ニュースレター

No. 9(2000年7月7日発行)

No.9(2000年7月7日発行)

表紙の写真

建設すすむ総合博物館南棟

平成11年5月13日
更地の写真
平成8月11日
地下から鉄骨を組んでいる写真
平成12年1月4日
地上1階がコンクリートに覆われている写真
平成12年1月18日
地上高く鉄骨が組まれている写真
平成3月16日
鉄骨の周りに足場が組まれているのを屋上付近の高さから撮影した写真
平成6月13日
ほぼ完成した写真

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本学所蔵の技術史関連標本資料とその果たすべき役割

駒井謙治郎氏の写真
駒井謙治郎

京都大学総合博物館の新館の建設が,2001年度開館を目指して,旧文学部博物館南側で急ピッチで進められている.総合博物館の中身は,文化史,自然史を中心として,これに技術史を一部含んで構成されるようであるが,本学における技術史関係の資料の収蔵状況は,平成7年度京都大学教育研究特別経費による調査・研究報告書の中で,「京都大学所蔵技術史関係標本資料の収蔵状況」(1996年3月刊)に纏められておりその概要は以下の通りである.

技術史関連標本資料は,工学部,農学部,総合人間学部に主として所蔵されており,総合人間学部の資料所蔵状況は,旧制第三高等学校所蔵機器資料調査グループによる別途資料がある.工学部所蔵資料の特色を要約すると,本学が東京大学のように大震災や戦禍を受けなかったことにより,創立以来の貴重な資料が多数保存されていることにある.これは,土木工学,建築学,機械工学,電気工学各教室に当てはまるが,工業化学教室では,残念ながら,度重なる移転等により殆ど資料が残されていない.

土木工学教室では,戦前・戦後の教育および研究に用いられた種々の計測機器(主に輸入されたもの)がケースの中に保管されており,また,トンネル掘削のためのシールド工法の概念模型や鴨緑江鉄道橋,他構造物の模型7点がよく保存されている.琵琶湖疎水写真,琵琶湖疎水水路閣,蹴上水力発電所写真,田邊朔郎教授が記した琵琶湖疎水図面集,創設期の英文で執筆された卒業論文・卒業設計図面集,橋梁設計教材模型等の貴重な資料等は現在,土木100周年記念事業で整備された資料展示室に展示されている.

建築系教室所蔵資料は教室創設時及びその後10数年間に収集(購入・寄贈)されたものが大部分を占め,我が国でも抜きんでた貴重な資料が多数保存されている.特記すべきコレクションとしては,まず第一に日野,法界寺阿弥陀堂模型(国宝建造物の大規模(縮尺1/10),かつ精巧な模型)と,F.L.ライト設計になる帝国ホテル模型がある.とくに後者は,近代建築において著名な建築家ライトの傑作で建築そのものは戦後撤去されて現存せず,その一部は明治村で復元されてはいるが,全貌を知ることができる資料として唯一のもので,現在、国の内外から展示借り出しの希望が相次いでいる貴重な模型である.その他,阿弥陀堂(法界寺)模型,三層宝塔(浄瑠璃寺)模型,法隆寺伽藍模型,枢密院鉄筋模型等,数十点の大型建築模型が保存されている一方,古建築標本として,浄妙寺高欄一部,東福寺古柱,鎌倉時代高欄一部,東福寺東司桝,肘木,智恩寺多宝塔巻斗,法隆寺中門巻斗,壁一部,工芸品として,中国唐代名器,エナメルトリプッシェ,唐代土豚,古代襖引手,唐代土馬等々がある.

機械工学教室所蔵資料も建築学教室と同様,教室創設時及びその後10数年間に収集(購入・寄贈)されたものが大部分を占め,とくに,全長2.2mの全木製蒸気機関車模型と全木製台車模型は,たびたびマスコミにも取り上げられ,内外の研究者が調査に訪れるなど,極めて希有なものである.また,1890年代に独より輸入された機械メカニズム教育模型69点,全木製クランク機構模型,全木製蒸気機関模型,複動蒸気機関ピストン模型(アメリカ製)等の教育用模型,1920年代に,独,スイスより輸入された工作機械,測定器械十数点,これもドイツより輸入された機関車,鉄道車両設計図三十数点等が保存されている.

