の絵、「聖母子十五玄義」にあたる部分です。マリアへの受胎告知に始まる「喜び」の5場面、キリストの受難を描く「苦しみ」の5場面、及び、キリストの復活とマリアの昇天までの「栄光」の5場面が順に配置されています。キリシタンの間で広く行われた祈りの中に、ロザリオと呼ばれる数珠を繰りながら、聖母マリアに祈りをささげるロザリオの祈りがあります。15の各場面に対応して15のオラショ(祈祷文)があり、それぞれを10回ずつ、全部で150回唱えるものでした。つまり、聖母子像と15の絵とが一体となって、マリアの神秘的な力への崇拝を表現しているのです。聖母マリアをめぐる15の神の教えという意味の「マリア十五玄義図」という通称は、ここから付けられました。

本図の残りの部分を構成するのは、聖母子の下方、聖杯と四人の人物を描写する、「聖体秘跡」にあたる部分です。聖杯は、カトリックで行われる聖体の秘跡という儀礼を象徴しています。最後の晩餐でキリストがパンと葡萄酒をとり、「これ我が身体なりわが血なり」と言ったことにちなんだ儀式で、キリストの肉と血を象徴するパンと葡萄酒ー聖体ーを信者にわかち、キリストとの生命の一体化を強める意味を持っています。その両側には、日本に初めてキリスト教を伝導したイエズス会宣教師のザビエル(右)と、同会の創始者であるイグナチウス・ロヨラ(左)ーいずれもキリシタンが崇拝してやまない聖人でしたー、そして、その背後に殉教者として知られる男女ー聖ルチア(右)と聖マチアス(左)ーが配置されています。

これら4人の視線は何を見つめているのでしょうか。上段の聖母子像とする説に対して、下段の聖杯にむけられたものという説もあります。後者の説は、画面を上下に分けるポルトガル語の文章を重視したもので、日本におけるキリシタン遺物の研究に先鞭をつけた新村出博士は、かつてこの文章を「いとも貴き秘蹟讃仰せられよ」と訳しました。同じ文章を付した聖杯鑚仰の図が、日本のみならず世界的に確認されていることも踏まえて、中央の聖杯をザビエルら4人が仰ぎ見る構図とみなす解釈には、耳を傾けるべきところがあるといえるでしょう。つまり、「マリア十五玄義図」には、ロザリオのマリアへの祈りと、聖体秘跡への崇敬とが同居しているのです。

また、近年の研究では、マリアに抱かれたキリストの持ち物が、原図ではロザリオであったものが、この絵では十字架をのせた球体に変更されていることに注意が向けられ、このキリストが、天球もしくは地球を手にした「救世主としてのキリスト」の図像とよく似ていることが明らかにされました。この図像は、キリストのもう一方の手が天球・地球に祝福を与えるポーズをとっており、キリストが現世・来世いずれに対しても全能の力を持つことを象徴する図像であるとされています。ロザリオの祈りの対象である聖母子像の中に、救世主としてのキリスト像がはめ込まれているわけですが、これは、現世利益に馴れた日本人の好みに合わせたものではなかったか、と考えられています。また、マリアの手にする花が、本来のバラではなく、日本人に馴染みのある白い椿にかえられているとする説もあります。

このように、「マリア十五玄義図」は、マリアへの祈りのみならず、キリストの超越的な力や聖餐のサクラメントへの崇拝、聖人に対する崇敬の念などさまざまなものをとりあわせ、日本人に受け入れられやすいように工夫された、日本的な聖画であったといえます。

2 技法について

絵の具の重ね塗りや陰影のつけ方、遠近法など随所に見られる特徴から、「マリア十五玄義図」に対する西洋技法の影響は古くから指摘されていました。1990年代に、国立歴史民俗博物館が最新の撮影技聖母子十五玄義術を用いて詳細な調査を行った結果、描画方法と顔料それぞれについて、これまでの見方が正しかったことが証明されています。

