ニュースレター

No. 7(1998年 9月25日発行)

表紙の写真

表紙写真
ニホンジネズミの頭骨(本文「研究ノート」)

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【収蔵資料散歩】エコロジカル・コレクション

角谷岳彦

環境保全への関心の高まりから、ちまたで、「エコロジー」という語を良く目にするようになった。しかし、純粋科学としてのエコロジー、生態学に関する世間の関心や認識は、未だに低い。こうした現状では、「エコロジカル・コレクション」という語は「地球に優しい収蔵品」と誤解されかねないが、必ずしも、そう言う意味ではない。ここでは、京都大学にある生態学上貴重な標本群のうち、特に、昆虫標本について紹介し、その博物館との関わりについて私見を述べる。

周知のこととは、思われるが、生態学は、環境との相互作用の元に生物がどのように生きているのかという自然の中での生物の生き様、すなわち、「生態」を明らかにすることを目的とした学問である。その一応用として、環境保全に役立つことは事実であるが、生態学自体が自然保護を唯一の信条としているわけではない。 環境から切り離された死骸である乾燥標本の研究と生態学の目的は、一見、矛盾しているように見えるかもしれない。しかし、すぐれた生態学者によって、一定の見識の元に集められたコレクションが、完全な形で、しかるべき生態学者にわたった時には、時空を越えて、生態を探りうる優れた手段となる。

たとえば、井上民二氏を中心として、筆者を含む生態学者グループが、1984年から5年がかりで、京都府下で収集した訪花昆虫コレクションは、この地域における花と昆虫の共生系の実態や共進化の歴史に多くの示唆を与え、現在もなお、研究対象として活用されている。このコレクションは、収集に先立ち、美山町芦生の原生林内と、左京区貴船の二次林内、京都大学構内という環境の異なる府下の三カ所に、一定の採集コースを定めた。定期的にこのコースに採集に出かけ、そのコース沿いで虫が訪れていることを確認した花を全種調査対象とした。各回の調査において、調査対象とした花、一種ごとに、十分間の採集時間をとり、採集時には昆虫種を区別せずに、訪花を確認した個体をすべて採集し、採集日時と訪れていた花をコード化したラベルを付けて標本とした(Inoue et al, 1990; Kato et al, 1990; Kakutani et al, 1990)。

訪花昆虫コレクションの写真
井上民二他によって集められた訪花昆虫コレクションの一部

このようなコレクションにおいては、採集時の情報が標本個体ごとに正確に記録されていることが最重要である。採集日や採集場所が判らない標本は、珍種標本であっても、生態学上は、無益である。上記コレクションは、採集日や採集場所に加え、採集時にその個体が訪れていた花の種名が記録されている点が特徴的で、この付加情報のおかげで、虫媒性植物と訪花性昆虫の相互作用に関する生態学的研究に極めて有益である。

また、こうしたコレクションは、その全個体が保管されていることと、採集時の収集方針が明確に記録されていることも、重要である。たとえば、各回の採集時間が、花の種ごとに一定に保たれ、採集時に昆虫の種が区別されていないことが明示されている上記コレクションでは、各花の訪花昆虫群集における昆虫種毎の訪花頻度を、コレクション中の個体頻度から推定可能となる。さらには、採集時に種を区別しない全個体採集である故、種内の変異に関する統計的処理を伴う研究も、コレクション全体が保管されていれば、可能となる。

この訪花昆虫コレクションを用いた具体的研究としては、たとえば、各種の花を訪れる昆虫の群集構造を、花毎にみた各種昆虫の採集個体の構成比を説明変数として、クラスタ分析することで、芦生原生林内には、マルハナバチ類を送粉者とする一群の送粉者ギルドクラスタを形成する植物群があることが定量的に示された(角谷、1996)。また、ミヤママルハナバチが多数訪れていたトチノキを訪れていたトラマルハナバチと、同時期に、他の花を訪れていたトラマルハナバチの形態計測を行った結果、トチノキを訪れているトラマルハナバチは、種内でとりわけ口器の短い個体であることが明らかになった(詳細未公表)。

このようにして、地域群集全体の中における植物の生態や、特定昆虫種の種内の行動が、標本になった昆虫から明らかにされる。こうした標本からの研究は、その標本に基づく統計的処理を行うかぎり、完全な再現性を持つ。それゆえ、こうしたコレクションは今後の研究に活用される有益性に加え、研究証拠標本としても、完全な形で保管される価値がある。無論、それがその採集時点の自然をどれだけ適切にサンプリングしているかという検討は必要であるが。