電気工学教室には,開学にあたりドイツから購入した直流交流両用発電機,外国から輸入された電気工学参考書,さらに,電気工学教室で開発・製作された電球実物等が保存されているが,土木,建築,機械各教室と比べると点数は少ない.

以上述べたように,工学部には他大学にはない貴重な科学技術標本が多数保存されており,これらの標本には,京都大学の歴史のなかで一時代を築いた証となるものや,技術の伝承,技術の原点として大きな価値があるものが少なくない.

大学と社会との関わりが強まり,大学における教育・研究への社会の理解が益々必要とされる時代にあって,博物館には,本来の研究・教育を行うのみならず,市民に解放された情報発信基地としての役割が課せられている.それでは情報発信基地としての総合博物館において,技術史部門を設ける意味は何処にあるのであろうか.

21世紀を目前に控えた今日,目覚ましい科学技術の進歩と歩調を合わせて社会全体の変化もまた,目まぐるしいものがあり,とくに,情報革命が我々の生活を根本から変えつつある.21世紀においても日本が日の当たる国になれるかどうかの分かれ目は,国民,とくに,若者がどれだけ情報・技術革命に関心を示すかどうかにかかっているとされている.我が国のように全く資源が無く,食料,エネルギー,工業材料のほとんどすべてを輸入しなければ生きてゆけない環境下で,今後もモノを輸出して外貨を稼いで行くには,いわゆるモノ作りに繋がる科学技術への国民の理解を欠くことができないことは明白である.すなわち,技術史部門の役割の一つは,21世紀の日本の科学技術のさらなる充実に向けて国民的合意を形成し,若者の理工系離れを防ぐ啓蒙活動を展開することにある.大学に対する市民の関心の高さは,京都大学創立百周年の記念事業の一環として1997年11月に開催された,展覧会「知的生産の伝統と未来」(総合博物館において開催)と,同工学部サテライト会場への入場者総数が約一万八千人と予想外の多数に上ったことからも明らかである.

総合博物館が,本学に保存されている多数の貴重な技術史関連の標本資料を活用し,本学が科学技術の発展に貢献してきた軌跡を展示すること,さらに,若者が気軽に訪れて標本模型等を目にし,科学技術の可能性,楽しさに目覚める機会を提供すること,この二つを総合博物館が提供できるならば,これに越したことはないと考える.

(京都大学大学院工学研究科教授・機械材料設計学)

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ふれあいサイエンス

大野照文

はじめに

今年、文部省は、ひょっとすると後世に高く評価されるかもしれないプロジェクトを一つ立ち上げた。それが「ふれあいサイエンス」である。実験や実習をつうじて高校生や中学生に、大学でどのような研究が行われているかをじかに知ってもらおうという趣旨である。今年は北海道から長崎県まで、全国50の大学で、研究室、農場や臨海実験所を会場にして、数日の日程でそれぞれの大学の特色を生かしたプログラムが組まれ、一部は終了、一部はこれから行われる予定である。全国で50のプログラムが企画され、多くのものは夏休みに企画され、我々のプログラムも8月9日から8月11日にかけて行った。

プロジェクトの画期的な点はつぎのようなものである。それは、このプロジェクトが文部省が大学を今までにもまして社会に開放する姿勢を明確に打ち出した点にある。従来からも文部省は学会などに学問の成果を社会に普及させるための講演会開催などの助成を年間数件程度行ってきたが、今回は、一挙に50ものプログラムを同時に走らせて、大学における研究を組織的に一般に公開する積極的姿勢をみせたことである。

もう一つ重要なことは、予算の出所が文部省の学術国際局つまり大学を所轄する部署でありながら、そのサービスの対象が、中学・高校生であるという点である。文部省は、内部の縦割りの所管の壁を破って、高等教育担当の局が初等・中等教育局の所轄である中学・高校生に知的サービスの提供を行ったもので、これも高く評価される点である。昨今、「理科離れ」や、大学生の基礎学力の低下など、資源に乏しい我が国の生命線の一つである「科学立国」の基盤を揺るがしかねない事態が進行している。その対策が叫ばれている点からも、プロジェクトがこの時期に立ち上がったことは非常に時機を得たことである。

京都大学総合博物館では、このプロジェクトの公募があったとき迷うことなく応募を決めた。それは、このプロジェクトに対して、答申を受けて今全国に整備されつつある大学博物館が大きな役割を果たしうると考えたからである。平成8年、学術審議会は答申を出し、大学における学術標本の保全、研究を行うとともに、展示や公開講座などを通じて社会に開かれた大学の窓としての役割を担うユニバーシティ・ミュージアムを整備してゆくべきことを強く求めた。