描画については、背景に色を塗った後に人物に彩色される場合が多く、遠景から近景へと描き進む手順が明らかにされました。また、陰影表現では、下地の色を画面の効果に利用する方法や透明色を塗り重ねる方法が観察されています。これらはいずれも、16~17世紀の西洋絵画に見られる一般的な技術ということです。

顔料については、日本の顔料が多用される中、文字や光を表現する金色を意識した黄色にのみ、日本での使用例がまだ知られていない鉛錫黄顔料が使われた可能性が指摘されています。この顔料は、14世紀から18世紀にかけての西欧諸国では、黄色の代表的顔料として絵画に用いられていたものです。さらに、この黄色顔料の部分については、艶や亀裂などの生じ方に、油絵具との類似性が報告されています。この研究により、日本にやってきた宣教師たちが顔料を持ち込み、一部それを用いていた可能性が新たに見いだされたのです。

さらに、このときの調査では下図の線も観察され、0.5ミリ前後の幅の、墨で描かれたのびやかな線が確認されています。毛筆の運びに習熟した人物による描画であろうと推定されています。

以上の結果から、「マリア十五玄義図」を描いた候補者として、西洋画の技法を学んだ日本人画家が浮上することになり、それを傍証する資料も紹介されています。たとえば、16世紀末のイエズス会の年報は、島原のセミナリオ(修道院)の工房で、計21人の日本人が、油彩画や銅版画などの西洋絵画を学んでいると報告していますし、他にも、日本各地に建設されたセミナリオで、美術教育を行っていたことを示す記録が残っているのです。また、今回の修復に際して紙質の分析を行ったところ、日本で絵画用に広く普及した竹紙が使用されていることが明らかになり、この絵が日本で描かれたことは確実となりました。

このように、最近の科学的調査・分析の結果、日本人の描いた聖画であることはほぼ確定されたといえます。

3 表具について

最後の見どころは、この絵が掛け軸として表具されているところです。写真の通り変色や痛みが激しく、修復するに際して、この部分をどうするかが問題となりました。検討の結果、江戸時代の長期にわたる弾圧をかいくぐってこの絵画が近代に伝えられた歴史は、細く巻いて目立たないように収納できるこの掛け軸装に凝縮されているという点を重視して、残された状態をできる限りそのまま保存することにしました。

掛け軸とはいっても、「マリア十五玄義図」のやり方は、通常の方法とは随分違うものとなっています。布を用いる筈の部分に唐紙が用いられていたり、上下の軸に細く削った竹軸が用いられていたり、掛け軸に表装する際の決まりごとが守られておらず、素人の手によるものであろうと推測されています。

この掛け軸装について、これまでの研究者たちが本紙絵図の製作当初からのものと疑わなかったのに対して、先の歴史民俗博物館の研究班は、二次的な段階のものではないかという見解をだしました。最初は、祭壇画であったものが、禁教となり弾圧が強化される過程で、掛け軸の体裁に変更されたのではないか、というのです。祭壇画とは、南蛮屏風にしばしば描かれているもので、仏像を収める厨子のような扉付の箱の中に安置されている例や、カーテンの下がった祭壇の奥に木枠の額に納められたりしている例があります。「マリア十五玄義図」に祭壇画の時代があったのかどうか、残念ながら手がかりはありませんが、今回の修復では、絵図裏側の表装部分に、修理された跡が発見されました。この事実は、掛け軸装のこの絵が、単にしまい込まれていたのではなく、使用されていたことを示しています。弾圧下にあっても信仰を捨てなかったキリシタンが、誰にも見つからないように絵を飾り、祈りを捧げることがあったに違いありません。

キリシタンへの弾圧が強まる中、表装の知識を持たない信者が、見よう見まねでひっそりと掛け軸に仕立て、祈りを捧げ続けた。「マリア十五玄義図」の表具からは、このような歴史を読み取ることができるのです。