紙面の都合上、詳細は略すが、京都大学には、この他にも、アジア、アフリカ各地の昆虫群集コレクションや、今西錦司が戦前、戦中に海外で集めた昆虫群集コレクションなど、生態学上価値ある標本群が多数収蔵されている。しかしながら、生態学的価値に関する認識の低さから、こうした貴重なコレクションが複数部局に分散してしまったり、「重複標本の整理」で部分的に処分されたりする極めて憂うべき現実がある。こうした事態を一刻も早く改善するためにも、総合博物館自然史棟の新営とこうした標本資料の一括管理は急務であろう。

参考文献

Inoue T., M. Kato, T. Kakutani, T. Suka and T. Itino. 1990. Insect- flower relationship in the temperate deciduous forest of Kibune, Kyoto: An overview of the flowering phenology and the seasonal pattern of insects visits. Contribution from the Biological Laboratory, Kyoto University, 27: 377-462.

Kato, M., T. Kakutani, T. Inoue and T. Itino. 1990. Insect-flower relationship in the primary forest of Ashu, Kyoto: An overview of the flowering phenology and the seasonal patterns of insect visits. Contribution from the Biological Laboratory, Kyoto University, 27: 309-375.

Kakutani, T., T. Inoue, M. Kato and H. Ichihashi. 1990. Insect-flower relationship in the campus of Kyoto University, Kyoto: An overview of the flowering phenology and the seasonal pattern of insect visits. Contribution from the Biological Laboratory, Kyoto University, 27: 465-521.

角谷岳彦 1996 訪花昆虫群集の構造, 『昆虫個体群生態学の展開』(久野英二編著、京都大学学術出版会)

(京都大学総合博物館助手)

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【研究ノート】ニホンジネズミ

本川雅治

ニホンジネズミは食虫目トガリネズミ科に属し,体長がおよそ10cm,体重が10グラムにも満たない小さな哺乳類である。「ジネズミ」という和名がついているが,ネズミよりはモグラに近く,鋭く尖った歯で昆虫などを食べて生きている。日本の固有種で,北海道から本州,九州,四国,さらにその周辺の島々のほとんどからも確認されており,日本の哺乳類の中で最も広い分布域をしめす。では,ニホンジネズミはなぜこのように広い分布域を獲得できたのだろうか。また,海で隔てられている島へ,どのようにして分布を拡大したのだろうか。

写真:定規とネズミ
ニホンジネズミ(トカラ諸島中之島での採集個体)

私は大学院に入ったとき,このニホンジネズミの分類の見直しをテーマとして,研究を始めた。当時の指導教官が,鹿児島の南約200kmに位置するトカラ諸島の中之島で,ニホンジネズミの路上死体を発見し,標本として保管していたことがきっかけとなった。それまでは,ニホンジネズミは,九州より南では,種子島と屋久島から知られているのみで,それぞれがタネジネズミ,ヤクシマジネズミという亜種として区別されていた.ところが,さらに南に位置するトカラ諸島の中之島にもニホンジネズミが分布していたのだが,その亜種の位置づけなどは全く分かっていなかったのである。そこで,私は博物館標本を使って,中之島のニホンジネズミに関する情報を集めはじめた。

ネズミやモグラのような小型哺乳類では,外形よりも頭骨の形が,分類学では重要な決め手となる。そこで,ニホンジネズミの頭骨のいろいろな部分をノギスで計測したり,鼻先,眼,耳といった主要な器官と連結する部分の骨の形を,丁寧に観察したりした。頭骨といっても,2cmにも満たない小さなものである。それを作るには,先の細いピンセットを使って,骨を壊さないように注意しながら,筋肉を除去するのである。歯の形も分類形質として欠かせない。一つがわずか1mmほどしかない小さな歯の,さらに細かい部分について,実体顕微鏡で拡大しながら,測定や観察を行う。また,頭骨や歯に見られる特徴を,複数の標本で比べるためには,いろいろな角度で写真をとることも重要である。こうした一連の作業を標本一つ一つについて行う。周辺の屋久島,種子島,九州,さらには本州各地の数百点の標本についても同様の作業を行い,中之島のものと比較する。そして,標本に見られる変異の中で,地域の違いによるものを見つけだすことで,中之島のニホンジネズミのもつ特徴を浮かび上がらせていくのである。

その結果,中之島のニホンジネズミは,本州や九州はもちろん,屋久島や種子島の集団とも,かなり違った形態を持つことが分かってきた。ジネズミの仲間の中には,人間とともに船にのって島に渡るものがいるといわれるが,形態上のかなりの違いがあることから,中之島のニホンジネズミが,最近になって船で渡ったとは考えにくい。また,この小さなニホンジネズミが,自力で泳いで島へ渡ることは到底不可能である。とすれば,まだトカラ列島が九州などと陸続きだったという数十万年前に,陸地づたいに中之島に到達し,その後,隔離されながら現在まで生き続けてきたと考えるのが妥当なようである。