京都大学では、この答申を先取りする形で、10年以上前から250万点の学術標本資料を一元的に収蔵・保全し、研究・教育に積極的に活用するとともに、全学の研究成果を広く一般に公開することを目的に大学博物館建設を独自に構想してきた。この、答申の趣旨にぴったりの企画が文部省の受け入れるところとなり、平成9年に組織が発足、今年3月には自然史棟の建設が開始され、従前から存在する文化史棟とともに、2001年にはオープンする。

このような役割を自負する総合博物館にとって、このプロジェクトは、まさに腕の見せ所と考えたのである。

テーマ

3日コースのテーマとして取り上げたのは、「大文字山の科学」であった。副題として「総合科学入門」とつけたが、それには、館の側に次のような思い入れがあったからである。

京都大学におかれた博物館に「総合」の二文字が冠せられていることを館のスタッフの多くは誇りに思うとともに真摯に受け止めている。というのは総合博物館の教官数はわずか9名と少ないものの、そのカバーする分野は、理系・人文系の広い学問領域にわたっている。そこで、新生の博物館にこれだけの分野を網羅する人材のいるメリットを生かし、20世紀に極端にまで細分化した学問領域をもう一度横断的に見渡し、総合博物館から21世紀型の新しい総合的学問を構築しようではないかとスタッフは意気込んでいるのである。ただし、新館建設の雑事にかまけて、意気込みに比べて行動が必ずしも伴っていなかった点は否めない。そこで、ふれあいサイエンスを機会に、我々スタッフ自身も真剣に「総合科学入門」してみようということになり、副題にわれわれの決意表明ともいうべき思いを込めたのである。

準備

6月に我々のプロポーザルが採択され、実施案が検討された。コースの骨子としては、1)なぜ大文字山があるのかについての地質学、2)大文字を始め東山の麓に寺院が存在することの地理学的考察、3)大文字山周辺にかつて大伽藍を誇った如意寺とその興亡についての史学的考察、4)大文字山の動物学、の4つを取り上げることとした。大文字山の植物、また、大文字山の南を琵琶湖から京都に流れる疎水の話も候補として上がったが、残念ながら担当教官の日程調整がつかず次回にまわすこととした。

講義のテーマを決めたり、その下準備をするのは、大学教官にとっては日常茶飯事であって、さほど問題なく進行した。ただし、博物館は建設中で、まだ自然史の実習に使える岩石、動物標本などは、理学部などからかり出す必要があり、とりわけ動物の実習につかったカモシカの剥製や全身骨格標本の運搬などでは、大学院生の諸君の手を煩わすこととなった。

しかし、一番苦慮したのは人集めだった。今年は、募集事務は学術振興会が中心になって行い、分担する大学チームでも独自に努力するというやり方になった。しかし、初年度のことでもあり、われわれのプログラムが8月9日から始まるのに対し、学術振興会で用意した応募呼びかけ冊子が完成したのが7月初旬であり、8月開催分の参加締め切りの7月21日までわずか10日あまりという厳しい状況であった。われわれのプロジェクトの参加定員は、30名であったが、締め切りまでには、わずか5名しか集まらなかった。この間、総合博物館館長の瀬戸口烈司は、市内の高校へポスターと宣伝パンフレットをもって挨拶にゆくなど体を張って募集活動に邁進してくれた。また、京大の本部でも事務組織を通じて教職員の子弟の参加を呼びかけてくれた。ありがたかったのは新聞やラジオ局で、プログラムの開催の直前まで参加の呼びかけをしていただいた。それでも、ようやく20名の応募者を確保するのが精一杯だった。今後ともこのような企画を進めてゆく上で、募集方法については、真剣に改善策を考えなければならないという課題が残された。