今回の修復では、「マリア十五玄義図」の持つ色や風合いが損なわれないよう、細心の注意が払われました。発見当時の姿に再生した「マリア十五玄義図」が、多くの方に観覧されることを願ってやみません。

(京都大学総合博物館資料基礎調査系・助教授・岩﨑奈緒子)

(参考文献)
  • 神庭信幸他「京都大学所蔵『マリア十五玄義図』の調査」『国立歴史民俗博物館研究報告』第76集、1998年
  • 神庭信幸他「東家所蔵『マリア十五玄義図』の調査ー付、京都大学所蔵『マリア十五玄義図』旧蔵家屋の調査ー」『国立歴史民俗博物館研究報告』第93集、2002年
  • 坂本満「マリア十五玄義図の図像について」『国立歴史民俗博物館研究報告』第76集、1998年
  • 新村出「摂津高槻在東氏所蔵の切支丹遺物」『京都帝国大学文学部考古学研究報告』第七冊、1923年
  • 武田恵理「『紙本著色 聖母子十五玄義図・聖体秘跡図』の再現模写と描画技法の研究」(東京芸術大学大学院美術研究科後期博士課程 平成13年度博士論文)
  • 濱田青陵「原田本マリヤ十五玄義図」『宝雲』第13冊1935年
  • 比留木忠治「椿のマリア像」『椿』44、2005年

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京都大学総合博物館における情報発信新展開と悩み

平成9年4月に発足の京都大学総合物館には、京大の108年に及ぶ歴史の間に諸先輩が収集された250万点に及ぶ貴重な学術標本資料が収蔵されている。また、研究が国際化するにつれ、館や全学の研究者の手によってますます多くの学術標本資料が日々世界中からもたらされている。そこで、総合博物館的は、1)貴重な学術標本資料の収集と保全・管理、2)これらの研究教育への活用、そして3)学術標本資料をもとにした研究の成果を広く情報発信する、という3つの重大な使命を与えられて発足し、所属の研究者と事務職員がこれら任務を活発に遂行している。しかし、学の内外を問わず、博物館とは標本の倉庫程度との通念が支配的である。そこで、総合博物館では、学術標本資料やそれを使った研究の重要さ、維持管理の大切さと大変さを積極的に伝え、学内外の理解と広い支援を得ることを優先課題の一つとして、展示の一般公開オープン以前から、様々な情報発信の試みを行ってきた。以下には、館のこのような試みのうち最近の展開について紹介する。

シニア向け

社会では高齢者の増加とともに学習意欲をもった熟年者の数が急増している。そこで、豊富な資料とともにオリジナルな研究成果の展示が通年公開されている京都大学総合博物館には、熟年者の生涯学習への対応が学内外から期待されている。現在総合博物館では、二枚貝をテーマとして、熟年者向けの学習教材「貝体新書」を開発中である。すでに熟年者向けに数回の試験的学習教室を開催して改良を続け、今年度内に完成を目指している。知識を与えるのではなく、潮干狩りの体験、食材としての調理経験、寿司屋などでの食事の経験などを思い出して、二枚貝という動物の体の解剖学的特徴と生態を自分で推理し、確かめるという経験を通じて、主体的な学びかたを体験してもらう内容となっている。総合博物館で開発した教材には、もう一つ児童・生徒を対象にした「三葉虫を調べよう」がある。これも自分で推理して確かめるという学習方法の体得を主眼としたものであり、熟年者にも十分楽しめる内容である。今年9月に京都大学が主催して行ったシニアキャンパスでも総合博物館では、参加者に「三葉虫を調べよう」の学習教室を体験してもらっている。また、総合博物館では、月1回をめどに週末にレクチャーシリーズを開催し、学内外の研究者による最新の研究成果を市民に伝えているが、熟年者にとって興味深い、あるいは児童・生徒にとって興味深いものそれぞれについてそれぞれシニア・レクチャー、ジュニア・レクチャーとして広報し、参加者より好評を得ている。