博物館標本だけでは物足りなくなり,このニホンジネズミの採集も行ってみた。中之島へは鹿児島から約8時間,月8便ほどが運行されているフェリー「としま」で行くことができる。

鹿児島県十島村営船フェリー「としま」の写真
鹿児島県十島村営船フェリー「としま」。鹿児島とトカラ諸島の島々を結ぶ。

中之島は,トカラ諸島では最大の島だが,人口は百数十人である。採集調査は島を歩きながら,林縁や牧草地といった採集に適した場所を探し,ネズミ用のわなを設置することからはじまる。

わなの写真
ネズミ類などの小型哺乳類を捕獲するためのわな。
捕獲したい種類によって、わなの大きさや餌の種類が異なる。

1日に100個ほどのわなを仕掛け,翌朝に一つづつチェックしながら,回収する。100個のうち10個程度で何かが捕獲されているのだが,そのほとんどはニホンアカネズミである。ニホンジネズミは100個のわなを使って,1個体がとれるかとれないかで,なかなか標本が集まらない。こうして得られたニホンアカネズミやニホンジネズミは,計測を行い,番号をつけ,標本にして持ち帰る。少しでも多くの情報を引き出せるように,剥製や骨格のほかに,DNA遺伝子や染色体を解析するためのサンプルも保存する。多くの情報を生み出す標本を,限られた設備と時間でいかに作り上げるかは,採集者の技量にかかっている。

これまでに2回,中之島での採集を行い,この島のニホンジネズミの分類や起源についてある程度は分かってきた。ところが,他の地域の標本を比較として解析するうちに,ニホンジネズミの抱える別の分類学的問題も,浮かび上がってきたのだ。北海道からトカラ諸島まで広く分布するニホンジネズミが,いつごろどのように分布を広げたのか。これを明らかにするには,まだまだ時間がかかりそうである。

(京都大学総合博物館助手・哺乳類分類学)

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第2回公開講座の記録 「野外調査と博物館」

(1997年11-12月)

-フィールドから考える-

11月22日(土):山と古代人

吉川真司(総合博物館助教授)

天平勝宝8歳(756)に描かれた東大寺山堺四至図は、東大寺伽藍地のみならず、春日山一帯の人文環境を物語る重要な史料である。春日山には数多くの山林寺院が建立されたが、それは毛原廃寺・神野寺・笠置寺・塔の森など、大和高原に広がる山林寺院ネットワークの一環であった。平城京時代にはこのように大和高原北部の利用が進んだが、古く飛鳥・藤原京時代には吉野~竜門山塊が中心であり、やがて平安遷都とともに山林寺院群も北に移動した。山林寺院と都城・官大寺には密接な関係があったと考えられる。

山林寺院は官大寺僧の修行に不可欠な存在であったが、立地を個々に検討してみると、純粋な浄域に創建されたのではないことがわかる。材木・岩石・薪炭の採取や、都城を核とする道路敷設など、開発とともに寺院が建立される場合が多いのである。文明化にともなう山林開発は、山林寺院と不可分のものであった。奈良時代山林寺院の研究は緒についたばかりだが、古代人の山林観・山岳観を知る上で、それは貴重な視点となるだろう。

山林寺院の古地図

11月29日(土):アフリカの森と焼畑農耕ー「辺境」から世界を考えるー

佐藤廉也(総合博物館助手)

「焼畑」ということばは、森林火災などのトピックとともに近年マスコミなどにも頻繁に登場するようになった。しかし実際にはこれらは、例えば商品作物のプランテーションのための火入れ地拵えなどを「焼畑」と称していることが多く、休閑による植生回復を前提とする本来の焼畑農耕とは全く別のカテゴリーに属する経済活動である。在来技術を継承しつつ現在も熱帯地方で営まれる本来の焼畑農耕とは、それではどのような技術、経済、環境利用のシステムによって成り立っているのか。アフリカの森で焼畑を営む人々は、焼畑を食糧生産の第一の手段としながらも、実際にはありとあらゆる側面で森林資源を利用しつつ暮らしをたてている。このために、人々は自らの財産である森林環境を破壊から守るような、循環的な環境利用体系を必然的にとっているのである。こうした在来の知恵を深く具体的に理解することによって、私たちもまた、理想論に終わることのない未来の世界像を学ぶことができるのではないだろうか。

アフリカの森で焼畑を営む人々の写真

12月6日(土):トチノキの花咲く森で-芦生における虫と花との共生-

角谷岳彦(総合博物館助手)

一つの地域を考えた場合、そこに棲む訪花昆虫と、そこに生える虫媒性の植物の間には長い共進化の結果として成立した巧妙な共生関係が成立している。とりわけ、原生林内では興味深い共生関係が見られることが多い。