一方では、準備段階でいくつも楽しいことがあった、とりわけ楽しかったのは、プログラムの最終日に予定されている大文字山登山の下見であった。自然系と人文系の教官が一緒に山へ登ったのである。7月21日、カンカン照りの暑い日で、銀閣寺の脇を通って大文字の大の字の頂点までの登りは大変つらいものがあったが、登りの道すがら露出する岩石や、銀閣寺の境内を通る断層についての説明を文化史の教官は興味深く聞き、大の字の頂点の展望台から大文字山三角点、そして池の谷地蔵にかけての山中に展開する山城の跡や如意寺跡の主要伽藍の一つである深禅院跡では自然史の教官が実際に遺跡を目前に文化史の教官の話を聞き感動するなど楽しい一日であった。そのなかで、このようなやり方が「総合科学」つながるヒントも見つかった。それは、深禅院跡の茶の木であった。日程上プログラム当日は参加できない植物学の教官が、深禅院跡で茶の木を何本も見つけたのである。そして、その場でこの茶の木が天然のものか、それとも深禅院のころに仏教と関連して移植されたものなのかが話題になった。そして、詳しい史学的検証と、一方では、DNA分析を加えることによって茶の木から失われた如意寺の実態に多きく迫れるのではないかという結論に到達したことである。今建設中の新館には、DNA分析装置も導入される。そうすれば、文系の学生も容易にこのような装置の恩恵を被ることができるようになるのである。自然史的手法を強く加味した史学が我々の博物館で生まれるかも知れないのである。このような期待を持つことができた下見の登山は、心地よい疲労をもたらして無事終わった。

開催

さて、開催前に心配したのは、我々博物館側の壮大な夢「総合科学」の創造という意気込みが、参加してくれる中・高校生に伝わるだろうかということであった。さいわい、この点は、杞憂に終わった。最初の2日間は、4つの講義と、それに関連した実習あるいは、博物館の見学に当てられたが、おおむねどの講義・実習も非常に興味をもって聴講された。各講師ともスライド・OHP、実物標本などを交えて生徒達には初めての内容をわかり易くかみ砕いて伝える努力をしていただいた。もちろん、すべての内容を理解した訳ではないと思う。しかし、わからないなりにも、第一線で研究している講師達からほとばしり出る迫力は生徒達に十分伝わったはずで、教科書でもテレビでも、たのいかなる媒体をつかっても伝えることのできないこのような学問の熱気を伝えることのできる場として、ふれあいサイエンスの果たす役割は大きいと実感された。講義とともに、各講師が特別の配慮で見せてくれた日本最大のアンモナイト、あるいは織田信長、豊臣秀吉の直筆書状など、今回参加した生徒達にとっては一生忘れることのできない思い出となっただろう。

最終日の雨

最終日は、奈良県や兵庫県では、警報がでるほどの悪天候であった。しかし、9時30ぷんの集合時刻には、11名が集合してくれた。この悪天候をついて、しかも大文字山へは登らず、午前中銀閣寺へゆくだけという予定縮小にもかかわらずこれだけの人数があつまってくれたのは前の2日間の講義・実習の内容が生徒たちに評価されたことの一つの証であり非常に心強く思われた。京都大学から徒歩で銀閣寺に向かう短い巡検ではあったが、道すがら大文字山をつくる岩石、断層地形、そしてそこに立地する銀閣寺について、専門の講師の説明を聞くことができ、参加した生徒たちは飽きることなくついてきてくれた。

約束

銀閣寺を見終わっていよいよ解散というとき、生徒達からは、ぜひとも大文字山に登る機会を別の日に設けてほしいとの強い要望がでた。ふれあいサイエンスとしては、事業の都合上これで終了することとし、秋の天候の良い日に大文字山へ登る企画をかならず実施することを約束して解散した。

わずか20名足らずの参加ではあったが、生徒達の大半は大変熱心で、とりわけ参加者の大半を占めた女子生徒の熱心さが目立った。そして、京都大学での研究者像や研究スタイルについて、共感をもって体験してくれた。彼らは、これからの高校の勉学の中で、偏差値というフィルターを通してではなく、自分たちで目撃した大学像を尺度にやがて自分たちの進むべき分野や大学を選んでくれるのではないかと期待する。さらに、彼らの中から、我々のプログラムをきっかけにした興味を抱いて大学に進学してくれる生徒が出てくればこれに勝る幸せはない。数年後に、そのなかの一人が総合博物館の新館で、如意寺の由来を調べるためにそこに生えている茶の木のDNA分析をしている様を夢に描きながら報告を終わる。

(総合博物館教授)