ジュニア向け

将来のカスタマーである児童・生徒向けには学習教室用教材を多く開発してきた。その中で、もっとも利用されているのは「三葉虫を調べよう」で、北は福島県から南は鹿児島県まで、すでに2,000名以上がこの教材を利用して学習を行っている。同様の教材として「二枚貝を調べよう」を昨年開発し、現在一部を修正中であり、近々完成バージョンを使った学習教室が可能となる。ジュニア向けには、学習教室も様々開催してきた。その中でも夏休み学習教室はすでに5回を数えるが、学内外の著名な講師陣の協力を得、年々人気が高まっており、今年は400名の定員に1200名の応募者が殺到するにぎわいであった。
また、昨年秋からは、大学院生・大学生、それに学内外の現役・退職研究者の協力を得て毎週土曜日・日曜日に週末子ども博物館を開催している。これは、化石・骨格・押し葉標本などを博物館のロビーに持ち込み、来館する児童・生徒に学術標本資料をもとにした研究の楽しさを解説するもので、じわじわと人気が出始め、今秋には多くのタウン誌・雑誌に取り上げられ、週末に親子連れの来館者が目立って多くなった。土日欠かさず開催ということで関係の学生・大学院生・研究者には多大な労力を提供していただき感謝している。今秋は、衣笠児童館や夜久野町へ出向いての出張こども博物館も催し、好評を得ている。

手法の開発:IT技術をつかったガイドシステムの開発

情報学研究科の中川千種さんが、博士課程のテーマとして現在ICタグとPDA(携帯型情報端末)を使ったガイドシステムを開発中である。展示ケースに貼ったICタグをPDAに近づけると、画面上に展示の担当教官による動画解説やクイズなどが表示され、楽しみながら展示の理解を深められる。運用試験の結果、システムを持たない場合に較べて館内の滞在時間が有意に長くなり、来館者がじっくりと展示を鑑賞するのに役立つことが示されている。

ガイドツアー

平成16年フィールド科学教育研究センターが開催した春季展「森と里と海のつながり」では、展示担当教員の先生方が直接に来館者に展示解説する試みを行って下さり大変好評であった。これを受けて、今年度は、春季展・秋期展ともに研究者や大学院生による展示解説が行われている。春季展では土曜日に、秋期展では土曜日・日曜日に開催しており、いずれも一日に数回行われている。直接研究者や大学院生から解説を聞け、興味に応じた質問もできることからきわめて好評である。

課題

様々な教材の開発、学習教室、土曜日・日曜日の子ども博物館、あるいはガイドツアーなど、総合博物館の情報発信は徐々に地域社会に浸透しており、入館者数も徐々に増加しつつある。しかし、一つ懸念がある。というのは、入館者数の増加に大きな力をもつ新聞や雑誌、タウン誌による紹介は、種々の行事が行われている博物館の週末の様子を基準にした内容となっている。このような記事を見られて平日に来館されるかたには失望感を与えるのでは無かろうか。また、最近は修学旅行や校外学習で多くの児童生徒が平日に館を訪れ始めている。彼らも同様に失望を覚えるかもしれない。最近の悩みの種である。もとより博物館の人的資源は限られており、また財政的にも土曜日・日曜日に開催している行事を平日にも行うことは現情では難しい。

一方、平日に訪れる人たちが必ず見るものは、常設の展示である。そこで、現在の常設展示について、解説書やワークシートを早急に充実させることはできないだろうか。展示場でもパネルによる説明はなされているが限られた文字数で十分わかりやすいものとはなっていない。わずか数ヶ月の工期で作らざるを得なかった理系の常設展示についてはとりわけこのことが該当する。担当された先生の協力を得ることによって、常設展示の解説書の作成はそれほど大きな困難なくできるだろう。そして、平日の一般来館者の方々は、解説書を片手に常設の展示を深く味わっていただけるのではないだろうか。ただし、文章の統一、図・表の作成などに多少支出をともなうことは覚悟せねばない。

