博物館について

沿革

(1) 京都大学は明治30年(1897)に創設された。大学が十全な研究・教育活動を行なうためには,その拠点として,学術標本を収蔵・管理するための施設が必要である。本学ではこのような考えに基づき,創立当初から大学博物館の設置を構想し,一次資料の収集を開始していた。明治40年(1907),文科大学(のちの文学部)史学科の開設によって国史学・地理学・考古学の資料収集に拍車がかかり,大正3年(1914)には陳列館の最初の建物が竣工した。以後3次にわたる増築によって全館が完成し,史学科各講座と美学美術史学の文化史関係資料が収蔵される。この一学部としては比類のない貴重なコレクションによって,文学部陳列館では内外の注目を集める学術活動が進められた。
(2) しかし,陳列館の建物は早くから狭隘化が嘆かれ,さらに戦後には老朽化が進行して,資料の活用に困難をきたすようになった。そこで文学部は昭和30年(1955)文部省により博物館相当施設の指定を受け,同34年陳列館を博物館と改称し,収蔵品目録を刊行するなど,博物館機能の回復と新たな展開を試みた。しかし,この間老朽化は一刻の猶予も許さない状態となったため,まず建物の改築に着手し,昭和61年(1986)新館を竣成した。かくして文学部博物館は,長らく停止していた一般公開を実現し,収蔵品の研究と保全をさらに推進するなど,活動内容を飛躍的に高めることとなった。このような文学部博物館の実績が,総合博物館設置への道を大きく切り開いた。
(3) 一方,理学部・農学部・教養部などでも,開設以来たゆみなく収集され,研究に用いられてきた学術標本資料が膨大な数量となり,その十分な管理と活用の必要性が叫ばれるようになった。そこで昭和61年(1986)三学部合同調査委員会は,本学各部局における自然史関係資料に関する総合的調査を初めて実施した。その成果を承けて自然史博物館の構想がまとめられ,全学的検討を経て,平成元年(1989)には『京都大学自然史博物館基本計画』が作成された。その上で,同年からは,既存の文学部博物館と新設の自然史博物館とを統合した「京都大学総合博物館」(文化史資料研究部門,自然史資料研究部門の2部門から構成)が構想され,連年,概算要求として提出されるようになった。かかる構想の到達点が,平成7年(1995)の『京都大学自然史博物館計画実施プラン』であり,この段階で考え得る建物設計・面積・部門内容など全てを網羅しており,文学史資料研究部門と自然史資料研究部門からなる平成8年度の概算要求の説得力を高めた。
(4) さらにこれに加え,工学部・農学部などに収蔵される機器,実験器具,資料の綿密な調査が行なわれ,歴史的価値の高い技術史関係資料のコレクションが多数存在することが確認され,ここに至って,本学が収蔵する250万点以上の学術標本資料の全貌が明らかとなり,同時に従来の2部門構想では,これらの膨大かつ多様な分野にまたがる学術標本資料の保全・活用には対応しきれないことも明白となり,京都大学にとって最も望ましい総合博物館のあり方について活発な議論がなされた。標本の保全を重視した文化史,自然史,技術史の3分館化案もその一つであった
(5) 最終的には,1)京都大学が収蔵する人類の財産としての学術標本資料の保全は当然として,2)これらの学内外での先端的学術研究・教育への活用を通じた我が国の科学技術レベル水準の維持向上,3)展示や標本資料を実物教材とした生涯学習推進などを通じた,高齢化社会における豊かさの創出という我が国の社会的課題実現への貢献,さらには,4)収蔵標本やそれを用いた研究・教育成果のインターネットなどを通じた公開という国際的役割の遂行,など総合博物館の使命をもっとも効率的に果たすために,資料基礎調査系,資料開発系,情報発信系という,機能の異なる三つの部門が相互に密接な連携を保ちつつ業務を推進する1館3部門構想が浮上した。そして,平成9年度(1997)概算要求としてこれら3部門からなる京都大学総合博物館の新設を要求,承認され,平成9年4月1日教官9名・事務官4名の組織として京都大学総合博物館が発足した。

 旧文学部博物館を文化史系展示場とし,自然史系展示場として新館を新たに増設することになり,平成11年3月に着工,平成12年8月に竣成,平成13年6月に,京都大学総合博物館として開館した。開館後は,文化史系・自然史系・技術史系の常設展示と年2回の企画展を中心に,適宜特別展を行うとともに,標本の維持・管理の充実に努めているところである。また,社会貢献・教育活動の場として,公開講座等を企画・運営している。

 当初、教員9名の組織でスタートしたが、定員の問題があり、平成19年度末に退職者のあった地理の担当教員を補充できない状態となっている。また、平成20年度末には、考古学担当教員も退職したため、21年度以降、2名減の状態で運営せざるをえない。収蔵資料の維持・管理には高度な専門知識を要するため、博物館の運営に大きな支障をきたしている。その解決が、緊急の課題である。