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総合博物館夏休みサイエンス教室週間のおしらせ

京都大学総合博物館では、今年の夏休みの終わり、8月21日(月)から、8月25日(金)にかけての一週間、夏休みサイエンス教室週間として、小学生と高校生向けに夏休み科学教室を二つおこないます。一つは「大学等地域開放特別事業」の一環として小学生にを対象とします。もう一つは、「ふれあいサイエンスプログラム」の一環として、高校生を対象としています。詳しい内容は以下に示すとおりです。

1.「大学等地域開放特別事業」生命の進化を探る-三葉虫をさわってみよう

三葉虫の化石を母岩から取り出す実習。京都大学理学部地質学鉱物学教室標本室の見学。古生物学専門の教官による地球・生命史についてのお話などがあります。三葉虫の化石を実際に手に触れることを通じて、数億年前、三葉虫がどのような環境でどのように生きていたのかを考えます。そして、地球の歴史や生命の歴史について学びます。最後に三葉虫の絶滅を通じて地球環境の変化についても学びます。

開催日時
平成12年8月25日(金)午後1時~午後5時
開催場所
京都大学総合博物館
担当者
教授 大野照文
応募資格・定員
京都市近郊の小学生4年生から6年生・30名
(参加者には必ず成人が付き添ってください)
応募方法・問い合わせ先
官製往復はがきに参加希望者の住所・氏名・年齢・性別・学校名・学年、保護者の一人の氏名を書いて平成12年8月10日(木)までに以下の住所に郵送してください。応募者多数の場合は抽選します。返信用はがきには返信用宛名を書いておいて下さい。
京都大学総合博物館事業掛 電話075-753-3272
住所 606-8501京都市左京区吉田本町
2.ふれあいサイエンスプログラム「博物学をまるかじりしよう」

博物学には、とても面白い学問の分野がすべて含まれています。そして、京都大学総合博物館には、自然科学から人文科学まで、博物学の様々な分野の第一線で研究している先生たちがいます。夏休みの終わりに先生たちと一緒に博物学の面白さを体験してみませんか。

送り火などで全国的に有名な大文字山のひみつに、自然科学と人文科学の両面から博物学的に迫ります。最初の2日間は、講義と実習です。地学・地理学・動物学・植物学の先生方のお話を聞いたり、貴重な標本を使った実習、さらに普段はめったに見られない研究室や標本庫の見学などをします。また、活発に研究されている館の先生と一緒に魚学について体験するなど、大文字だけにとどまらない幅広い博物学の内容を楽しく学べます。

最終日は、大文字山に登っての野外実習で、これまで勉強したことを自分の目で確かめます。3日間参加する事で、博物学の様々な分野の面白さをまるかじりできます。なお、このプログラムは、文部省科学研究費補助金研究成果公開促進費による助成を受けています。

開催期間:平成12年8月21日(月)~平成12年8月23日(水)

第1日目
09:30~09:45オリエンテーション
09:45~10:30講演「京都文化のゆりかごとしての大文字山」(吉川真司)
10:40~12:00実習「京大総合博物館丸かじり」(吉川真司・大野照文)
13:00~14:30講演「大文字山の植物学」(永益英敏)
14:40~15:30見学「京都大学の自然史研究最前線を見る」(大野照文)
(理学部ミニ博物館、地質学教室標本庫、植物学教室標本庫見学)
第2日目
09:30~10:30講演「大文字山の動物たち」(本川雅治)
10:40~12:00実習「大文字山の動物たちの生活史」(本川雅治)
13:00~15:30講演・実習「魚を見る・魚を知る」(中坊徹次)
第3日目
09:30~16:00フィールド・ワーク「大文字山を科学する」(全員)
(帰路 坂本から大学までの交通費が別途600円程度必要です)
「京都文化のゆりかごとしての大文字山」(吉川真司先生)

大文字山は、如意ヶ岳とも呼ばれます。これは、10世紀中葉頃から15世紀中葉までここに立派な伽藍を誇る大きなお寺があったことにちなんでいます。古文書や古地図をもとに当時の大文字山の様子を調べてみましょう。また、実際に大文字山に登って遺構を確かめてみましょう。

「大文字山の植物学」(永益英敏先生)

京都市のまわりには,シイが優占する照葉樹林,コナラが優占する落葉樹林,スギの植林地など様々な森林が広がり、いろいろな植物が生育しているのを見ることができます。そこで、講義と大文字山での実習を通して、植物の見分け方,標本の作製法などを学びます。