京都、滋賀、福井の3府県境に接した京都府のはずれに、京都大学が演習林を有する芦生の原生林がある。そこは、ブナやスギを主体とした林で、沢沿いには、トチノキなどが花咲く。この原生林内における訪花昆虫と花の共生関係を進化生態学的に概説しつつ、芦生の森のすばらしさを語った。

進化は、特定の意志主体によって善なる方向へ向かう物ではなく、より多くの子孫を残す遺伝的性質が広がりやすいことによって起こる世代を越えた変化にすぎない。しかし、長い共生的共進化の歴史はあたかも統一的意志によるかのごとき「生活史戦略」を生み出す。

たとえば、トチノキは、巧みな花蜜の分泌パターンによって、花粉媒介昆虫であるマルハナバチ類の蜜利用効率を高め、この花を訪れるマルハナバチ類は高い訪花一貫性を示し、確実に花粉を運ぶ。

写真:トチノキの花

12月13日(土):未知の植物を求めて

永益英敏(総合博物館助教授)

古来多くの人々が新たな植物を求めて世界中を旅してきた。植物自身のもつ魅力もさることながら,新たな植物の発見は薬用・食用・園芸など商業的にも重要だったのである。

ヨーロッパと同じ温帯に属し豊かな植物相を誇る日本は,古くから多くの植物学者の注目を集めてきた。江戸時代のケンペル,チュンベリー,シーボルトに始まり,日本を訪れた植物学者,園芸業者,植物採集家などのプラントハンターはかなりの数に上る。

明治時代になって来日したフランス人宣教師フォーリーは日本,朝鮮,樺太,台湾で膨大な数の標本を採集した。彼の死後,残された標本は篤志家岡崎忠男氏が遺族から購入し,まとまったかたちで京都大学に寄贈された。この標本は東アジア地域の植物を研究するうえで不可欠な標本として今でもその重要さを失っていない。

地球上の多くの生物が絶滅の危機に瀕している現在,新たな植物の探求は世界中で活発に行われている。化学成分や遺伝子資源としての重要性も認識され,大規模な調査がすすめられている。

花のイラスト

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第4回公開講座 「人間と自然の共生をめぐって」

期間
平成10年11月14日・21日・28日・12月5日(各土曜日 計4回)
時間
各回 午後1時30分 - 午後4時00分
場所
京都大学理学部2号館第一講義室(理学部動物学教室のある建物の1階です。自家用車による来館はご遠慮ください。)
定員
80名
受講料
5400円(全講義を通しての受講料です。納められた受講料は返金出来ません。)
申込方法
現金書留又は受講料直接持参によりお申し込みください。
現金書留の場合は下記のものを同封して下さい。

  • 受講料
  • 住所・氏名・年齢・職業・電話番号を記入した用紙(形式は問いません。)
  • 返信用封筒(表側に宛名・郵便番号を記入し80円切手を貼って下さい。)

受講証・領収書等をお送りします。

<持参の場合の受付時間>平日午前10時-午後4時
申込期間
10月12日(月)-10月30日(金)
定員
80名
郵送先ならびに問い合わせ先
〒606-8501 京都市左京区吉田本町 京都大学総合博物館
TEL:075-753-3274
演題及び講師
11月14日(土):日本の森林に学ぶ-21世紀の人間と自然の共生
総合博物館長 河野 昭一

日本の森林相は、コスト至上主義の森林経営、乱開発、また酸性雨などにより21世紀初頭に壊滅的崩壊すらおこしかねない危機的状況にある。しかし、つい最近まで日本の森林には地域ごとの個性を熟知した林業の伝統があり、手厚く育み、その果実をいただくという思想により保全されてきた。このような日本人と森林との関わりの伝統を手本に21世紀の人間と自然の共生のあり方を探る。

11月21日(土):帰化哺乳類と人間活動
総合博物館 助手 本川 雅治

人間によって持ち込まれた帰化哺乳類が最近になって日本で急増している。それらが在来種や人間生活に与える問題を取り上げることにより、人間と哺乳類の共生の道を探る。

11月28日(土):多自然型川づくり工法の実際
総合博物館 助教授 城下 荘平

治水や利水のみを考慮した従来の川づくり工法を見直し、自然との調和を考慮した多自然型と称される新しい川づくり工法が近年、試みられている。その実施例を写真によって紹介する。

12月5日(土):魚と、どうつきあうか
総合博物館 教授 中坊 徹次

魚は漁業をとおして古くから私たち人間との関わりが深い。最近は釣り、ダイビング、室内アクアリウムの普及で益々私たちの身近な存在になっている。このような中で、どうすれば魚と永く付き合えるのか、について述べる。