ここに書いた悩みは、ある意味贅沢な悩みである。発足当時、総合博物館は全く無名の存在であった。しかし8年の後の今、博物館に来られる多くの一般のお客様にどう対応するかで悩むことができるようになったのである。展示の見所について執筆するにあたって、冒頭で書いた、学術標本資料やそれを使った研究の重要さ、維持管理の大切さや大変さも伝える工夫をこらすことは、それほど手間の増えることではなかろう。つまり、平日の来館者の皆さんに総合博物館を楽しんでいただく手だてを考えることは、実は私たちの博物館の本来の活動の重要性を広く皆さんに知ってもらうことに直結しているのである。この意味を見抜いてのことか、館長の中坊徹次教授も全く同じ考えで、最近展示解説書実現についての具体的な方策を探るように教員会議で指示があった。館内外の関係される先生方のご協力、また各方面よりの資金的支援を得てこの重要な意義をもつ企画を早急に実現すべく現在計画を練り始めたところである。

(京都大学総合博物館・情報発信系・教授 大野照文)

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京都大学総合博物館日誌(平成17年9月~平成17年12月)

教員会議
9月2日(金)第93回教員会議
10月14日(金)第94回教員会議
11月11日(金)第95回教員会議
12月9日(金)第96回教員会議
外国人研究員
9月30日(金)ペイ・チンイ氏(台湾・中央研究院生物多様性研究センター研究院)帰国
10月20日(木)(~18年1月19日・木)パトリシア・ピッカース・リッチ氏(オーストラリア連邦・モナシュ大学地球科学部教授)来学
展示
9月28日(水)~平成18年1月22日(日)
平成17年秋季企画展「日本の動物はいつどこからきたのか-動物地理学の挑戦-」
企画展関連行事
11月4日(金)~6日(日)
「造瓦教室(古代瓦の造瓦の実演見学)生駒市山本瓦工業(株)」
公開講座
11月5日・12日・19日・26日 第18回公開講座「日本の動物はいつどこからきたのか」
学習教室
9月10日(土)おとな向け体験学習教室「貝体新書 おとなが学ぶ二枚貝」
12月3日(土)おとな向け体験学習教室「貝体新書 おとなが学ぶ二枚貝」
レクチャー・シリーズ
no.40 10月1日(土)「巻き貝の殻の形のひみつ」
no.41 11月12日(土)「マツタケ博士の奮闘記」
no.42 11月26日(土)「足跡からわかる大昔の生物の生態や環境-『生痕(せいこん)学』入門-」
no.43 12月3日(土)「ヤモリを求めて琉球の島々を巡る」
no.44 12月17日(土)「日本のトカゲはどこから来たのか?」
その他活動
9月24日(土)「学問の不思議を知ろう~京都大学を体験する~」
ジュニアキャンパス2005(9月23日~24日)
9月29日(木)・30日(金)「交響する身体~ひと・もの・自然を考える~」
シニアキャンパス2005(9月27日~30日)
10月16日(日)「視覚障害者とともに考えるサイエンスコミュニケーション」シンポジウム
11月14日(月)~18日(金)「生き方探究・チャレンジ体験」
11月16日(火)~20日(日)・23日(水)・24日(木)「貝覆いの貝」
ミュージアムロード2005(11月15日~24日)
12月10日(土)「『ひらめき☆ときめきサイエンス~ようこそ大学の研究室へ~KAKENH]』日本の動物はいつどこからきたのか」
12月26日(月)第2回情報文化力向上セミナー「博物館を活用した教材開発と指導法改善」
人事異動
10月1日(土)社会連携掛長 東 年昭(総務部社会連携推進課社会連携企画掛長へ配置換)
課長補佐 富坂 進(人事部職員課専門職員より転入)

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