「大文字山の動物たち」(本川雅治先生)

京都府には、本州に見られる哺乳類の大部分の種類が生息しています。また両生類やハ虫類の種類も豊富です。京都大学に所蔵される標本を中心にこれらの動物について調べてみます。また、大文字山では、足跡や糞をもとにどのような動物が住んでいるのかを調べてみます。

「魚を見る・魚を知る」(中坊徹次先生)

およそ100万年前、京都盆地は海でした。当時の大文字山にのぼると古京都湾が一望できたはずです。その湾にはどんな魚がすんでいたのでしょうか。100万年前ですから、現在の海にいる魚と極端に違ってはいなかったでしょう。古京都湾はかなりの内湾でした。ちょっと、のぞいてみましょう。

「京大総合博物館丸かじり」・「京都大学の自然史研究最前線を見る」(吉川真司先生・大野照文先生)

京都大学にある250万点あまりの様々な学術標本資料を納めるために現在総合博物館新館を建設中です。参加者の皆さんには収蔵予定の貴重な門外不出標本を特別にお見せします。また、理学部ミニ博物館など、隠れた名所の見学を通じて京都大学について親しんでいただきます。

参加資格:全国の高校生

1.6月23日までは直接日本学術振興会まで応募してください。

送り先:〒102-8471東京都千代田区麹町5-3-1 ヤマトビル 4階
日本学術振興会 研究事業部研究事業課
ふれあいサイエンスプログラム担当

電話03-3263-1721(代表)(参加申込書その他についての問い合わせもここへ)

応募締め切り日:平成12年6月23日(金)必着

「参加申込書」にもとづいて、選考を行い参加者を決定します。

選考の結果については、各プログラムが実施される2週間前までには、参加申し込みをした本人あてに手紙でお知らせします。

万一、プログラム実施までの日数が1週間以内になっても選考の結果が届かない場合には上記までお問い合わせ下さい。

2.6月24日(土)以降8月10日(木)までは、京都大学総合博物館事業掛まで、定員に空きがあるかどうかを問い合わせた上申し込んでください。

問い合わせおよび応募用紙送り先 〒606-8501京都市左京区吉田本町
京都大学総合博物館事業掛
電話 075-753-3272
ファクス 075-753-3277

「参加申込書」にもとづいて、定員一杯まで参加を認めます。

選考の結果については、各プログラムが実施される数日前までには、参加申し込みをした本人あてに手紙でお知らせします。

万一、プログラム実施の直前になっても選考の結果が届かない場合には上記までお問い合わせ下さい。

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客員教授挨拶 アンドレイ・パラノフ氏

京都大学総合博物館客員教授(平成11年9月1日~平成12年3月31日)

アンドレイ・アナトーリエヴィッチ・バラノフ氏

Andrey Anatoljevich Balanov

My scientific fields are ecology, biology and taxonomy of midwater fishes of the Northern Pacific.Mesopelagic fishes are an important part of the deep water pelagic communities of the World Ocean. Transitional water of the Pacific Ocean to east of Japan is a main zone for reproduction, early development of the subarctic mesopelagic fishes and for feeding some subtropical ones. Nevertheless even species composition of the deep water fishes for this region was poorly studied.

By the invitation of Professor T. Nakabo I worked at the Kyoto University Museum, Kyoto University from September 1 1999 to March 31 2000. The main aim of this joint project was examining of the frozen samples collected from the transitional water of the Northwestern Pacific east of Japan and donated by Professor K. Kawaguchi (Ocean Research Institute, the University of Tokyo). Big collection of the Northwestern Pacific mesopelagic fishes was prepared, which contain all main species and many rear ones for this region . Almost 73 species deep water pelagic and benthopelagic fishes were found and included at a collection of fishes of the Kyoto University Museum after finishing of the our project.

I would like to express my true gratitude to Professor T. Nakabo and administrative staff of the Kyoto University Museum for possibility to work and live at so nice town as Kyoto. Many thanks for all of you to have done for this project and me: yours sincere help, interesting discussion and care. I hope that results of our joint project will be to mutual benefits and strengthen the friendly ties between IBM Russian Academy of Sciences and the Kyoto University Museum. Special thanks to Associate professor H. Nagamasu for his help and care when I occupied a space at his office for 7 months.

I like Kyoto very much. I think it is a one of the best city in the World I have seen. We, my family and me enjoyed when stayed at Kyoto. Temples, Japanese gardens (the best!) and people, all were so nice and beautiful!

Andrey Anatoljevich Balanov, Institute of Marine Biology, Far East Branch, Russian Academy of Science, Palchevskij-Street 17, Vladivostok 690041, Russia

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客員教授紹介 アンドレアス・キュッパース氏

京都大学総合博物館客員教授(平成12年4月1日~平成12年8月31日)

アンドレアス・キュッパース氏
Andreas Kueppers

キュッパースさんは、1954年生まれのドイツ人です。大学院までは、地質学・古生物学を専攻され、とりわけコノドントと呼ばれる微細な化石を使って地層の時代を詳しく決定・編年したり、それに基づいて地質構造を明らかにする研究を行われました。その後、日本に興味を持ち始め、何度も来日しておられます。氏が日本に興味を持たれた詳しいいきさつは聞いていませんが、一つにはご母堂が鍼灸の研究で日本を訪れておられたことも関係するのかもしれません。ボン大学の古生物学研究所時代の同窓ということで、1984年に彼が最初に来日されたときから京都や東京で頻繁に落ち合って旧知を温めておりました。

写真
息子のジモン君と

さて、氏の最初の訪日は、1986年9月からの1年で、このときは、ドイツ学術交換会(DAAD)の奨学生として通産省工業技術院地質調査所客員研究員として滞在され、日本の地質や災害予知・予防について研究されました。どうやらこの間に日本とドイツの学術交流の歴史に興味をもたれたようで、その後1989年から1992年にかけてドイツ国立日本学研究所東京駐在研究官として東京に滞在された際には既にナウマンをはじめとするいわゆるドイツ人お雇い教師の研究に着手されていました。

その後、ドイツ国立地球科学研究センター(ポツダム)の研究開発企画調整担当官として勤務され、研究を続けてこられました。研究成果の一部は1997年に日本の各地の博物館で巡回開催された日本の魚学の父とされるドイツ人学者ヒルゲンドルフについての展覧会企画の骨子として生かされています。また、近年糸魚川市に開館したフォッサマグナ博物館の立ち上げにも尽力され、その結果遺族からのナウマンの遺品の寄託を受けることが出来、優れた展示が実現したというエピソードもあります。

さて、総合博物館では、4月から8月までの5ヶ月の滞在期間中に日本の近代科学の振興に着よしたドイツ人学者たち、とりわけナウマンについての科学史的研究を行われる予定です。流暢な日本語を駆使され、すでに精力的に資料収集を行っておられます。ナウマンが当時の日本政府に提出した上申書など新しい資料も見つかり、現在京都女子大学の野上裕生教授と共同で現代語およびドイツ語への翻訳作業などをされております。

今回の京都での滞在がナウマンやその他のドイツ人「お雇い教師」の研究のレベル向上に大きく役立つとおっしゃっていただいており、受入教官としても喜んでおります。

奥様のユッタさんもかつて日本に永く滞在されたことがあり、日本語が堪能で、息子のシモン君とともに5月から6月にかけて京都に滞在され、京都に残る日本文化を堪能されています。

(総合博物館教授・大野照文)

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第7回公開講座の記録 変わりゆく身のまわりの自然

(2000年5月)

この数十年の急激な経済成長によって,わたしたちの国土は大きく変貌した。身のまわりの自然はどのように変わってしまったのか,里山や水辺など身近な自然の変容についての講義を通じ,人間と自然の関わり方を考える。

5月20日(土) 午前の部 里山を考える
田端英雄(里山研究会)

里山とは歴史的に繰り返し繰り返し薪や炭を生産するために伐られてきた林-里山林と,それに隣接するため池,ため池の土手,用水路,田んぼ,田んぼの畔などの農業環境とからなる自然である。その里山の生き物はいわば身近な生き物である。その身近な生き物たちに異変が起きている。急速に数を減らしたり,絶滅に瀕しているものもある。減反による耕作地の放棄や,薪炭生産を中心とした森林利用から柱材生産重視など,農業や林業のあり方が急激に変わることによって里山の多様な環境が急速に失われているのである。里山という身近な環境の生物多様性を保全するためには,里山を伐って利用したり,減反政策を見直して中山間地の農業環境を復活させる,新しい林業や農業のあり方を考える必要がある。しかし,あまり時間は残されていない。

5月20日(土) 午後の部 「草は世につれ─雑草をどうみるか」
三浦励一(京都大学大学院農学研究科)

雑草に代表される身近な生物相は,人間の生活様式の移り変わりにともなって栄枯盛衰をとげてきた。雑草といえばたくましさの象徴であったが,農業技術の進歩はデンジソウをはじめいくつかの水田雑草を今や絶滅の危機に追いやっている。京都の巨椋池は数知れない犠牲者を出してきた水害常襲地であったが,治水・干拓事業の成功の陰で,全国有数の水生生物相は壊滅した。消えてゆく植物がある一方,都市を中心に,帰化植物の流入が続いている。帰化植物は自然に対立するものと捉えられがちであった。しかし,古く日本に農業が伝播した頃には,農業による自然破壊の跡にやはり帰化植物が生えるようになったと推測されており,そのように古い帰化植物は,多くの日本人にとっては自然の一部と認識されるに至った。このことを考えれば,「都市には自然がない」というよりも,むしろ雑草や帰化植物を自然と認め,つきあいを深めていくことも可能であろう。

写真
水田刈後のサンショウモとデンジソウ(福井県中池見)

5月27日(土) 午前の部 日本の渚:汀線の自然
加藤 真(京都大学大学院人間・環境学研究科)

海と陸との接点である渚には、流れ込む川があり、満ち引きする潮があり、うち寄せる波がある。海の広大さから見れば、それは海岸線につらなる線状の「海の縁」にすぎない。しかし、海の生命の多様性と生物の豊饒さの中心はこの渚にあり、また人々と海との接点もこの渚にあった。そして、海の生態系の中で人間の影響を最も強く受けているのもこの渚である。

複雑に入り組んだ日本の海岸線に沿って、岬の突端には波の砕ける荒磯が、外洋に面したなだらかな海岸線には白砂青松の砂浜が、入江の奥にはヨシ原にふちどられた干潟が形成されていた。その原風景は、清き渚、豊饒の渚、寄りもの寄する渚、まれ人来臨の渚に象徴されるだろう。渚は、河口、干潟、藻場、磯、砂浜、サンゴ礁、ヒルギ林という七つの類型に分けることができるが、それぞれの渚の失われゆく原風景と、そこでの生物多様性と生態系を紹介しつつ、渚の現状と未来について考察した。

写真
四国興津小室の浜

5月27日(土) 午後の部 追われる生き物たち
永益英敏(京都大学総合博物館)

生命の星である地球上にはさまざまな生物が生息している。しかし有史以来継続して続けられてきた地球上の生き物たちの目録作りはまだまだ完成にはほど遠い。いったいどれくらいの種数の生物が存在しているかすら見当もついていないのである。それにもかかわらず,もっとも生物多様性が高いと信じられている熱帯地域を中心に原生的な生物環境は急速に失われており,数多くの生物たちが確実に絶滅に向かっている。日本の絶滅危惧生物の調査を例に,その現状を紹介した。生き物たちを絶滅に追いやっている大きな原因は開発や乱獲,そして人間によって不注意に持ち込まれた本来そこに生育していなかった侵入生物である。環境からみると水辺,草原・里山,島嶼などに生育する生物の多くが絶滅の脅威にさらされている。急速な個体数の現象はその生き物にとってどのような意味を持つのか,そしてなぜ生物の多様性を保全しなければいけないのかについて解説した。

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総合博物館日誌 平成12年3月~5月

3月13日(月)
第34回教官会議
3月31日(金)
外国人研究員アンドレィ・アナトーリエヴッチ・バラノフ氏帰国
4月1日(土)
事務統合により総合情報メディアセンター,大型計算機センターと総合博物館の事務組織が統合され,大型計算機センター等事務部となる。
博物館から配置換:
事業掛長 能崎不二夫 附属病院医事課専門職員へ
総務掛  高木 恵 経理部管財課第二管財掛へ
総務掛  島田裕行 大型計算機センター等事務部庶務掛へ
他学部等から転入:
専門員    橋本修身 医学部専門員より
事業掛主任  木村智子 施設部総務掛より
研究支援職員 河村たみ枝
外国人研究員アンドレアス・キュッパース氏来館
4月10日(月)
第35回教官会議
5月8日(月)
第36回教官会議
5月11日(水)
概算要求総長ヒアリング